痛みを知る少女⑫
その後、わたしはクラスの質問責めに遭うも、満足に答えられずに昼休みが終わってしまった。
身体の調子や入院生活の事等、答えられる範囲でしか解答出来なかったが、事故の影響と言う事で恩赦を頂けた。
その後、このまま授業を受けてみれば、と提案して貰ったのだが、今日は授業を受ける準備をしていなかった為、流石に遠慮している。
クラスメイト達と接してわかったのは、弓削絆が培って来た異常なまでの信頼だ。ほとんどの人達が体調や記憶を気に掛け、心配してくれたのは印象深かった。
授業が始まるギリギリまで教室に居たのだが、仁科さんを見つける事が出来なかった。今わたしは五十嵐先生の先導の元、再び応接室に戻っている最中だ。
「仁科ちゃんと友山君、どこに行ったんだろう……まさか、エスケープとか……まあ、あの二人に限ってそんな事はない……と思いたいけど」
「えっ……なんでその二人の名前が出て来るんですか?」
「え? だって弓削さん、教室に入ってからずっと誰かを探してたから、多分あの二人だろうなって」
「……そ、そうですか……」
少しあからさまに探し過ぎたかもしれない。反省をしながら歩を進めるわたしに、先生が悪戯っぽく振り返った。
「でも、女の子のおっぱいばっかり見てるのは、流石にやめた方がいいかもね♪ いくら同性とは言え、皆デリケートなお年頃だからさ。仁科ちゃんもおっぱいで判別されたと思ったら、あんまりいい気はしないだろうしね」
「ぬなっ……⁉ な、なんで……いえ……その……すみませんでした……」
言い返せる状況でもなく、真実のみを言い当てられていた為、ぐうの音も出ない。わたしは恥じらいと後ろめたさを混ぜた感情で、少し俯いた。
「まあ、そんな事を気にする様なクラスじゃないけどね、あそこは。多分お願いすれば、何人かは触らせてくれるよ。どう、一回お願いしてみたら?」
「さっ、触りませんから‼」
軽快に笑う先生と話しながら廊下を歩いていると、鼻孔をくすぐるいい香りがした。
「あ、そう言えばお昼まだよね? どう、学食で食べない?」
「……そ、それは是非‼」
色々あったせいで空腹を忘れていたのだが、立ち込める匂いが食欲を刺激する。すぐに腹部から贄を要求するケダモノの唸り声が聞こえ、わたしは赤面した。
「あはは‼ それじゃあ満場一致で学食へゴー‼」
「は、はいっ」
学食は、開けた空間に椅子と机が並んでいた。普段はたくさんの生徒が入り乱れているようだが、今は人も疎らだ。わたしと五十嵐先生は、その中の一角を選んだ。
「い、いやあ……弓削さん、それ全部食べるの?」
「え? そうですけど……なんか、変ですか?」
五十嵐先生の真似をしながら食券を買い、注文を済ませて席に座った。渡される料理を運ぶ為に一度往復をしたが、思えばその時から――いや、食券を買っている時からだろうか――先生は驚いていた様な気がする。
「いや、変じゃないけど……随分食べるなあ、って思って……」
「え……これでもですか?」
カレーうどん、かつ丼などのまだ食した事の無い料理名をいくつか適当に見繕ったのだが、思ったよりも量が少ない。コンビニで買ったモノよりも少し多いぐらいだろうか。
「これでもって……まさか、まだイケるの?」
「え、ええ……でも、女子高生はそんなに食べないと妹から聞いてたので。これぐらいが普通かと思っていたんですが……」
琴葉も確か三品ぐらいは食べていた記憶がある為、特に多いとは思わなかったのだ。
「……そ、そうね! 育ち盛りだもんね‼」
愕然とする先生のお盆には、野菜炒めをベースにした慎ましい定食が並んでいる。量としては、わたしの前に広がるご馳走達の半分にも満たないのではないだろうか。
しかし、あれでは絶対に空腹は収まらない。昼食終わりに腹が鳴って、余計に恥ずかしい想いをするだけだろう。あまり気にせず、食べる事にした。
味に飽きない様に、手に持つ食器を次々に持ち替えて食事を進めて行く。このカレーうどん、三日に一度ぐらい食べたいと思える程美味しい。
「……すげえ。別に食べるのが早いワケじゃないのに、どんどん減ってく……」
「むぐ……ごくん」
品を変え、今度はかつ丼の味に舌鼓を打ちながら、ふと思い出す。弓削絆の父も、確かわたしの食事を見て驚愕していた様な気がする。
