繋ぎ、繋がれて⑦
「へー。そんな事があったんだ。私、全然気付かなかったなあ」
「まさか、あの匿名ラブレターが昔一目惚れした相手からだったとは……随分な運命を感じるよな」
「でも、絆ちゃんからしてみれば、ほぼ初対面だもんね。その人も、理解ある優しい人で良かったね」
連休の間にある平日の放課後。いつかのリベンジと言う事で、わたしは友達二人と一緒に有名な喫茶店に来ていた。
そこで起こった顛末を、ストーキングや脅迫の件を隠して簡単に説明した。二人は興味深く耳を傾け、面白そうに相槌を打ってくれた為、明るく話せたと思う。
結局、わたし達は偽りの関係に終止符を打った。あの日、大量のノートだけが戦利品となり、夕方どころか昼前に帰宅したわたしは、琴葉に色々と追及をされている。
仕方なく、彼氏と別れた旨だけを伝えた。すると琴葉は、驚愕したり安堵したりと慌ただしく表情を二転三転させた後、一言だけ言って会話を終わらせた。
『ま、いっか。お姉ちゃん、満足そうだし。最後に私の所に戻って来れば、それでいいや』
これまでに聞いて来た言葉の中で、意図を汲み取れないモノがいくつかあったのを連鎖的に思い出す。
いつか、わかる日が来るのだろうか。
「あれ、絆ちゃん? あんまり美味しくなかった?」
「え? あ、ううん、凄く美味しい。ちょっと考え事してただけだから」
わかる日が来るのを待つのではなく、わかる為に前に進もう。それが、これからも変わらない、わたし自身が選んだ生き方だ。
そんな日々を続ける為にも、『生命の記憶』をもう少し調べたく思ったのだが、不可能になってしまった。
高垣家から帰宅した後、再度本棚に刻まれた文字を確認したかったのだが、かつてお父さんとわたしを救った本棚は、跡形も無く消え去っていたのだ。わたしが高垣君に、彼女の死に直面させた後に起こった為、虚構の蔓延を防ぐ機能の様なモノが備わっていたと考えるべきか。もしそれが正しいのであれば、かつてのわたしが言う様に、よく出来た術だ。
お父さんに本棚が無くなってしまった事を謝ると、二人の命を救って疲れちゃったんだろうね、と少し楽しそうに呟いていた。
『また新しい本棚を買って、同じ様に大切にすれば、前に大切だったモノもきっと忘れないから大丈夫だよ』
そう言いながら、優しくわたしの頭を撫でてくれた感触は、今でも思い出せる。
あの外法については、既に彼女が調べていた様に、大した情報を新たに得る事は叶わなかった。今出来る事は彼女が託した時間を、惜しみなく満喫する事ぐらいだ。
その象徴として、今目の前に置かれている魅力の塊を味わおう。
ストローを口に含み、舌触りのざらざらした液体を味わう。とろける様な甘みの中に苦みがしっかりと効いていて、香り高い。この抹茶ラテは、文句無く美味しい一品だ。
「そうなんだ。きーちゃんの頃から、味覚が変わったのかと思って怖かったけど、そうじゃないんだね。今度食べ歩き、一緒に行こうね♪」
「……そう言えば、わたしって前から食べる事が好きだったかな?」
五十嵐先生から、昼食は簡素なモノを食べている事が多かったと聞いている。仁科さんは一瞬も考える事無く、首を縦に振った。
「うん。私達以外に見せるのが恥ずかしかったらしくて、家族の前とかでも遠慮してたみたいだよ」
「家族とか学校の奴らの前で我慢した分、俺達と一緒に居る時に食欲が爆発してたけどな。一回気前良く飯奢るって言った時、流石に戦慄したの良く覚えてるぜ。あいつ、男子三人前は平気で食ってたからな」
「そうなんだ……」
わたしが臭いを嗅がれる時に感じるそれに近い、と言う事だろうか。とは言え今更隠した所で遅いし、わたしには隠す理由も無い。
皆が、過去に恥ずかしいと思ったわたしでさえも、受け入れてくれるのだから。
「あの時に比べれば、今回のなんて全然大した事無いな‼ マフィンでも食うか、なんつって‼」
「トモ君、すぐに金欠になる癖に、月初めはいつもこれだから……お手柔らかにお願い、絆ちゃん」
話していた通り、友山君は満面の笑みで三人分の抹茶ラテ代を払ってくれた。貰ってばかりだと悪いので、何かのカタチでお返し出来ればとも思うのだが、彼は何をしたら喜んでくれるのだろう。
