痛みを知る少女⑱
遅れてクレープを食べ終えた高垣君が、ゴミ箱に包み紙を捨てる。満足感を抱えながら、わたしは彼に質問した。
「ねえ、わたしって、他に何をしてたのかな? 彼氏なら、わかるよね?」
「っ‼ 勿論ですとも‼ 絆さんの事ならなんだって知ってます‼」
高垣君は急にわたしの手を取り、真っ直ぐに見つめて来た。最初の態度が嘘だと思える程、彼から情熱を感じる。
わたしが呆気に取られていると、高垣君は我に返った様に手を離す。そして顔を真っ赤に染め、わたしの居ない――真っ赤な夕焼けの方を向いてしまった。
「……すみません。馴れ馴れしい真似をしました」
「えっ……恋人なら、いいんじゃないかな……?」
「あっ、そうですよね、すみません……と、とりあえず行きましょうか……」
「……?」
トボトボと歩く彼の隣に並ぶ。恋人同士だったとは考えにくい距離感がわたし達の間にあり、それは高垣君も感じている様だった。
「どうしよう……やっぱり……」
並行して歩を進める高垣君からブツブツと怪しい独り言が聞こえる。心を許すのは危険だが、逆に都合がいいかもしれない。
「……それで、高垣君? わたしの取ってた行動についてなんだけど……」
「あ、はい。多分何でも答えられると思います……中学の頃から、に限定されますけど」
頭を掻きながら、少し誇らしげに返答された。
「わたし達、中学から知り合いなんだ?」
「はい。僕が緑化委員で花壇の世話をしていた時に、絆さんが話しかけてくれたんです」
「……花壇、か」
「花壇が、どうかしましたか?」
「……ううん、別に。そしたら、とりあえず高校からのわたしを教えてくれないかな?」
やけに花壇が絡むな、と考えながら耳を傾ける。
「そうですね……絆さんはまさに学年のマドンナって感じでしたね。才色兼備で、友達もたくさん居て、人から嫌われている様子は、無かった様に思えます」
高垣君が話す内容と、今日クラスで感じた事は大体合っていると思える。周囲から愛されているのが弓削絆、接した時間が少ないハズのわたしが、そう考えるぐらいに。
「その中でもバカップル――仁科さんと友山の二人とは仲が良かったです。事故が起こる前だと確か……そうだ、駅前の喫茶店で勉強会をしてました。一時間以上楽しんで、次も来る約束を店内でしていた様で、外でも明るく話していましたね」
絆さんに教えて貰ったんですけどね、と慌てて付け足す高垣君。なんだか妙に詳しく、情報が限定的な気がするが、弓削絆の過去を知らないわたしでは判断のしようも無い。
彼はスマートフォンを取り出し、やっぱりそうだ、と呟いた。
「わたしから結構マメに、高垣君に連絡してたりしたのかな?」
「まあ、そんな感じです。僕はそれを記録してるので、絆さんが知りたい事は聞いて貰えれば、いつでもどこでも答えられます」
大きく鼻を鳴らし、自慢げに言う彼を見て、わたしは一つの事を考える。
彼が恋人かどうかはさておき、その記録は大変興味深い。少なからず、話を聞いてみる価値はあるだろう。
「ごめん高垣君、悪いと思うけど、連絡先教えてくれないかな? 他にも聞きたい事あるけど、そろそろ帰らないといけないから」
「もっ、勿論です‼」
目を爛々と輝かせる高垣君を少し微笑ましく思い、スマートフォンを取り出す。慣れない手つきで画面を弄るが、自分の連絡先の表示方法がわからない。
「……あ、やり方わかんないな……どうやるんだ、これ」
「あ、この機種なら僕わかりますよ。そこの受話器のマークを押して……連絡先の中の、あ、それですね」
高垣君の指示を仰ぎながら、何とか連絡先の交換を終えた。
「ついに、念願の絆さんの番号が……‼ あ、いえ、彼氏ですから当然ですよね、ええ‼」
その瞬間、感激する彼の姿を見て、疑惑は深まる。
恋人の連絡先を知らない男は、かなり少数派に部類されるのではないだろうか。それも、連絡先を知りたがっていたにも関わらずともなると、更に絶対数は減少しそうなモノだが。
この男は、弓削絆と恋人関係ではなかった可能性が限りなく高い。
記憶喪失を良い事に、既成事実を作り上げようと言う根端だろうか……だとすれば、こちらも遠慮なく利用させて貰える。
まあ、互いの利益が損なわれるまで恋人と言う立場を演じておこうか。悪女の如く情報の搾取だけ行う事も容易いだろうが……こんな怪しい男に対しても、少し後ろめたさを感じてしまう。このわたしの甘さが、後に命取りとならなければ良いのだが。
それに、かなり特殊な恋人関係だった可能性もゼロではない。中学からの知り合いと言う事も出て来たのだ。あまり不用意に騒ぎを起こしても、逆に影響が出てしまう。
問題が起こったとしたら、全て清算してから彼女に譲り渡したい。どうかそれまでは、わたしと言う曖昧な存在の滞在を、許して貰いたい。
あなたを一日でも早く、この場に戻してあげる為にも。
「あ、メールは一日五十通までにしますね。絆さんも困っちゃうかもしれないし」
「……却下。多くても三通まで」
「わかりました‼」
「……文字数は全部で百文字までね?」
「そんな殺生な‼ でも絆さんがそう言うなら……わ、わかりました‼ 我慢します‼」
もしかして彼は、ストーカーと言う奴だろうか。学校での彼女の人気ぶりを考えれば、ありえない話ではない。
ただそれにしても、聞き分けだけは良さそうだ。これならば逆に、近くに置いておいた方が危害は少ないかもしれない。
唐突な出会いから出来た、高垣君と言う怪しい恋人。彼の処遇について考えていると、いつの間にか見慣れた通りまで辿り着いていた。
「あれ、ここは……?」
「絆さんの家、ここの道を行った先ですよね?」
「……うん、そうだけど……」
記憶を失ってはいるが、住んでいるわたしよりもスムーズに、家に辿り着く。例え彼氏だとしても、連絡先も知らない様な人間に出来る芸当だろうか。
訝しむわたしを見て、高垣君は一瞬動揺した様に見えた。しかし、すぐに険しい顔をし、わたしに面と向かって口を開く。
どんな状況だとしても、伝えなければいけない事があると、覚悟を決めているかの様な表情で、彼はこう言った。
「……絆さん。もしかしたら、僕以外に、あなたと恋人関係にあったと言う人が現れるかもしれません。でも、そいつを絶対に信じてはいけません……僕の事が、信じられなくてもいいですから。どうかこれだけは、覚えておいて下さい」
「……え?」
高垣君が、つい今しがた口にした事を、全く理解出来ない。
「……僕はもう、貴方を失いたくないんです……あの交通事故が、ただの幻だとしても」
彼と話していてわかった事。
それは、彼は嘘を吐く時だけ言葉の歯切れが悪くなる事。
苦悶の表情を浮かべて言い切った彼の言葉は、絶えずに紡がれていた。
わたしの脳裏に、赤く塗られた虚像――塗り潰された、かつての真実が過る。
「……高垣君、貴方は……」
「……すみません、ワケわかんない事を言いました。もう帰りますね」
――何を知っているの。尋ねようとしたわたしの言葉を吹っ切る様に、彼は走り出した。
夕焼けに染まる帰路に、わたしは一人取り残されていた。
かつて失われた、一人の少女の様に。
痛みを知る少女 終




