繋ぎ、繋がれて④
「絆さん。お話があります」
人通りの少ない場所で、頬に一撃を入れた所でようやく我に返った高垣君。終始考え事をしている様な顔の彼に、家に来ないかと誘われ、わたしは首を縦に振ったのだ。
そして、弓削絆の行動を記した大量の日記帳を渡された。小奇麗なベッドに腰掛け、それに目を通しているのが現在だ。重い沈黙を破る様に、彼が力強く口を開く。
「僕は……僕は……とんでもない勘違いをしていました……‼」
「……何を、かな?」
日記帳――彼は教えて貰った行動の記録と言い張ったが、弓削絆のストーキング記録そのものだ――を一度閉じ、震える少年に向き直る。
「……最初は、デマだと思ったんです。絆さんに、彼氏が出来たなんて……でも、絆さんの口から聞こえてしまった……大切な人だ、と……‼」
自分の種違いの兄。成る程、確かに弓削絆からしてみれば、大切な人に違いない。
しかし、事情の知らない人がそれを聞けばどう思う――校門付近ですれ違った女子生徒も言っていた。
――例の『彼氏』、と。
「居ても立ってもいられなくて……僕は、すぐに行動を起こしました。その恋人の欠点を暴く事で、奴と別れさせようとしたんです……でも……」
「……悪い所が、見当たらなかった?」
俯く高垣君の頭が、深く沈んだ。
「……良家の出身で、成績優秀。友達にも恵まれて……絆さんの相手に、相応しいとしか言い様がありませんでした……それで、僕は……」
「わたし――弓削絆が清廉潔白な内に殺す事で、思い出を汚させない様にしたんだね」
「……えっ⁉ なっ……なんでそれを……」
見上げる彼の目線から逸らさず、わたしは真っ直ぐに眼鏡越しの瞳を見つめる。観念したのか、高垣君は悔しそうに、小さく頷いた。
「……それしか、無いと思いました。友達も、学力も、直接声を掛ける勇気も無い僕が絆さんと一緒になる為には……意思を、魂を失わせるしかないと……ですが……‼」
「わかってる。貴方は予告状を出したけれど、実行していない――違うね、実行する前に、弓削絆は死んだんだ。きっと、貴方の目の前で」
「なっ……なんでそう思うんです……?」
不思議そうに狼狽える彼を見ながら、わたしは自分の髪を指でつまむ。
「……髪の色だよ。わたしに変わってから出会った人は皆、その時に必ず髪について触れてたんだ。これだけ目を引く髪の毛だからね。でも貴方は違った……きっと、何処かで既に弓削絆が白い髪の状態を見ている、そう思った」
「で、でも、入院中とか、別の機会に見ていただけですよ……‼」
「初めて会ったのが、わたしが目覚めた時。それ以前は面会謝絶だと、貴方が言っていたからね。これらが意味するのは、貴方が白髪の弓削絆を何処で見る事が出来たか、だね」
「……それ、は……」
「事故が起こり、彼女とわたしが入れ替わった時に白くなったのであれば、可能なのは事故現場ぐらいだよね? もう一度聞くよ高垣君。あなたは――何を知ってるの?」
夕焼けを背に躱された問いを、再度ぶつける。高垣君は何も言わず、机に近寄る。
引き出しから数枚の写真を取り出し、テーブルの上に広げた。
「……っ!」
一度何処かで見た、赤く塗り潰されたハズの『真実』がそこにはあったのだ。
「あの日、絆さんと、仁科さんと友山。いつもの組み合わせで訪れた喫茶店を後にして、絆さんは帰路に就きました」
「その途中……そう、このカーブミラーがある場所で、不慮の事故が起こった」
重苦しく、彼は頷く。猫が飛び出してそれを避けたらその先に、とそこまで続けて口を閉ざし、視線を落とした。
白い軽自動車が衝突し、根本から折れ曲がっているカーブミラーの写真を指差す。血や車両の破片が散らばった衝撃的な写真。だが決して、目を逸らしてはいけないと思った。
「はい……弓削さんの身体は弾き飛ばされて、丁度曲がったカーブミラーが向いた先に落下しました……僕はワケがわからなくなって、持っていたカメラでひたすら写真を撮りました……」