臭いを嗅がせたら、彼も喜ぶのだろうか。
「ん? どうした弓削、俺の顔を凝視したりして……まさか、お前も俺に惚れてしまったのか? いやー、罪作りな男だな、俺って‼」
「はいはい、そう言う事は私だけに言ってねー。絆ちゃん、冗談通じないんだから」
「こりゃ失敬」
談笑と言うよりも夫婦漫才に近いそれを見せられ、わたしは考える。きっと仁科さんの香りで満足しているだろう、そちらはわたしの出る幕ではないか。
濃い緑色の甘美を啜り、頭を悩ます難題に溜め息を漏らした。
「絆ちゃん、もしかして、好きな人とか出来た?」
「……へっ?」
多分この時、わたしはとんでもなく間抜けな顔をしていたと思う。聞かれた事の衝撃が大き過ぎて、頭の処理が追い付かなかったのだ。
「おっ、もしかしてさっき言ってた運命の人か? ここ来る前に、楽しそうに水やってた花壇も、その人が大切にしてた花の種が植えてあるって言ってたもんな」
「いや、さっき別れたって……でもそっか、そこから始まる恋もあるよね。産まれる前からの運命……なんだか、とても素敵だよね。多分その人も諦めて無いだろうし♪」
茶化す様に意地悪く笑う友山君と、うっとりとしている仁科さんの姿を見て、わたしの心から焦りが滲み出した。
「い、いやいや……なんでそうなるの? 第一、彼にその気が無いし……臭いも嗅いで貰えなかったし……恋人なんてとてもとても……」
「匂いって、まさか体臭か? そう言えば前も気にしてたな、なんで急にそんな話が出て来るんだよ?」
「え? 二人が言ってた、人目を憚る様な恥ずかしい事って……それじゃないの?」
信じられない、と言った表情でわたしを見つめる四つの瞳が、わたしの間違いを語っている。何か盛大な勘違いをしている様な気もするが、まあ死の恐怖より取り返しの付かない事など、そこまでは無いだろう。色々な意味で、超えて来た死線が違うのだ。
「……優希、お前のせいでもあるぞ、多分」
「……えっ、私⁉」
「そりゃそうだろ‼ 琴葉ちゃんもそうだけど、お前が弓削の匂いを嗅いでたからきっと変な勘違いを起こしてんだコイツ‼」
「でっ、でも勉強とか普通に出来るのになんでそう言う知識が……あっ……」
「そう言えばそもそもアイツ、恋愛経験ゼロじゃん‼ 多分学校で教わった性知識と恋愛感情が合致してねえんだ……‼ こりゃやべえぞ、昔の弓削はルックス良くてもただの変人だったから良かったけど、今のおしとやかさを手に入れた弓削は普通にモテる……‼」
「……なのに、正しい男女関係の線引きが無いって事……? 嘘、これもしかしてチャンスかな?」
「言ってる場合か⁉ つーか俺の立場ぁ‼」
二人して言いたい放題だな、と他人事の様に思いながらわたしは再び口内を糖分で満たす。線引きと言えば、確かに失ったと考えた時期があったが、元から無かったのならば失い様も無いなと思いながら、甘美なひと時に酔いしれていた。
「あれ、絆?」
混沌とした場に、聞き慣れた声がまったを掛けた。清潔感の漂う私服を纏った湊さんが、わたし達と同じ紙製のカップを手にテーブル脇に立っている。
「あ、湊さん。こんにちは」
「こんにちは。そっちの二人は友達?」
「あ、はい。クラスメイトです」
爽やかに話す湊さんに、二人がおずおずと会釈をしている。先程までの威勢はどこに行ったのかとも思ったが、これで萎縮してくれれば儲けモノだ。
そんな邪な事を考えるわたしに、湊さんが時計を気にしながら言う。
「まあ、積もる話は今度でいいか。例の事故の件、絆と通報者の証言のおかげで、俺の無実が明らかになりそうなんだ。ただ、事故そのものが誤報って扱いになりそうで、ホントの犯人が見つかるアテも無いみたいだけど、絆はそれで良かったの?」
高垣君と語り合った翌日、わたし達は警察署に捜査の中止を要請した。両親もわたしがそう望むなら、と詮索せずに同行してくれたのだ。
物証の挙がらない交通事故だと警察も手を焼いていて、事故を担当していた方が丁度居た事もあり、何かとスムーズに進みそうだ。後は事務的な処理に時間がかかるとの事だが、上手く行けば湊さんの疑惑は完全に晴れるだろう。
