決別と継続④
「正直、意地が悪いと思う。同じ土俵にすら立ってねえじゃん、あいつ」
泣き腫らした瞼を擦りながら、友山君はいきなり不平を口にした。
「鼻声で言っても、敗北感しか出て来ないね……」
「うるさいぞ優希……ってか、ほら、鼻ちーんしろ。かわいい顔が台無しだ」
彼女の小さい鼻に彼氏がティッシュを押し当て、それに応える一連の動作。そのやり取りを見ているだけで背中がむず痒くなると言うか、幸せを分けて貰っている気分になれる。
目を閉じ、思う。かつて弓削絆だった少女が、この二人と行動を共にしていた理由。それは目に見える幸せのカタチを、すぐ近くで感じていたかったからだろう。
「しっかし、ここまで弓削っちの作戦通りって……どんだけ演出家なのさ、あの悪女」
「きっ、きーちゃんの悪口なんて、いくらだーりんでも許さないよ⁉」
「そーだそーだ。本人を前にして、好き勝手言ってくれるよね」
「いやいやいや‼ なんで俺が悪者みたいになってんだ⁉ 元はと言えば……って弓削っち、お前もしかして……」
期待を込めて送られる眼差しを否定する様に、わたしは首を横に振った。死者が蘇る事など、ありはしないのだから。
わたしが涙を流した理由の一つ。
取り戻したかった彼女が――たくさんの思い出が、もう戻らないと知ってしまった。
それでも、後悔なんてしていない。
彼女が本当に大切にしたかったモノが、わかったから。
「だーりん。それ以上は絆ちゃんに失礼だよ」
「……そだな。悪かった……弓削」
「……ううん。仁科さん、友山君……あの、わたしとも、友達になってくれるかな……? ちょっと変かもしれないけど……」
「「え? 当たり前だよ」だろ?」
二人は顔を見合わせてから、わたしににっこりと首肯してくれた。
弔いを果たした二人と一緒に過ごすならば、今まで通りには行かない。
それでも、新しく始める事は出来る。勿論、相応の痛みは伴うけれど。
『かつてのわたし』が協力者を最小限に収めた理由は、わたしへの配慮もあったのかもしれない。
そんな事を考えていると、仁科さんが鼻声のまま、にこやかに友山君の顔を見上げながら言った。
「でもこれで、またトモ君って呼べるね」
「……別に、だーりんも悪く無かったけどな」
「わ、私が恥ずかしいんだって!」
「人前でほっぺたにキスする奴が何を言うか……」
「……? 昔は呼び方違ったんだ?」
「そうなの。一年生とかの時は、私もきーちゃんもトモ君って呼んでたんだ」
「友山君が長過ぎて呼び難い、とか弓削っちが急に言い始めてな……何故か奴は名字を縮めやがった。そこに優希が便乗したって感じだな」
「その後、私達が恋人同士になった時に、もっと特別な呼び方にしたらって……それで、ダーリンはどうだ、って言われて……恥ずかしかったから当然断ったんだけど……」
仁科さんは目を閉じ、どう言ったらいいものか、と迷っているようだ。事実だが、わたしの前では言い難い……後ろめたく感じる何かがあるのだろうか。
「……まさか、恋人と自分が同じ呼び方をするのは変だから、『呼ばないならあたしがそっちを呼ぶ』とか無茶苦茶な事を言い始めた……なんて?」
冗談で済まそうと笑いながら言ったのだが、友山君は驚愕の顔でわたしを見つめている。
「……お前、マジでスゴイな……」
「えっ⁉ まさかのドンピシャリ⁉」
「お、おう……それで優希に変なクセが付いて、現在に至る、って感じでな……」
「き、絆ちゃんが悪いんじゃないからね? ちょっときーちゃんがその……自分の意見を尊重しやすいと言うか……引っ込みが付き難い性格だったと言うか、それだけだからね?」
どうやら、外れて欲しい適当な予想が当たってしまったようだった。
かつての弓削絆は、割と傍若無人と言うか、なかなかの問題児だったのかもしれない。
だとすれば、協力者を最小限にした理由は、単純に弓削絆としての名誉を守る為、と言う線も捨てきれない。仮にそうなら、わたしはかなり軽視された存在だと言える。
しかし、無慈悲な彼女がして来た事も、受け入れる必要がある。過去を清算してしまった以上、これからはわたしが紡がなくてはいけないのだから。
「……なんか、ごめんね」
「いや、お前が悪いんじゃ……って言うワケにもいかねえか」
「うん。弓削絆が取った行動なら、尚更ね」
「……絆ちゃん」
「大丈夫だって。二人に出会わせてくれたんだ、十分な対価は貰ってるから」
心配そうに見る二人に、笑って返す。
嘘偽りが一切無い、わたしの本音を伝えた。
「……そうだね。私も、絆ちゃんに会えて……とっても嬉しいっ」
仁科さんの柔らかい温もりに包まれる。そのまま彼女は首筋に鼻を押し当て、ぐりぐりとわたしを擽った。
「はぁんっ……絆ちゃんのにおひ……んふへぇ……」
どこかで近しい迷惑行為を受けた様な気がして、わたし達を見て微笑む友山君に声を掛ける。
「……友山君。わたしの身体って、そんなに臭う?」
「いや、そんな事は……ああ、琴葉ちゃんのセクハラに早速遭ったのか」
「……そっか。二人は琴葉に会ってるんだもんね」
「ああ、遊びに行った時にな。なんかいきなり怖い顔で睨まれて怖かった思い出しか無いけど、弓削っちから毎日の様にセクハラの愚痴は聞かされてたからな」
「……ふが……そう言えば琴葉ちゃんも、とってもキレイな髪してたよね。きーちゃんもそんな感じで……でも、絆ちゃんのこの白い髪も、凄く素敵」
嗅ぎ慣れないシャンプーの香りが鼻孔を擽る。柔らかな仁科さんの印象に合った、フローラルさが前面に押し出されている。
「あー……久しぶりだぁ、この感覚……」
「……そりゃどーも」
琴葉の様に押し退けるワケにもいかず、ふわふわの髪を撫でる。手が頭に触れる度にぴくぴくと動くのが少しかわいらしく、わたしの髪も褒めてくれたから、まあいいだろうか。
折角彼女に遺された身体なのだ。友人の為に多少身を割いても、罰は当たるまい。
「相変わらずの目の保養だ……」
頷きながら写真を撮っている友山君の様子から見て、これが三人の日常風景でもあったのだろう。踏襲出来る所はしておくのも、悪くは無い気がした。
「……んっ?」
何かに気付いた様に友山君が廊下に続く引き戸を凝視している。その視線を追うが、特に何も見当たらない。
「友山君? どうかしたの?」
「……いや、気のせいか。すまん、なんでもないんだ」
「……そう? なら、いいんだけどさ」
今は始業時間よりも早い時間だし、もし部外者に聞かれたとしても、内容はちんぷんかんぷんだろう。あまり気に留める必要は無いかと思い、またさらさらでふわふわなそれを一撫でするわたしだった。