「……うっ……‼」
赤黒く広がる海の中に、染まった衝撃で激しく損傷した黒髪の少女――弓削絆の姿が写し出されている。高垣君の手が写真を覆い、あまり詳細は見られなかったが、確かにその姿から生気は感じられなかった。
「僕は、慌てて駆け寄りました。車内から運転手は出て来る気配が無く、気を失っている様でした……中を覗いたら……ずっと探っていた……」
「湊さんだった、と言うワケか……全部がようやく繋がったね」
弓削絆の計画は、見事に失敗していたのだ。
予定された――抗う為に準備を進めていた死よりも早い、不慮の事故に崩されていた。
計画通りであれば――五月頃、今目の前に居る、この男に殺されるハズだったのだから。
「倒れる絆さんの身体を呆然と眺めていたら、何故か僕は事故が遭ったハズの場所で目が覚めたんです」
「……目が覚めた?」
そう言えば、彼女から受け取った手紙に夢を見たとかなんとか書いてあった様な気がするが、『生命の記憶』が歪めた真実の影響だろうか。
「全部夢だったんだと思って、安心して辺りを見回したら、絆さんが倒れてて……また慌てて近寄ったんです。同じ事をしている、と身体がわかっていました」
「でも、わたしの身体は特になんともなかったんだよね?」
「はい。髪が白かったのに違和感を覚えたのもその時です。脈も呼吸もありましたし、ただ寝ている様でした……それで安心して、かつての写真で髪の色を見ようと、デジカメのデータを確認したら……」
「……この写真が残っていた、と」
他人の所有物や記録に影響が出ない――恐らく、死の瞬間に関わった者を守る為のルールが産んだ奇跡だった。
車が死の直接的な原因になる為、所有者の湊さんの行動ごと歪んだのだ。この写真さえ無ければ、彼と同じ様に真実に逆らわずに済んだのかもしれない。
だが、高垣君は今となっては虚構でしかないが――わたし達が知っている、確かな死に触れてしまった。最高の親友が涙を流して弔った、あの聡明な少女の死に。
この話が全て実話だとすれば、彼女の喪失と共に、事実では無くなった事故を知っている人間は一人のみだ。その者のみが起こせる行動は――。
「……匿名での通報と救急要請は、あなたのしてくれた事だよね?」
「……はい。それ以外に、やれる事が無くて……写真だけの証拠なんて、合成を疑われて終わりでしょうし。そもそもこれが何なのかは、絆さん達の話を立ち聞きしてなければわかりませんでしたから」
「……成る程、ね」
交通事故が起こっていないのに、証拠が見つかるワケがないのだ。全ては、過去の上から外法によって、真実が塗り潰してしまったのだから。
交通事故は起こらなかったが、歪みの影響が及ばないモノとして、個人の所有物では無いカーブミラーのみが当時のまま残っている、と言った所だろうか。
「そしたらわたしが、事故なんて起こってないって証言すれば終わりになるのかな?」
「えっと、多分そうなるとは思いますが……それで、いいんですか?」
「……良いも何も、実の兄を起こってもない事故で問い詰める理由が無いでしょうに。きっと、何かやんごとない事情があったんだよ」
「……わかりました。そしたら僕も一緒に証言します。白い軽自動車が通った後に来た女の子が通って倒れたモノだから、パニックになって記憶が定かでは無かったと」
「うん、ありがとう。これで弓削絆の交通事故疑惑は終わりだね」
彼の証言だけでは薄いだろうが、事故に遭った本人が偽ってまで事故が無かった、と証言するメリットは無い。時間はかかるかもしれないが、湊さんの疑惑は晴らせるだろう。
ひとまずこれでまた一つ、因縁を終わらせる事が出来た。だが、ここで終わるワケでは無い。明らかになった――信じていた事の裏付けが取れた今、立ち止まる理由は無い。
「……病院で言ってた『伝えなきゃいけなかった事』……これで、全部?」
わたしは一呼吸置いて、本題に移る。
そう――全ての始まりになった問題に、決着を付ける為に。