野菜炒め定食を食べ終え、好奇の視線を向けて来る五十嵐先生に尋ねてみる事にした。
「やっぱり、変ですか? その……らしくない、とか?」
「変ではないけど……そうねえ。昔の弓削さんは、食事に無関心に見えてたから、ちょっと意外ってぐらいかなあ」
苦笑する先生の言葉が気にかかった。
そう言えば、弓削絆とはどんな人物だったのだろうか。
両親は気を遣って必要以上の事は教えてくれず、琴葉は真面目な時以外、自分に有利な嘘ばかり吐く為、正直アテにならない。
「食事に無関心……ですか?」
しかし、今五十嵐先生の放った言葉よりはまだ信憑性があっただろう。同じこの身体でありながら、わたしには全くもって信じられない事だった。
「うん。私の知る限りでは、いっつもゼリー飲料とか栄養食品とか食べてたからなあ。前に食事について聞いた事もあったんだけど、何も教えてくれなかったのよ」
「……そうなんですか……」
それらは退院したばかりのある日、空腹に耐えられなかったわたしは、家で貰って食べた事がある。決して不味くは無かったが、継続して食したいとは思わなかった。
それに対して、わたしは今食事に確かな楽しみを抱いている。弓削絆の事をほとんど知らなかったとは言え、ここまで明確な違いがあるとは思わなかった。
「……不自然ですかね、わたしがこんなに食べてるのって」
わたしが漏らした言葉に、五十嵐先生はキョトンとしている。
「え? 別に全然不自然ではないと思うけど……なんで?」
その質問の意図がそもそもわからない、と言った風にあっけらかんと答える先生。
「え、だってさっきは意外だって……先生が……」
「ああ、そう言う事か‼ ごめんごめん、他意はホントに無かったんだよ。単純に、弓削さんってそれぐらい食べるんだって、私は知らなかったからさ」
「……???」
首を傾げるわたしと、どう説明したものか、と唸る五十嵐先生。昼休みもとうの昔に終わり、調理器具や食洗機の駆動音だけが聞こえる中で、不思議な二人が頭を捻らせていた。
やがて話を切り出したのは、口をへの字に曲げて唸っていた先生の方だった。
「弓削さんが考えてる事と、最初に言ってた事の意味がようやくわかって来た気がする……弓削さん、もしかして貴方は、記憶を失う前に振舞っていた姿が『本当の自分』だと思ってるのかな?
」
「……う……そう、ですね……わたしが、どうするのが正しいのか……ちょっとだけ、悩んでます」
自分から蒔いてしまった種だが、素直に頷く事を躊躇ってしまった。それはわたしと言う存在の根幹に関わる事で、自分自身も決めあぐねている内容だったからだ。
しかし五十嵐先生は、先程と打って変わって、悩む事無く言葉を続ける。
「成る程ねー。でも多分、難しく考える必要もないんじゃない? 少なくとも私は、弓削さんの知らない一面が見れたー、ぐらいにしか思わないな。確かにフードファイターみたいな食べっぷりに驚きはしたけど、今となっては見ていて気持ちいいと思ってるぐらいだし。多分そんなの、気にしたら負けだよ。昔の立ち振る舞いが正しい弓削さんだなんて、誰も思ってないよ」
畳みかけるような言葉の嵐に、少しだけ面食らう。
しかし、その内容は励ましなどの喜ばしいものばかりだったと思う。
「……ありがとう、ございます」
先生にはもっと尋ねなければならない事があったハズなのだが、何やら照れ臭くなってしまった。
どうするか迷って――結局、止まっていた箸を進めることにした。
それから食事が終わるまで、先生は黙ってわたしを見ていた。
彼女の周囲には、家族以外にも素敵な人がたくさん居て、なおかつ愛してくれている。
それがわかったのが、今日学校に来て得た、一番の収穫だった。
まるでそれが、自分の事の様に誇らしかったから。
そしてこの時、五十嵐先生が口にした言葉は、わたしに新しい道を示してくれているかの様だった。
ただ、その道筋は霞んでいて、わたしがその行く末を知る必要すら無い。
どうせ彼女を取り戻せたなら、明け渡さなくてはいけない道なのだから。
だがもしも、取り戻す事が叶わないとすれば――。
そんな過った不安に蓋をして、脇目も振らずに前に進む。
ここまで来て、諦めるワケにはいかない。
――わたしは全てを知るまで、諦めたくない。




