痛みを知る少女⑭
湊さんが同行してからの通学路はほとんど覚えていない為、貰った手書きの地図を頼りに歩く。彼が言っていた様に地図は少し大雑把で、道に迷いながら歩いてようやく、見覚えのある高い外壁を見つける事が出来た。
「あれ、高校ってこんな時間に終わりだっけ?」
「ひえっ⁉」
背後から急に聞こえた声に思わず飛び退いた。そんなわたしを見て笑うのは、朝に出会った弓削絆の友達――湊さんだ。
「あ、湊さん……あの、朝はありがとうございました」
「いいよいいよ。それより、今帰り?」
「えっと、はい。今日は元々、授業を受けない予定だったので」
「成る程、そう言う事か。俺はてっきり、今日から復学なのかと思ってたよ。そしたら、朝あんなに急ぐ必要もなかったかな?」
苦笑する湊さんに申し訳なく思いながら、わたしは精一杯否定する。
「い、いえっ。ホームルームで挨拶をすると約束していたので……」
「そうか。また空回りしたかと思って、ヒヤッとしたよ」
軽快に笑う湊さんを見て、わたしは安堵する。荒本先生とのやり取りで、挨拶どころでは無くなってしまった事は、伏せておいた方がよさそうだ。
そんな話をしていた時に、一つの事を思い出した。
『絆さんが復学した日……学校の屋上で待ってます。どうしても、伝えなきゃいけない事があるんです』
正式に復学するのは明日からとなっている。しかし、わたしがクラスに行った時点で話が広がっていれば、あの男の子は来ないわたしを待ってしまうかもしれない。
その可能性が捨て切れない為、一度学校に戻った方が良いだろうか。自分の方針を決めかねていると、湊さんが口を開く。
「そう言えば、身体が痛んだりはしていない?」
「えっ? あ、えっと、はい。今の所は、特に……」
わたしが目覚めた時点で既に、身体にはほとんど傷が無かった。だからこそ事故にあって頭を強く打った、と言われてもわたしには全く身に覚えが無いのだ。
質問責めに遭っていた時も身体について聞かれた覚えがある。そう言えば、探検に出かけた時に声を掛けられた女性が、大事件だったと振り返っていた。
聞いておかねばならない様な気がした為、わたしは湊さんに問う事にした。
「……事故の事って、湊さんは何か話を聞いたりしてますか?」
湊さんは、何も言わずに押し黙ってしまう。
口にしづらい事を言わせようとしているのは、朝の彼の表情を見ていればわかる。
わたしの失礼な態度に対し、しょうがないと言いたげな顔をしたのだから。
きっとわたしが記憶を失っていなければ、嫌悪感を抱くだろうと思われる事実を、彼は抱えている。
それでも、わたしは聞かなければならない。
環境音だけが耳に届く状態に落ち着かず、わたしが指遊びをしていると、やがて湊さんが観念した様に口を開いた。
「……そうだな。絆には、知る権利があるんだ」
「言いにくい事、なのかもしれませんけど……」
「いや、大丈夫だ……俺は、絆を轢いた最有力の容疑者だ。今は証拠不十分で、逮捕されてないけど……かなり疑われてるみたいだ」
湊さんの話が全て真実だと仮定しても、主観がほとんどであまり重要な事は聞けなかった。
簡単にまとめると、所有している白の軽自動車を使い、隣町まで遊びに行っていた湊さんは、夕方頃にこの町に帰って来た。そして確かに事故現場を通ったが、特に変わった事は起こっていない。
しかし、白い軽自動車が女の子を撥ねたと言う、匿名の通報があった。物的証拠は一切無かったものの、近辺で白い軽自動車を所有している家を総当たりし、その時間帯で目撃情報のあった湊さんが犯人ではないか、と判断されたらしい。
得た情報は、少々信憑性に欠ける――狐につままれた様な、体験談のみだった。
「……そうですか」
わたしは嘆息すると、湊さんは諦めた様に呟いた。
「確かに俺はあの道を通ったし、白い軽自動車だって持ってるけど……事故なんて起こしてない。俺の車にはまだ目立った傷も無いし、流石に軽自動車で人を撥ねたら誰だって気付くと思うよ」
「……別に、わたしは疑ってないですよ?」
「……う……すまない。少し愚痴っぽくなってしまったね。正直言って、困ってるんだ……朝も、絆が怖がって当然だとはわかっていたけど……やっぱり、心に走る痛みのようなものがあってね……」
その言葉で、湊さんの朝の様子を思い返す。
あの反応の裏には、そう言った背景があったようだ。
「なんだかすみません、迷惑掛けてるみたいで」
わたしに自分が被害者だと言う自覚が無い為、余計に心苦しい何かを感じる。湊さんは慌てて首と手を左右に振った。
「いやいやいや、絆が謝る必要は全く無い。真犯人や確たる証拠でも出てくれば、俺が有罪だろうが無罪だろうが、進展はあるハズなんだけど……」
「……でもちょっと不思議ですよね。わたしが轢き逃げされたとして、そこに何も残っていないだなんて」
「普通は、ほぼ絶対にありえないんだって。当初は狂言も疑われたみたいだけど、実際に意識が戻らない絆の状態もあるし、嘘ではないだろうって話になったんだ」
「……事故があったとされる現場ってどの辺なんですか?」
「まあ、気になるよね。わかった、ここからすぐ近くだし、実際に見た方がいいだろう。こっちだ、付いて来て」
湊さんは迷い無く歩き始める。きっと自身の無実を証明する為に、何度も足繁く通ったのだろう。朝通って来た道を通り、わたし達は事故現場へと向かった。




