第5話 魔族ではなく、しかし人間でもない
日が沈みかけて薄暗くなった森に、狼の魔物――グレイウルフ達の赤い目が煌々と輝いています。
レオタさんに昔の話をしていたせいでしょうか。冒険者になってから何度か退治したことのある魔物だというのに、脳裏にあの日の光景が浮かんで足がすくんでしまいます。
「……俺の残り少ない魔力でこの数を捌ききるのは無理だ」
レオタさんがギリッと歯軋りをしました。
風の刃が使えれば、まだカイさん達を抱えて逃げるという選択肢を取れたかもしれません。
しかし、先程逃げる時に風の刃を連発していたためでしょう。レオタさんの魔力は風の刃を放てるほど残ってはいないようでした。
後ろからゴブリン達が迫ってくる足音が聞こえてきます。
完全に逃げ場がなくなってしまいました。カイさん達を抱えて逃げることはできないでしょう。
でも、見捨てて逃げるくらいなら、ここで足掻いて死んだ方がマシです。
「セフィーリア。きっと君はカイ達を見捨てるなんてしないだろう」
私の心を見透かしたような発言に、心臓が大きな音を立てます。
「でも、本当に大事なのは自分の身だ。自分の身を守るために他者を見捨てなければならない時だってある」
「では、カイさん達を見捨てろと言うのですか!?」
せっかく助けることができたのに、身の安全のために見殺しにするなんてできるはずがありません。
「そうは言っていないよ。ただ、自己犠牲が正しいと思っているのなら、その考えを改めて欲しいだけさ」
そう言うと、レオタさんは自嘲するように笑いました。
「……保身のためなら、彼らを見捨てるべきなんだろうけどね」
「え?」
「俺も彼らを見捨てない――いや、見捨てられない。だから……これから私がすることは、誰にも言わないで欲しい」
その瞬間、レオタさんの瞳が赤に変わりました。
目の前の魔物よりも赤い、燃え盛る炎のような赤色に。
『魔に列なる者よ。我が声を聞き、我に従え』
レオタさんの美しい声で紡がれる言葉は、心の底から恐怖を感じるほどの冷たさを孕んでいました。
その声を聞いた1匹のグレイウルフの耳が、ピクッと動きます。他の個体より少し身体が大きいので、群れの長かもしれません。
『我、汝に命ずる。洞窟内のゴブリン共を殲滅し、装置を破壊せよ』
レオタさんが言い終わると同時に、群れの長と思しきグレイウルフが遠吠えをしました。
そして、グレイウルフの群れは私達に向かって走り出してきました。
「っ!」
私は思わず目を瞑ります。
しかしながら、何かに襲われるという気配はありません。
恐る恐る目を開けると、グレイウルフ達が私達を避けて洞窟内へと入っていくのが見えました。
「今のは一体……?」
まるでグレイウルフ達がレオタさんの命令に従い、それを実行に移したかのように見えました。
ですが、人間が魔物を従わせるのは不可能だと言われています。
もし従わせられる人間がいたとしたら、それは――。
「レオタさんは、魔族……なのですか?」
それは、人に化けた魔族しかいません。
でも、私には信じられません。
魔族は10年前に滅ぼされていますし、仮にレオタさんがその生き残りだとして、わざわざ人間である私達を助けるでしょうか?
しかも、魔物を使役するなんて、自分が魔族だとバレてしまうような行為をしてまで。
「……いいや、違う」
「では、人間なのですね」
レオタさんの返事に、私は安堵します。
しかし、彼は首を横に振りました。
「それも違う。私は人間でもない」
――魔族でも、人間でもない?
「それは一体、どういうことですか?」
そう尋ねると、レオタさんは眉間にシワを寄せました。
「……私にもよくわからない。だが、確かなのは、私はかつて魔族であり、人間であったということだ」
私は首を傾げます。
魔族だったけれど、人間でもあった?
どちらでもある存在だった――つまり、魔族と人間のハーフだったのでしょうか?
でも、“今はどちらでもない”とはどういう意味なのでしょうか?
