痛みを知る少女⑯
バイトがあると言う湊さんと別れ、わたしは学校に戻って来ていた。辺りは日が傾き始め、時間は丁度六時間目が終わる頃。帰宅部の生徒が家路に着く中、流れに逆行して校舎への道を歩いて行く。
「あれ、弓削さん? もう帰ったんじゃなかったんだ」
自分のクラスで見掛けた女子生徒が、声を掛けて来ていた。
「あ、うん。ちょっと、忘れ物しちゃったみたいで」
「そう言えば、朝校門まで一緒に来てたのって、例の彼氏?」
「あ、うん……うん?」
朝の校門前と言えば、湊さんと別れた状況と重なる。その事に気付いて訂正しようとした時には、既に遅かった。
「やっぱり‼ そうゆう事に興味無さそうな弓削さんが『大切な人』って言っちゃうのもわかっちゃうなー。確か大学生って言ってたっけ?」
「えっと、うん」
加えて、どうやら弓削絆は周りに存在や詳細を明かしているらしい。もし下手に訂正して間違っていたら困る為、この場は静観する事にした。
「いいなあ、年上の素敵な彼氏かー。私も欲しいなー。そう言えば帰りのホームルームで、五十嵐ちゃんが鬼アラモードと弓削さんが禁断の関係に……とか言ってたんだけど、弓削さんって結構年上が好きなカンジ?」
鬼アラモード。無理に訳せば流行の鬼、或いは鬼の流行……誰の事だ、全く想像が付かない。軽い口ぶりで話す女子生徒に申し訳なく思うが、適当に誤魔化す。
「え、いや、そう言うワケじゃ……」
「だよねー。鬼アラモードじゃ流石にイケメン彼氏には叶わないだろうし。中年教師の儚い恋路ってワケだ」
ケラケラと笑う少女に合わせ、苦笑する。
中年教師と聞いて、荒本先生の事を思い出す。
……アラモト?
まさかと思い、わたしはカマを掛けてみた。
「……今日、髪の色で勘違いされて、指導を受けただけだから」
「げっ、復学初日にそれとかマジツイてないね。あのオジサン、髪染めにはすんげー厳しいからね。この前も違うクラスの男子が指導受けててさ、めっちゃ荒れてたらしいんだよ。でも、かわいがってた花荒らしたってのは、ちょっとやり過ぎだよね」
「……そうだね」
やはり、鬼アラモードは荒本先生を指す隠語の様だ。そして花が荒れた経緯が先生の推測通りだと判明した。初めてでは無いと彼は言っていたが、生活指導の担当を長く続けて来た経験則でもある様な気がした。
「ってそうだごめん、弓削さん記憶無いんだっけ……ワケわかんない話して、なんだか申し訳ないね」
「ううん、そんな事ないよ。楽しかったし、記憶が戻る良い刺激になるかもしれない」
「またまたー♪ いっつも思ってたけど、弓削さんったらホントに口が上手で羨ましいわー。今度一緒に遊びに行こうね」
「……うん、ぜひ」
肘でどつかれる衝撃を身に受けながら、彼女に微笑んで返す。わたしは友達と出かける約束をする、と言う背中がくすぐったくなる様な感覚を味わっていた。
「それじゃ、また明日ねー‼」
「……うん。また明日」
手を振りながら足早に去って行った彼女の名を、聞く事は出来なかった。
遊びに行こうだとか、また明日だとか。
その約束が果たされる時、そこに立っているのは、どんな弓削絆なのだろう。
屋上の場所を聞けばよかった、と後悔しながら、わたしは自身の存在をもう一度省みていた。




