決別と継続⑨
「「「ご馳走様でした」」」
高垣君と共に下校し、わたしは寄り道をせずに帰宅した。
両親と娘が囲む、いつも通りの夕食の後。わたしは使用した食器を持ち、洗い場へと向かう。
「あ、絆、ありがとね。もうお風呂湧いてるから……」
「……手伝う」
お母さんの言葉を遮る様に、短く言う。
「ありがとう。でも、無理しなくて」
「してないよ……お母さん」
目を真ん丸にして驚くのは、無理もないのかもしれない。後ろでがちゃん、と陶器と食卓がぶつかる音がした辺り、二人して驚愕しているのかもしれない。
実は、面と向かってこの女性をお母さんと言ったのは、生涯で初めてだった。我ながら親不孝者だと思う……が、これでもかなり悩んだのだ。少しぐらい大目に見て欲しい。
なんだか、図々しさまで引き継いでしまった様な気がするが……まあ、逆に彼女らしいのではないだろうか。
開き直り、とことん娘として家族を喜ばせたい。それがわたしの、弓削絆を取り戻す以外に出来る事なのだから。
「あ、でもやり方わかんないかもしれないから……教えて欲しいな」
「……ええ、勿論」
どう言った心境の変化なのか等、疑われても仕方ないと思っていたが、両親は何も聞かず受け入れてくれた。本当に優しい親だと誇りに思いながら、わたしは自分の居場所を再確認する。
わたしの事情は知らないかもしれないが、娘だと思ってくれる人が居る。言葉を素直に受け止めただけなのに、心が安らいで行くのがわかる。
最初からわたしに向けられていた言葉が曲がりくねった道を経て、ようやくわたしの元に辿り着いた気がした。
手伝いを終えた後、寝る支度を整えてから自室に入る。今日の復習と明日の予習をする為に、床に勉強道具を広げた。
「……机、買ってもらおうかな」
高価なモノではなくて大丈夫だが、少し高さが欲しい。周りに何かないか探してみるが、全て彼女と共に失われたのだ、まともなモノなどほとんど残っていない。
収納ボックスを引きずり、布団の近くまで持って行く。これならそこそこ役に立ちそうだ。
しかし、いずれ返さねばならないのは変わりない。
後は本棚ぐらいしか無い為、やはり購入を検討すべきだ。
「……本棚、か」
確か琴葉が、お父さんの命の恩人だと言っていた気がする。
ふと気になって、近付いてみた。
あちこちを観察するが、やはり少し古びた、ただの本棚にしか見えない。
コンコン。
背後から聞こえた、扉をノックする音。一瞬琴葉かと思ったが、今日はまだ平日の真ん中辺りだ。
『絆、ちょっといいかな?』
「あ、はーい」
扉越しに聞こえたお父さんの声に返事をする。扉が開かれ、如何にもお風呂上りだと言わんばかりの姿で、お父さんが入って来た。
「んー、やっぱりちょっと殺風景だな。今度家具を買いに行こうか」
「いいの?」
「ははは。いいも何も、家族の為に使うお金を稼いでるんだから、今こそ使うべきだろう」
「……ありがとう、お父さん」
心の底から出た、お礼の言葉。お父さんはわたしをしげしげと見つめてから、優し気な表情で口を開く。
「絆。もう、大丈夫か?」
「えっ?」
「いやだって……僕達の事、避けてただろう? 多分、絆なりの気遣いだったんだろうけどね」
「……う」
返しづらい質問に、言葉が詰まる。
そんな事はない、と強気に言えればいいのだが、生憎まだわたしにそこまでの余裕は無い。
今日起こった事に向き合いながら気を利かせる等、不可能だった。
「最初は戸惑ってるだけだと思ってたけど、どこかよそよそしかった。でも、絆がそうしたいなら受け入れるだけだ、と思って接してたけど、ホントはちょっぴり寂しかったさ」
苦々しくも明るく笑うお父さんに、少し申し訳なく思いながら髪を弄るわたし。
「絆。記憶があっても無くても。例え、これまで一緒に過ごした事が無くても、僕と梓、そして琴葉は君を家族として迎える。いつだって、お帰りって言うから、安心して帰っておいで」
「……ふふ」
お父さんが真顔で言った言葉に、つい笑みが零れた。
「あ、あれ……? 何かおかしな事言ったかな、僕……?」