「聞きたいことは山ほどあると思うが、今は安全な場所に移動しよう。また魔物が来たら今度こそ打つ手がない」
「……そうですね」
洞窟を抜けたとはいえ、まだ森の中。この群れの他にも魔物がいるかもしれません。
一先ず、村まで逃げましょう。
◇◇◇
村に着いた私達は日が落ちてしまっていたため、村の人達に説明をして一晩泊めさせてもらいました。
翌日、町に戻って今回のことを説明するため冒険者ギルドにやって来ました。
ギルドにやってきたのは私とレオタさんだけです。
カイさんは命に別状はないものの意識が目覚めず病院へ、セーナさんとアニスさんも精神的ショックから今は心のケアを受けています。
「……それで、助けに入った洞窟内でゴブリンと戦闘になり、命からがら逃げ出してきたと」
目の前にいる眼鏡の女性が神妙な面持ちで聞いてきます。
彼女はここの副ギルド長さんです。
別件で外出中だったギルド長の代わりに、応接室で話を聞いてくださっていました。
「はい。倒しても何故か増え続けるゴブリンに危機感を覚えて逃げ出しました」
私はレオタさんと口裏を合わせ、洞窟内で起こったことを誤魔化しました。
最初、私は真実を話そうとしましたが、この話し合いの前にレオタさんに口止めをされました。
レオタさんは自分が使っていた起源武器のことや魔物を使役できること、洞窟内の装置のことも全て隠したかったようです。
考えてみれば当然です。
それが冒険者ギルドに発覚すれば、レオタさんが魔族ではないかという疑いがかかってしまう。もしかすると、正体がわかるまで拘束されるかもしれません。
レオタさんは私の命の恩人です。彼が何者であれ、そんな扱いを受けて欲しくはありません。
「追いかけては来なかったの?」
「わかりません。逃げるのに必死で後ろを振り返れなかったので……」
「貴方は?」
「私も同じだ」
嘘をつきすぎるとバレた時に疑われてしまうので、ここは知らないふりを決め込みました。
グレイウルフ達に命じてゴブリンをやっつけてもらったなんて、バレた瞬間に拘束されますよ。
「そう……。まあ、貴方達が無事で良かったわ。仲間を助けようとするのはいいけれど、それで自分まで犠牲になったら世話がないわよ」
そう呆れたように言われ、私は苦笑します。
「今回は運良く逃げられたみたいだけど、次もそうとは限らないわ。貴女は神官だから見捨てることができなかったのかもしれないけれど、冒険者になった以上は仲間を見捨てるという選択肢を取らなくてはいけない時もあるのだから」
「……はい」
私は今回の件で冒険者がいかに危険な職業なのかを知りました。
今まではそれなりに経験を積んだパーティに参加させていただいていたので、ここまで危険な状態になることはありませんでした。
副ギルド長さんやレオタさんにも言われた通り、いつかは仲間を見捨てなければいけない状況に陥ってしまうかもしれません。
「そこまで思い詰めなくても大丈夫よ。普通はこんな状態にならないようにギルドにはランク制度があるのよ。それに、今回の件は貴方達のせいだけじゃなくて、私達の調査不足も原因だもの」
ギルドにくる依頼はギルド職員の聞き取り調査等によって難易度が設定され、その難易度に見合ったランクの冒険者以上しか受けられないようになっています。
今回は依頼を持ち込んだ村の人に対する聞き取り調査だけで難易度を設定したため、ゴブリンの巣窟と化した洞窟があるなんて知ることはできなかったでしょう。
「今その洞窟には調査のためにBランクの冒険者パーティが向かっているわ。今のところ村にも被害は出ていないみたいだから安心して」
「そうでしたか。それは良かったです」
グレイウルフはゴブリンよりも強いとはいえ装置を破壊できなければゴブリンが増え続け、数の暴力で負けてしまう可能性がありました。
村に被害が出ていないということは、グレイウルフ達が勝って装置を破壊したと考えて良さそうです。
「貴方達もまだ疲れてるでしょうし、今日はここまでにしておくわ。また何かあったら呼び出すかもしれないけれど、その時はよろしくね」
「はい、わかりました」
私とレオタさんは礼をして、退室しようとしました。
「……ちょっと待ってくれる?」
副ギルド長さんに呼び止められて振り返ると、彼女は私の隣にいるレオタさんを見つめていました。
「レオタくん、だったかしら。変なことを聞くけれど、貴方と何処かで会ったことがないかしら?」
彼女の顔は先程までと変わりません。
ですが、私には何故か、不安と期待が入り交じったような表情に思えました。
「……気の所為では? 私は貴女のような女性に会ったことはない」
レオタさんはそんな彼女を見つめ返しながら、そう答えました。
あまりに素っ気ない返答です。
目上の方なのに、失礼ではないでしょうか?
「……そう」
副ギルド長さんは怒ることなく、ただ目を伏せました。
しかし、すぐに目を開け、こちらに向かって微笑みます。
「私の勘違いだったようね。呼び止めてごめんなさい。今日はもう帰ってゆっくり休んで」
そうして、私達は今度こそ応接室を後にしました。
――セフィーリア達が去った後。
「……本当に、“彼”じゃないのかしら?」
応接室に残った副ギルド長が、ロケットペンダントの中を見つめていた。
そこには彼女ともう一人の女性に挟まれる、初々しい少年冒険者が写っている。
「……全てが終わったら会いに来てくれる約束だったでしょう?」
溢れ出しそうになる涙を堪えながら、彼女はペンダントを強く握りしめていた。