第4話 類似点
大広間のような空間に、部屋を覆い尽くしてしまいそうなほど無数のゴブリンがいました。
ゴブリン達は嫌らしい笑みを浮かべ、私達を見つめています。
カイさんは入口付近で倒れていました。詳しい怪我の状態はわかりませんが、大量の血を流してピクリとも動いていないため、もしかするともう手遅れかもしれません。
次いでセーナさんやアニスさんの姿を探すと、ゴブリン達が群がっている場所がありました。一瞬だけでしたが、群がるゴブリン達の隙間から、虚ろな目をしたセーナさんが見えました。
足が、自然と後ろに下がります。
「ギャッギャッギャ!」
そんな私を嘲笑うかのように、ゴブリンにしては低めの鳴き声が聞こえました。
声の方に顔を向けると、ローブを羽織り杖を持ったゴブリンが、何かの骨で作られた椅子に腰掛けていました。
「上位種のゴブリン……」
ゴブリンは稀に上位種と呼ばれる特殊なゴブリンに進化する場合があります。あそこに座っている上位種ゴブリンは恐らく、魔法を使ってくるゴブリンメイジと呼ばれる個体でしょう。
通常のゴブリンが個としては子供に負けてしまうほど弱いのに対し、上位種ゴブリンは知能が高く、特殊なスキルを得ているため、1匹だけでDランクのパーティと渡り合える強さを持つとされています。
上位種ゴブリンは他のゴブリンを率いていることが多いです。今回ゴブリン達が奇妙な動きをしていたのは、あのゴブリンメイジが指示を出していたからでしょう。
私は、手に持っているメイスをギュッと握り締めます。
状況は圧倒的に私達が不利です。
いくら開けた場所とはいえ天井が低く、レオタさんのように背の高い人が大剣を振るえば、天井に当たってしまうでしょう。
つまり、レオタさんが使えるのは拾った木の棒だけ。そんな武器ではこのゴブリンの群れを切り抜けることすら不可能に近いでしょう。
そもそも、カイさん達だってもう助からないかもしれません。
――ですが、それでも。
「カイさん達を助けなくては……!」
彼らを置いて逃げるなんてできません。
万が一にも助けられる可能性があるなら、私はその可能性にかけたいです。
長い間睨み合っていますが、ゴブリン達は未だ襲ってくる様子がありません。私達の出方を待っているのか、それともどうやって襲うか考えているのか。しかし、あの下卑た笑みは自分達の有利――もとい、勝利を確信してのものでしょう。
「……リリー殿」
レオタさんに呼ばれ、彼の方を見ました。
彼の青い目は、私ではなくゴブリン達に向けられています。
……青? レオタさんは赤みがかった紫色の瞳をしていらしたと思うのですが……?
「彼らの治療を頼む!」
私がそう思った一瞬のうちに、レオタさんはゴブリンの群れへと飛び込んでいきました。
しかも、手に持っていた松明と棍棒代わりに拾った枝を放り捨てて。
「レオタさん!?」
私は、レオタさんが囮になろうとしているのだと思いました。
そうでなければ、丸腰で群れに突撃していくなんてしないでしょう。
武器を捨てて飛び込んできたレオタさんを見て、ゴブリン達は甲高い声で笑いました。
私はレオタさんを引き留めようとしましたが、それでは彼の行動が無駄になってしまうと、何とか堪えました。
ゴブリン達の目が彼に向いている間に、カイさん達の治療を進めなくては。そして、レオタさんを助けてこの洞窟から抜け出さないと……。
「グキャキャ……キャ?」
不意に、ゴブリン達の笑い声が止みました。
私には、何が起こったのかわかりません。
ただ、レオタさんの右手には何故か金色に輝く小剣が握られていて、彼の周囲にいたゴブリン達は顔や身体を真っ二つにされていました。
いえ、周囲にいたゴブリン達だけではありません。もっと離れた場所――ゴブリンメイジの周りにいたゴブリンも斬られています。
「ギャ、ギャギャ!」
事態の異常さにいち早く気づいたゴブリンメイジが杖を構えました。
「遅い!」
レオタさんが小剣を振るいます。