「そう言うの……普通、もうちょっと早く言うんじゃないかな?」
「えっ⁉ いやだって、家族っぽい事をすると絆が辛そうな顔してたから、まだ早いと思ってたんだけど……それに、絆が学校に行き始めて、まだ二日しか経ってないよ」
「そう言えば、まだそれしか経ってないんだっけ。なんだか随分長い時間を過ごした気がするけど……まあ、その……うん、ありがとう。気を遣ってくれて」
「……絆こそ」
例え過去の思い出が無くても、これからを笑い合う事なら出来る。
誰かが彼女の事を思い出して辛そうな顔をするのなら、わたしが笑顔にすればいい。
最初からただそれだけの、単純な事だったのだ。
随分回り道をしたが、自分の意思でここまで来れて良かったと思う。
何もなかったハズのわたしには今、数多の思い出が積み重なっている。
わたしをわたしだと証明する、確かな記憶が、ここにある。
感傷に耽っていると、お父さんが本棚に目を留めている事に気が付いた。
「そう言えば、その本棚って……」
「ああ、うん。僕はホントに小さな頃、事故からこの本棚に助けられてね……まあ、僕は全く覚えてないんだけど、高校生ぐらいの時に、一応記念として貰ったんだ」
「ふうん……ん? 覚えてないって、そんなに小さかったの? 琴葉が教えてくれないって言ってたけど」
尋ねるわたしに振り返り、お父さんは頷く。
「うん。それこそ絆と同じってワケじゃ無いけど、全然身に覚えが無くてね。それに、当事者は夢を見ていたみたいに、誰もハッキリとは覚えてないんだよ。だから、教えたくても教えられないんだ。それに、その事故の後、僕はやたらと癇癪を起こす様になったみたいだけど、すぐに治まったから、あんまり気にされなかったんだ」
「……そう、なんだ」
自分の状況と、お父さんの話を重ねる。偶然にしては、余りにも一致する条件が多い。
「っと、長居してごめんね。それじゃ、今度の連休にでも買い物に行こうか」
「うん、ありがとう」
「それじゃ、お休み」
扉が閉まる音が聞こえると同時に、わたしは本棚に飛びついた。ありとあらゆる場所を隈なく探すが、特に何も見当たらない。
隠し扉や底板の中に何かが隠されていると言う事も無さそうで、一頻り探した後、わたしはフローリングに座り込んだ。
「……そもそも、例え同じ術式を使ったとしても、小さい子に出来る事ぐらい簡単なモノなんだから……そんな複雑な機構じゃないか」
溜め息を一つ。その後自棄になって、本棚に頭を突っ込んでみるが、当然何も――。
『生命の記憶 起動済 規定回数を超えています』
「――前言撤回、あった‼ なんかあるよこれ‼」
思わず出た自分の大声に、慌てて口を押えた。数秒待った後、両親の反応が無い事を確かめてから、文字が書かれた天板の下部に目を向ける。
『起動に要する代償 対象者の記憶全て 所有物全て 対象者が保持する痕跡 以上』
記された内容は、これで全ての様だ。
わたしは本棚から頭を引っこ抜き、至ってシンプルな内容を再整理する。
恐らく、お父さんとわたしはこの本棚に宿る『生命の記憶』を用いて存命していると考えるしかない。
小さな頃にお父さんはなんらかの事故――恐らく、この本棚に助けられたと周囲が認識している辺り、この本棚が倒れる等だろう――で起動させ、全てを失う代わりに命を繋いだのだ。
記憶を失う代償も、幼少と言う事もあり、小さな影響で済んだ。
しかし、わたしはどうだろうか。
エピソード記憶や所有物、痕跡は確かに失われている様だが、知識として蓄えられている記憶の方に異常は特に見つかっていない。
まだカラクリがある様だが、この部屋で出来る事はほとんど無くなってしまった。当初の目的通り、予習復習をして今日は寝る事にする。
放置していたスマートフォンには、相変わらずメールが三通届いていた。しかし重要な内容は特に無かったので適当に返す。
明日の用意をきっちりとこなし、眠りに付いた。明日どんな日が訪れるかは知らないが、それ故に、少し楽しみな気持ちを感じながら。




