痛みを知る少女⑪
『わ、わたし、申し訳ないんですけど、皆さんの事、よくわかんないです。こんなわたしでよかったら、仲良くして下さい‼ 力を貸して下さい‼ 宜しくお願いします‼』
廊下にまで漏れていた大きな、そして少しだけ懐かしく感じる声がした。
一瞬だけ廊下が静まったけど、昼休みらしい喧騒が少しずつ増えて、元に戻る。
「学校に……来たんだね」
私は無意識に、便箋をポケットから取り出した。眠ったままのきーちゃんが目を覚ました時、計画が上手く行った事を証明する為のモノ。
「朝のホームルームで五十嵐ちゃんがそわそわし始めて、急に弓削っちの話を始めたから大体予想はついてたけどな」
「うん……わかってはいたんだけど……ちょっと急だったから、びっくりしてる」
そう、いつかは訪れる日だとわかっていた。でもこうして現実味が湧くと、ちょっとだけ不安が募る。そう言えば、私はいつも土壇場で勝負弱かった。
「確かに、あいつが出した予測より、かなり早いしな。まだ五月にすら入ってないぞ」
「何と言うか……きーちゃんらしい、のかな?」
勝てる人と言えば、今隣に居るだーりんぐらいかな。じゃんけんやトランプ等、負ける事の多い私でも、何故かこの人にはよく勝てる。現に、つい今しがた、私は賭けに勝利したばかり。
「抹茶ラテ、忘れてないよね?」
便箋をしまいながら、かつて交わした約束の確認をした。ぎくりと肩を震わせ、顔をしかめる、私の愛しい恋人さん。
「……わかってるさ。やっぱり、俺達の記憶には計画の影響が無いみたいだな……とは言え優希さん、俺今月ピンチなんですけど。ぶっちゃけ無かった事にしたいんですけど」
「……ふふ。それいつも言ってるよね? それにバイト代、入ったばかりでしょ?」
私はにっこりと、満面の笑みを浮かべた。たちまち彼の頬は緩んで、
「バレたか……流石に恋人なんだ、よくわかってるよな、ホント」
と、楽しそうに返事をしてくれた。彼は私にゾッコンなだけでなく、とっても優しい。
きっとさっきの言葉も、私の不安を紛らわす為に、わざと明るく返してくれたのだろう。
でも、賭けの話も彼が言いだした事とは言え、流石に貰ってばかりだと気が引ける。ちょっと甘いとは思うけど、ボーナスを付けてあげようかな。
「ねぇ、だーりん。ちょっとかがんで?」
「ん? なんだよ優希……これでいい?」
「ちゅっ♪」
少し近づいた彼のほっぺたに、軽いキスをした。あんまり甘やかすと、すぐに調子に乗って散財するので、これでおしまい。
廊下で少し大胆な事をしちゃったかな。でも、軽く見渡しても注目を集めてはいない様で一安心。
ホッと息を吐いて視線を戻すと、だーりんはまだ固まったままだった。
恋人同士になって三年目にもなるのに、ほっぺにちゅーしたぐらいで固まる男の子は、大丈夫なのだろうか。ちょっと将来が心配になるけど、今は目先の事に集中しないといけない。
でも、流石に登校初日にヘビーな話をするのも気が引けるし、多分きーちゃんも思う所がたくさんあると思う。昼休みになって急に教室に来るって、何かあったと考えるのが自然だよね。
だから、今日は顔を会わせない方がいいんじゃないかと思った。きっときーちゃん、私達の事探すだろうし。
「今日はこのままサボっちゃおうか?」
「……ハッ。え、今なんて?」
ようやく我に返ったのか、私の言葉を聞き返すだーりん。たまーにこうやってボーっとしちゃうのがこの人の悪いクセでもある。そこがかわいくもあるんだけど。
「今日はもう帰ろうって言ったんだけど」
「……まだ、昼休み始まったばかりなんですけど」
「一回ぐらい、大丈夫だよ。私成績良いし♪」
「俺の成績そんなに良くないから、正直授業出たいんだけど⁉」
「えー、私より授業優先するの? 午後にある古文と物理の授業、いつも寝てるのに……」
「ぐ、ぐぐぐ……わかったよ……でも、これっきりだからな? 優希がそんな事言い出すなんて、それだけの理由があるんだろうとは思うけど……ホントに学校関係はこれで最後な?」
私がワガママを言っても、彼はこうしてすぐに折れてしまう。やっぱり将来とか、悪い女に引っかからないかとか、色々心配ではあるけど。
渋々と階段に向かう、物わかりの良過ぎる恋人の背中を見て、私の心がうずうずした。
「わかってるって。だーりんのそう言うとこ、大好きだよ♪」
「わーっ⁉ 階段下りてるのに危ない危ないって‼ あとすっげえ柔らかいけどそれ何入ってんの⁉」
「だーりんへの恋心、とか?」
「畜生、そう言う事を平気で口にする優希が憎いし怖い‼ でも俺も大好きだ‼」
「大好きって……どれ? おっぱいの事?」
「それもそうだけど‼ 全部だよ‼」
彼が好きなモノを押し当て、腕に絡みつきながら階段を下りて行った私達。
昇降口に着いた時、置いてあった新品同然――でもちょっと土で汚れている――のローファーを見つけた。
「あれ、多分きーちゃんのだよね」
「多分。なんでちょっと汚れてるのかも、ここに置いてあるのかもわかんねえけど」
「いやほら、きっと下駄箱がどれかわかんなかったんだよ。それに、下駄箱に上履き入ってないだろうし、困らなかったんだと思う」
「あー、そう言う事か。まるで絆博士だ」
納得と言った表情で手を叩く彼に向かって、自慢の胸を張った。
「ふふん。伊達や酔狂で、二年間一緒に居たワケじゃないんだよ?」
「友達関係に伊達も酔狂もあるのか……?」
数奇な運命の出会いの元、だーりんと付き合いはじめてそろそろ二年。
きーちゃんは私達が付き合い始めてからも、バカップルと呼びながら、毎日毎日飽きずに一緒に遊んでくれた。
でも、それはもう過去の事。今あの場に居るきーちゃんは、何も知らない。
『彼女』の想像していた通りであればきっと……本当の意味で、何も知らないのだろう。
そんな今のきーちゃんに対して、条件を満たした時だけ真実を話して欲しいと言われているけれど……ヒントと、親友としての助言くらいはしてあげたいと思ってしまう。
「あ、だーりん、ペン持ってる? 私教室にバッグ置いて来ちゃった」
「あるけど……ほい。つーか俺もカバンがねえ……いいか、どうせ何も入って無いし」
ポケットに入れていた便箋にメッセージを書いてから畳み、ローファーの中に入れた。
「もしかしてそれって、例の計画表?」
「うん。もう文字は残ってないし、いいかなって。何が書いてあったのかは、私が覚えてるから。勿論、他の事も、ね」
「……そうだな。計画通りだとすれば、これからは呼び方に気を付けないとな」
私達は、きーちゃんを――彼女を避ける様に学校を後にした。
こうして先延ばしにした所で、訪れる時が無くなったりはしないけれど。
今は、少しだけ忘れたかった。
あの子が学校に来て、嬉しいと思っているのに。
もしここまで辿り着いてしまえば、私は彼女を絶望へ誘わないといけない。
彼女と約束した事を思い出すと、とても胸が苦しかったから。