すると、その剣筋が風の刃となり、ゴブリンメイジに向かって飛んでいきました。
ゴブリンメイジは慌てて近くにいたゴブリンを掴み、それを盾にしてそれを防ぎました。
「あれは……魔法武器?」
魔法武器とは、魔力を流すことで様々な特殊効果を発動する武器のことです。
古代文明の遺跡で発見された起源武器とそれを元にして作られた複製武器の2種類がありますが、前者は見つかった時点で国宝にされ、後者は生産数に限りがあり市場には滅多に出回りません。
故に、例え複製武器であっても、生涯で魔法武器をお目にかかれる機会はそうそう無いのです。
しかしながら、私は昔、魔法武器を見たことがあります。しかも、複製武器ではなく、起源武器を。
「あの小剣はまさか……いえ、でも、そんなはず」
レオタさんの持つ小剣は、私が見たその起源武器にそっくりでした。
ですが、本物なわけがありません。
だって、その起源武器は、持ち主である勇者様と共に亜空間に消えてしまったはずなのですから。
「セフィーリア!」
私はハッとして、レオタさんを見ます。
彼の目が、私を見つめていました。
その晴れ渡る空のような蒼い瞳に、心臓が大きく波打ちます。
――勇者様と、同じ瞳……。
「俺が防ぐから、君は早く彼らの治療を!」
レオタさんが周囲のゴブリンを切りつけながら言いました。
……レオタさんのことは気になりますが、今は治療を優先しなければ。
私は最初に怪我の酷いカイさんの容態を確認するため近づきました。
うつ伏せに倒れている彼の背中は鎧のない部分が滅多刺しにされており、出血量が多いです。
しかし、脈を確認すると、非常に微かですが拍動を感じます。
「大いなる神よ、彼の者を癒し給え。初級回復」
まだ助けられる。そう判断して、彼に初級回復をかけました。
「ッ! 治りが遅い……毒を盛られたのですね」
初級回復は消費する魔力が少ないというメリットがありますが、対象が毒などの状態異常におかされているとそれを治せない上に治癒速度が大幅に下がるというデメリットがあります。
私が解毒薬を持っているか、回復魔法レベル2で覚える解毒が使えれば良かったのですが……。
このままではカイさんの治療に時間を取られ、他の2人の治療が間に合わないかもしれません。
苦渋の決断でしたが、カイさんの治療を止血程度に留めてセーナさん達の元へ向かいました。
彼女達に覆い被さるように転がるゴブリン達の死体を退けて、身体の状態を見ます。
2人とも、大きな怪我をしている様子はありません。
が、衣服が無理矢理脱がされたためか一部破れており、彼女達の秘部が顕になっていました。太腿には無数の痣がつき、陰部からの出血も見られます。
彼女達の身に何があったのかは、一目瞭然でした。
私は、胃から上がってきたものを無理矢理飲み込みました。
今ここで私まで動けなくなったら、レオタさんに負担がかかってしまいます。
挫けそうになる心を叱咤しながら、彼女達に初級回復をかけます。
傷が癒えたのを確認すると、私は更に魔法を唱えました。
「大いなる神よ、彼の者達に安らぎを与え給え。安息」
彼女達の虚ろな目が閉じ、安らかな寝息が聞こえてきます。
安息は対象に穏やかな眠りを与える魔法です。これで今は大丈夫でしょう。
「……セフィーリア、彼らの容態は?」
顔を上げると、血塗れになっているレオタさんが立っていました。
彼の後ろを見ると、ゴブリン達の死体が積み重なるように転がっていました。死体の中にゴブリンメイジのものは見えませんが、動いている個体はいません。
「まさか……ゴブリンメイジを倒したのですか?」
「そうじゃなきゃこんな呑気に君達の無事を確認しに来たりしないよ」
そう言うと、レオタさんが歯を見せて笑いました。
……レオタさんがこんなふうに笑うなんて。
彼がゴブリンの群れに飛び込んだ時から感じていたことですが、彼の雰囲気、と言うより性格が変わったような感じがします。
戦うと性格が変わるタイプの方なのでしょうか?
