第9話 「貴様は一体何なのだ?」
翌朝、私はベッドの上で起床しました。
昨晩、私はレオタさんにベッドを譲ろうとしたのですが、断られてしまいました。
なんでも、勇者様は旅をしている間横になって眠ったことがないらしく、レオタさんも横になって眠れないのだそうです。
魔王は睡眠を必要としていなかったそうで、それも横になれない理由の一つかもしれないとも仰っていました。
勇者様が旅をしていた時はいつどこにいても魔族に襲われる心配があったから仕方ありませんが、今は野宿や余程治安の悪いところでない限りはそんな心配はいりません。
レオタさんにも横になってゆっくり休んでもらいたいのですが……それには時間がかかるかもしれません。
結局、私はベッド、レオタさんは床に座って昨日は眠りました。
そして、今。私は彼の姿を探しました。
しかし、どこにも見当たりません。
「顔を洗いに行かれたのでしょうか」
私も顔を洗わなければと、ベッドから降りようとした時です。
私の目の前に、青色が広がりました。
青の中心には黒いダイヤの形の模様が入っています。
よく見ると、それは白い毛の中で長く黒い毛に縁取られています。
黒いダイヤが瞳孔で、長く黒い毛がまつ毛であると気づくのに、そう時間はかかりませんでした。
「……ひゃあああ!?」
目の前に広がるのが何らかの生物の瞳であるとわかった瞬間、私は悲鳴をあげていました。
ついさっきまで襲われる心配はないとか言っていたのは何処の誰ですか!?
私でしたね、ごめんなさい!
「……喧しい。甲高い声で鳴くな」
その女性の声は、明らかに目の前の生物から聞こえてきました。
「しゃ、喋った!?」
「いちいち煩いぞ。私が人の言葉を解すのは当たり前だろう」
そう言われましても、私にはその生物の目の周りしか見えず、全体像を把握することができません。
故に、目の前の生物が一体何なのか、私にはわかりません。
その「わからない」というのが、顔に出てしまっていたのでしょう。
その生物は「ああ」と何か納得したように声を漏らしました。
「この場が狭くて貴様の位置だと見えぬのだな。しばし待っていろ」
すると、その生物の目が小さくなっていきます。
いえ、目だけでなく、部屋に何とか収まっていたそのお顔全体が縮んでいきました。
しばらくすると、その生物は何も無い空間にできた穴の中から、その全貌を現しました。
「これで貴様にも、私が何であるかわかっただろう?」
そう言って、その生物は――いえ、彼女は鼻を鳴らしました。
尊大な態度をとるその全身は真っ白な毛に覆われ、面長の顔や尻尾まで毛が生えています。
鋭い爪を持った2本の足で床に立ち、前脚に当たる部分は鳥のような羽になっています。
長い首の先にある頭には、巨大な銀色の角が2本生えています。
その方は、深い海のような青色の瞳を私に向けていました。
「翼竜……さん、ですか?」
実際に見たことはありませんが、本で見た翼竜の絵によく似ています。
しかし、それを聞いた彼女は不機嫌そうに顔を歪めました。
「あのような低脳共と一緒にするな。確かに肉体の種族的には翼竜だが、私は貴様ら人間が『聖竜』と呼ぶドラゴンだ」
「で、では、やはり『白銀の聖竜』様なのですか……!?」
「そうだ」
ほ、本物……!
レオタさんのお話の通り、フワフワした毛並みがお美しい方です。
……ほんの一瞬だけ抱きつきたくなる衝動に駆られましたが、流石にそれはまずいので何とか堪えました。
「『白銀の聖竜』様がどうしてこちらに?」
「どうしても何も、私は呼ばれたような気がしたから来ただけだ」
「呼ばれた……ような気がした?」
確かに昨日、レオタさんが呼んでいましたが、「気がした」というのはどういうことでしょうか?
それに、その呼び掛けに答えて来てくださったのだとしても、今になって来られた理由がわかりません。
「……弱かったのだ、私を呼ぶ声が。ハルタの呼ぶ声はどこにいても一定の音量で聞こえてくるはずなのだが、今回は気の所為ではないかと思うほど小さかった。それに、声の雰囲気もハルタとは違っていた。だから、警戒して時間を置いてからこちらに来たのだ」
呼んだのはレオタさんなので、「白銀の聖竜」様が違うとお思いになるのも当然でしょう。
ですが、そのことをどうやって説明すれば良いのでしょうか?
「それは……ちょっとした事情があると言いますか……」
「うん? 貴様は何か知っているのか?」
「白銀の聖竜」様のギョロリとした目に睨まれて、思わずドキリとしました。
何も悪いことはしていないのに、この方の前では何もかも筒抜けなのではないかと感じてしまいます。
「は、はい。実は、『白銀の聖竜』様をお呼びしたのは勇者様ではなくて……」
「は、何を世迷い言を。契約者であるハルタ以外に私を呼び出せるわけがなかろう」
「ああ、いえ。勇者様ではないのは確かなのですが、勇者様であったと言うべきなのか……」
ううん、思った以上に説明が難しいです。
レオタさんご自身もよくわかっていないようなことを、私が説明できるわけがないとはわかっているつもりでしたが、こうも説明できないと悲しくなります。
レオタさんのことを理解しているつもりでありながら何も理解できていなかったのだと、現実を突きつけられた気がしました。
「ますます意味がわからんな。ハルタはハルタであろう。貴様らが勝手に『勇者』と崇め奉っていただけで、魔族を滅ぼして帰還した彼が『勇者』ではなくなっても私の契約者であるハルタには変わりない」
「ち、違うのです。勇者様――ハルタ様は、ハルタ様でもなくなっているのですよ」
私がそう言うと、「白銀の聖竜」様は訝しげに目を細めました。
「……貴様の言っていることはわからん。だが、貴様は私を呼び出した人物について知っているのだろう? そいつを呼んでくるがいい」
「は、はい!」
顔を洗いに行っているのだとしたら、レオタさんは外の水場にいらっしゃるかもしれません。
どことなく「白銀の聖竜」様は機嫌が悪そうですし、急いで探さないと……。
「――リリー殿? 誰かと話をしているのか?」
部屋の扉の向こうから、レオタさんの声がしました。
タイミング良く戻ってきて下さったようです。
「レオタさん、事情を説明しますので中に入って来て下さい!」
「あ、ああ」
ゆっくりと扉が開くと、戸惑った様子のレオタさんが顔を出しました。
「リリー殿、事情とは一体……?」
レオタさんと「白銀の聖竜」様の視線がぶつかりました。
レオタさんの目が見開かれ、瞳が青色を帯びていきます。
「君は……」
レオタさんの顔に、わずかに喜色が滲みます。
しかし、「白銀の聖竜」様は鋭い視線を彼に向けました。
「……何だ、貴様は?」
それは、背筋が凍りそうなほど冷ややかな声でした。
そして、「白銀の聖竜」様は射殺しそうなほど鋭い視線をレオタさんに向けました。
「人族から感じる拍動も、魔族から感じる魔核の魔力も感じない。――貴様は一体何なのだ?」