痛みを知る少女⑰
「――さん。絆さん?」
長かった一日を振り返っていると、わたしの沈黙で落ち着きを取り戻した癖毛の男の子が心配そうにこちらを窺っていた。
あの女子生徒と別れた後、道行く生徒に屋上の場所を聞き、今対面している彼と出会った現在に至る。
初対面の人に、開口一番で自分が恋人だと言われたのは、本当に衝撃的だった。
「……ん、あ、落ち着きました?」
「すみません、取り乱しまして……」
彼が平静を取り戻すまで待ったおかげと言うべきか、弊害と言うべきか。わたしは衝撃的な事実を受け入れ、尚且つ冷静を取り戻せた。
咳払いで男の子の注意を引き、
「あなたの、名前を教えて欲しいんです」
と、会話をする上で最も大切な、自分の彼氏にあたる人の名前を、本人に尋ねた。
「あ、そ、そうですね! 失礼しました……」
わしわしと頭を掻きながら学生服を整え、一度大きな深呼吸をする男の子。その様子を見て、心に少しだけ愛おしさが湧いて来た。
「えっと、高垣健太郎、です。三年三組、帰宅部です……宜しくお願いします」
まるで初対面の様な、おおよそ恋愛関係にあるとは思えない挨拶をして来た恋人――高垣君。女子生徒から聞いた話では、湊さんと恋人関係にあったと思ったのだが、俗に言う二股と言う奴だろうか。
しかし、教室であれだけ人気を集めた弓削絆が不貞行為を働くとは考えにくい。湊さんと言い、オトコ関係はやけに不鮮明な情報が多い様に感じる。彼女の戦略、だろうか。
「……わたしに恋人が居るなんて、初めて聞いたなあ」
とりあえず情報収集をする為、記憶が無いと言う前提を良い事にカマを掛ける事にした。
高垣君は顔を引き攣らせ、焦りに塗れた表情を浮かべる。
「うっ……そ、そう、そうなんです‼ 僕達、周りのみんなに隠れて付き合ってましたから‼ 他の人が知らなくても無理ないですよ、あはは‼」
「……そうなの?」
「ええ。なので、何もおかしくないです、はい」
少し生温かい風が、まだ四月終わりの屋上を通り過ぎた。高垣君はちらちらと、わたしの様子を見ながら腕を擦っている。
産まれて間もないわたしが言うのもなんだが……怪し過ぎる。それに彼は言わなければいけない事がある、と病床のわたしに話しかけて来たのだ。その為の前振り、なのだろうか。
「……ええと。高垣、君?」
「は、はい‼ な、なんですか絆さん⁉」
彼の呼び方は、これで合っていたらしい。何はともあれ、とりあえず会話が前進した事だけは救いだろう。この調子を保ちたい。
「入院してた時に言ってた……わたしに伝えなきゃいけない話って言うのは、何?」
「……それは……」
何かに迷っているかの様に口を苦しげに結ぶ高垣君。やがて目を伏せ、彼はこう告げた。
「……言いたくありません。すみません、呼び出しておいて……」
「……そっか」
彼は何か、大切な事を隠している気がする。彼曰く、わたしは恋人だと言うにも関わらず。まあ、そもそも恋人だと言う証言と態度に全く信憑性が無いのだが。
ともあれ、今学校で出来る事も無くなってしまった。後は家に帰って仁科さんの手紙を読み解くぐらいだろうか――そう思っていた時だった。
「お詫びと言ってはなんですが……クレープでもいかがですか? オゴリますけど」
「……」
クレープと言う単語が思考を遮断する。そしてまた、
――きゅう。
腹の虫が鳴り、主人に恥をかかせた挙句、怪しい彼氏のご馳走になる事を勝手に決めてしまったのだった。
「美味しい‼ 何コレ⁉」
「はは……だから、クレープですよ」
「わかってるよ‼」
学校を後にし、高垣君に連れられて駅前へとやって来たわたしは、チョコソースのたっぷりかかったクレープにかぶりついていた。
夕方と言う事もあり、制服姿の男女が目立つ。わたしと同じクレープを注文した高垣君は、控えめながらも美味しそうに食べていた。
「でも美味しいですよね、ここのクレープ。僕もたまに来てましたけど、納得の味です」
「……ごくん。たまに? わたしと一緒によく来てたとかじゃないんだ?」
「うっ……ええ、まあ」
遠い目をしながら髪を弄る高垣君。彼の言う通り隠れて付き合っていたなら、そこまで頻繁に顔を会わせていたワケでは無いのも頷けるが、真相はどうなのだろうか。
だがここで追及し、隠し事を露わに出来なくなるのも癪だ。素直に対応し、チャンスを窺う事にする。
病院に来て、目覚めたばかりの弓削絆に対し、人目を憚って伝えようとした事がある。わたしはそれを、何かあの光景に関係があるのでは、と少し期待しているのだ。
湊さんの疑いを晴らす為にも、わたしで出来る事はやっておきたい。そう思うのだ。
「絆さんは、同じクラスの仁科さんと友山――有名なバカップルとよく行動を共にしてましたから。ここのクレープも、三人で食べてましたし……僕が入り込む余地は、なかなかありませんでした」
「そうなんだ……なんか、ゴメンね? 彼氏を蔑ろにしてたみたいで……」
「い、いえっ‼ 全然そんな事は……っ‼」
高垣君はクレープを持つ手すらも振り、わたしの謝罪を否定した。その様子が少しおかしくて、頬が緩む。
「……そう? 優しいんだね」
「……ありがとうございます。でも僕は、貴方の為なら少しぐらい、我慢出来ますから」
真っ直ぐな、しかしどこかねっとりと絡みつく様な視線を感じ、わたしはクレープに集中した。やはりどこか普通ではない……違和感ばかりの恋人らしい時間が過ぎて行った。