でも、洞窟に入る前にあった戦闘の時は普通だった気がするのですが……。
「それで、彼女達は大丈夫なのか?」
「えっ? ……は、はい。大きな怪我はありませんでしたから。ですが……その」
私が言葉を濁したと同時に、セーナさん達を見たレオタさんが眉をひそめます。
「……戻ったら心のケアもしてもらわないといけなさそうだね」
レオタさんは彼女達の秘部を隠すように自身のマントをかけました。
「カイは? 助かったのか?」
「脈はありました。酷い怪我を負っていたので初級回復をかけたのですが、毒が回っているみたいで……」
「解毒薬は?」
「持っていません……」
それを聞くと、レオタさんは何も無い空間から小さな瓶を取り出しました。
恐らく「アイテムボックス」というスキルでしょう。持っている人は10人に1人とそれなりに多いので珍しいものではありませんが、実際に見るのは初めてでした。
「これを使って」
「……これは?」
レオタさんがアイテムボックス持ちというのに少々驚きましたが、それよりも取り出した小瓶の中身が気になりました。
無色透明な液体が、細かな装飾が美しい小瓶の中で揺れています。
「ポーションだよ。カイに飲ませてあげて」
そう促され、小瓶の蓋を開けました。
私の知っているポーションは緑色をしていて、清涼感のある香りがしていました。ですが、このポーションは無色透明な上、何の匂いもしません。
実はただの水なのでは……という不安が頭を過りましたが、私はカイさんにそれを飲ませました。
すると、みるみるうちに傷が綺麗に塞がり、血の気が無くなり真っ白になっていた顔にも赤みが戻りました。
脈を調べると、一定の調子でしっかりとした拍動を感じます。
「一瞬で傷も毒も消えるなんて……。これ、もの凄く高価なポーションではありませんか?」
ポーションはその効果によって値段が変わります。
1番安い下級ポーションは状態異常は治せませんが、浅い傷なら一瞬で回復させることができるそうです。しかしながら、その値段は平均的なEランク冒険者の1年分の収入と同じくらいします。
中級ポーションはその倍以上、上級なら更にその倍の値段で取引されています。
私は初級ポーションも使ったことがありませんが、このポーションは上級ポーション以上の効果がありそうでした。
「貰い物だから値段は知らないけど、そもそもポーションはこういう場面で使うものなんだから気にしないで」
レオタさんは特に気にしていないようでしたが、これを売ればかなりの金額になったはずです。
もしこれを売っていたら、わざわざ冒険者にならずに済んだのではないでしょうか……。
「何か言いたそうだけど、今は早くここを出よう。カイ達を起こす暇も無いかもしれない」
「どういうことですか?」
「俺の予想が正しければ、ここは……」
その時、「キーン!」という耳鳴りのような音がしました。
「まずい! セフィーリア、ここを離れよう!」
レオタさんがそう言った直後。
入口の反対側――ゴブリンメイジが座っていた椅子の周りが歪みました。
そして、歪みの中から大量のゴブリンが姿を現したのです。
「なんですかアレ!?」
「やっぱりあったか。あれは魔物を生み出す装置だ。起動すると動力源が無くなるまで魔物が湧いてくる」
何故レオタさんがそのようなことを知っているのかは、今は後回しにしましょう。
私はセーナさんとアニスさんを肩に担ぎました。
「レオタさんはカイさんをお願いします!」
「……その状態で走れるのか?」
「大丈夫です。私、筋力上昇スキル持ちなので!」
ゴブリン達がこちらに気づき、けたたましい鳴き声を上げながら向かってきます。
レオタさんはカイさんを担ぎ、風の刃でゴブリン達を退けさせました。
「今のうちに出るぞ!」
私達は出口を目指して走りました。
何度か追いつかれそうになりましたが、その度にレオタさんが追い払います。
そして、何とか洞窟を脱出しました。
後ろを振り返りましたが、ゴブリン達の姿はありません。
私は、ホッと息をつきました。
「――グルルルゥ」
……嫌な声が聞こえてきました。
私は、恐る恐る森の方を見ます。
「グレイウルフの群れ……」
そこにいたのは、十数匹もの群れを成している狼の魔物達でした。