「……そもそも、交通事故なんて起きてないのに、これ以上迷惑掛けるワケにも行かないですから」
「……わかった。絆が何を知っているのかわからないけど、俺も正直お手上げなんだ。その厚意は素直に受け取らせて貰うよ。そうだ、新しい連絡先教えて。交換して置こうよ」
わたしは首肯し、高垣君に教わった方法で、湊さんと連絡先を交換する。まだ登録数の少ない電話帳に、少しずつ名前が連なって行く。まるでわたしの歩んで来た足跡が、カタチとして残っている様だった。
「それじゃ、俺これから友達と会う約束があるから、これで。もし何か困った事があったら言ってくれ、なんでも力になるからさ。あと、あの事は一応、内諸で頼むよ」
「ありがとうございます。彼にもそう伝えておきますね……それでは、また」
手をひらひらと振りながら店を後にする湊さんの背中を見送り、抹茶ラテを飲む。良かったのか、と聞かれて一瞬正しい事をしているのか不安にはなった。
けれど、自分がした事に後悔は無い。例えそれが他者から見て間違っていると思われていても、これが自分でしっかりと悩んで、自分で決めた結末なのだから。
頬が綻ぶのは、達成感故なのか。それともこの甘露が及ぼす嬉々故なのかはわからない。
それでも、心が得体の知れない温かな何かで満たされているのは、しっかりと感じた。
「絆ちゃん、もしかして今のが学校でウワサになってた大切な人……? 私達にもちゃんとは教えてくれなかったけど……まさかホントに……?」
「こいつはビックリだぜ……あんなに爽やかで屈託の無い男の顔を始めて見たぞ……‼」
「そう言えば、わたし達が途中で帰った日の事を話で聞いたよね? ホームルームで鬼アラモードと禁断の関係がなんとか言ってたって……」
「うおおおおお……‼ それに運命の人に実の妹、優希も居るから……恋愛偏差値ゼロの弓削に、モテ期がマジで到来しちまったのか⁉」
「絆ちゃんにとって嬉しい事かもだけど……これちょっとヤバいよね……?」
種違いの兄、歳の離れた教師、元ストーカー、実の妹、両刀使い。
確かに、過去の記憶を持たないわたしですらも普通だとは思えない好意のラインナップだ。
でも、皆わたしの大切な人達だ。その事実に、変わりは無い。
「……なんかニヤケ出したぞ……なんとかしねえと。優希、お前責任取ってやれよ」
「私だけっ⁉ そんな、だーりん酷い‼」
「呼び方戻ってるし……仕方ねえ、このバカをなんとかするぞ……二人で」
「……うん♪ って絆ちゃんをバカにしないでよ‼ いくらだーりんでも……‼」
「そんな事言ってる場合じゃねえだろ⁉ つーかそれ、似た奴をこの前やったから‼ あ、今度のは今の弓削に対してか……ああもう‼ おい、弓削からも何か言ってやれ‼」
「え、うん……二人共、バカなんだね」
「貴方「お前の事を言ってるんだよ‼」」
憤慨するバカップルを前にして、互いにバカと言えるのは仲の良い証拠かな、と下らない事を考えた。
呪われたくはない為、彼女の事は敢えて口にはしないけれど。
きっと、弓削絆がこの二人に心を許せているのは間違いないと思う。
うるさくも、心地よい喧噪に耳を傾け、幸せを味わった。
わたしは甘く染まった溜め息を一つ吐く。
右手で揺らす大きなカップは、ずっしりと存在を主張していた。
騒がしいティータイムは、まだ終わりそうにないらしい。
たくさんの経験を積んだからこそ辿り着けた、安らげる場所の一つなのだ。
もうちょっとだけ、ゆっくりしたいと思ってしまう。
でも、少し休んだら、また歩き出そう。
そのくらいの休憩なら、この足跡も――きっと途切れる事はないだろうから。
「弓削、何この大変な時に黄昏れてんだ⁉」
「絆ちゃん‼ 戻って来てよぉ‼」
「……え、呼んだ?」
「「なんでそんな悠長に構えてるのさ⁉」」
こうして今日も、弓削絆と呼ばれる少女の足跡が絶えずに刻まれて行く。
途切れたハズの道の先にある日々は、まだまだ終わらない。
今は見えぬ、命の旅路の果てに――ピリオドを打つその時まで。
/days. 終




