前に進むということ①
「絆ーっ! そろそろ起きなさい! もうお昼よ‼」
朧気な夢から引き覚ます、少し遠くから聞こえた声。
布団の温もりがひたすらに愛おしい寝起きは、これで幾度目になるだろうか。
入院中での寝起きは検温や食事などが決まった時間に行われていた。それがどうにも機械的で苦手だったが、その点ここでの生活は若干のルーズを許される。抱きしめた新品同然の布団の柔らかさが身体を溶かす。
あと五分程の微睡を味わいたかったが、そろそろ痺れを切らしてお母さんが部屋に入って来てしまう。それだけは避ける必要がある為、入院中よりも軽くなった身体を起こし、瞼を擦る。
「……変わらず、か」
見慣れて来てしまった、殺風景な部屋を一望する。
空っぽの本棚。病院から持ち帰ったバッグのみが置かれたクローゼット。幾枚かの衣服のみが入った収納ボックス。
おおよそ人が住んでいたとは考えにくい程、生活感が欠けた部屋だと思う。
いや――生活感が失われた、が正しいのかもしれない。
目覚めた日、病院で目にした光景は他の場所でも同様に起こっていたのだろう。初めてこの家に帰って来た時、案内された部屋は今以上に何も残されていなかった。それを見た両親が愕然としていたのは記憶に新しい。
わたしが元の部屋の様子を知らない事を上手く使った辺り、両親は強かだと思った。絆に頼まれて、部屋をキレイにしたばかりだったんだと、明るく嘘を吐かせてしまったのは心苦しかったが。それぐらいは、例え記憶が無かろうと察知出来る。
恐らく、この殺風景な部屋には弓削絆の痕跡が大量に残っていたハズ。病院で失われる様に見えたあれは、弓削絆に関係するモノが何らかの理由で喪失してしまった作用なのだろう。
詳しい事は不明だが、どうやら弓削絆が失ったのは記憶だけでは無いようだ。
「……ふわ……」
思考を遮断するかの様に欠伸が漏れる。立ち上がり、大きく伸びをした。
寝ている間に、何か変化が起こらないかと期待しながら、毎晩床に付く。そんな淡い望みが目覚めと共に消えて一日が始まる。それが、わたしにとっての睡眠と言う生活サイクルの一部。
そして今日も恙なく、無事に睡眠を終えてしまった。