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/days.  作者: 成希奎寧
痛みを知る少女
19/46

痛みを知る少女⑦

「ほら、種ならいくらでもある。好きなモノを植えてやるといい」


 先生が取り出し、持って来た土で汚れた箱には、何種類もの花の種が入っている。


 わたしが戸惑っていると、先生はいくつかの種の袋を取り出した。


「そろそろ五月か……マリーゴールド、ペチュニアあたりがいいな。ペチュニアは雨の管理にさえ気を付ければ、ここでも十分キレイに咲く」


「……お詳しいんですね。わたし、花の事はアサガオぐらいしかわからなくて……でも、五月頃ですよね、アサガオの種を撒くのって……」


「よく知ってるな……それにしても、アサガオか。そうだな……確かにちょっと早いかもしれんが、この暑さが続くなら行けるかもしれない。やってみるか」


「でも、ホントにいいんですか? 一生徒が勝手にこんな……」


「いいんだよ。俺だって、別に許可を取ってやってるワケじゃ無い。元々、開放されてた場所を誰も使わなかったから、俺が花を植えただけだ」


「そうなんですか……」


 種の袋をいくつも確認しながら、先生は言葉を続ける。


「それに、花壇だって誰かに使われた方が良いに決まってる。例えそれが、他人の思い出しかなくてもな。そこにどんな花が植えられたって、喜ぶ人は必ず居る」 


 先生の言葉に、わたしの心臓が高鳴った。


「……で……でも……それなら園芸部とか……相応しい人達が居るじゃないですか」


「居ないよ、もう。園芸部は去年で廃部になった。唯一の部員だった部長が、卒業しちまったからな。二年前に入って来た貴重な一年生も、忙しくなったとかで辞めて以来、音沙汰無しだ」


「……そう、なんですか」


 何かが終わる悲しみには、まだ慣れていない。


 だから、終わらせたくないと思うのは自然な感情なのかもしれない。


 この花壇も――そして、生きているのが恥ずかしいと思った、わたし自身ですらも。


「あった。確か(くだん)の一年生が置いて行ったアサガオの種だ。ご丁寧に乾燥剤も入れてある。植えれば恐らく発芽するだろう」


「二年前の……そんな前の種でも、ちゃんと生きてるんですね」


「確実ではないみたいだがな。一応この箱ごと、夏場は別の場所に避難させているから問題無いとは思うが……冷蔵庫とかできちんと管理してればもっと長命らしい。まるで愛を知らない恋心みたいな、身の固い種だな」


「……ふふ」


「あん? なんかおかしかったか?」


「いえ……少し、ロマンチックだなって」


「……ほっとけ。花が好きな時点で察しろってんだ」


 バツの悪そうな先生を尻目に、アサガオの種を袋から取り出し、手に取ったわたし。


「……植えてみたいです、この子を」


「……そうか。なら、やってみたら良い」


「咲くでしょうか?」


「そんなモンわからん。だが、キレイに咲いて、生を全うして欲しいと願うから、俺は種を撒いていた」


 花壇の一角に、一センチ強程の窪みを作る先生。手招きをされ、わたしは種を持ったまま先生に近付き、しゃがみ込んで窪みを覗いた。


「ここに入れて、土を被せる。ホントはポットとかを使って苗にしてから移植した方がいいんだが……それじゃ、お前は納得しないだろう。不可能ではないし、お前の心には、きっとこれがいい。支柱とか、必要なモノは別にあるが、とりあえず今日は大丈夫だ」


「……ここに……」


「あ、その前にやる事があるんだ。ちょっと種を貸せ」


 手にしていた種を預けると、先生は箱の中からやすりを取り出し、凝視しながら傷を付けて行く。全ての種に、元々あった窪みを避ける様に傷が付いた。


「……これでいい。アサガオは種が固いから、こうして置かないと目が出難いんだ」

 先生から預かった種を指先で窪みにはめ込み、土の布団を被せる。間隔を開けながら幾度も繰り返し、種を植えきった。


「これで、あとは世話をしながら祈るのみだ」


「……無事に、咲きますように」


 手を合わせ、祈りを込める。先生は何も言わず、わたしを見続けていた。


 わたしが立ち上がると、荒本先生は照れ臭そうに頭を掻いた。


「……まあ、こまめに来てやんな。きっとこいつも喜ぶ。まあお前が来なくとも、水やりぐらいはしておくから安心しろ」


「はい。ありがとうございます」


「いいんだ。正直な話、急に花の世話が無くなると寂しいからな。学年トップのお前が育てている花を踏みにじる様な奴は流石に居ないだろうから、命を無駄に散らす事も無い」


 すると先生は何かに気付いた様に、小走りで種の入った箱を回収した。そのまま、再び倉庫に入って行く。


 少し経って、戻って来た先生はマジックとプレートを手にしていた。


「これで、名前を書いておけ。もしかしたら、俺が植えた花だと馬鹿どもが勘違いするかもしれないからな」


「……名前……」


 渡されたプレートとマジックを手にして……迷った。


 弓削絆、と書くのか?


 ――この子を植えたのは、わたしなのに。


 弓削絆の名前を使って、この子を守るのか?


 ――もしこの子の命が失われた時に心を痛めるべきは、わたしなのに。


「……」


 マジックの蓋を外し、わたしは文字を連ねる。


『   の花』


 目を細める先生にマジックを返し、余白だらけのプレートを土に突き立てた。


「なんとなくだが、そう書くと思っていた。俺の字じゃないし、大丈夫だろうけどな」


「……本当ですか?」


 わたしが驚いて先生を見ると、彼は曖昧な表情で頷いた。


「あの時……お前……『自分が弓削絆じゃない』って俺に言ったからな。記憶を失う……言葉では簡単に言うが、きっと俺達が考えてるよりも、当事者にとってはずっと複雑なんだな」


 荒本先生の言葉に、心が揺れ動く。


 この人は元々、弓削絆の顔見知りではないから、なのだろうか。


 わたしを弓削絆としてではなく、ただの一人の女子生徒として接してくれている気がして、とても心が安らぐ。


 わたしがずっと求めていたのは、この安らぎだったのだろう。


 わたしがわたしで居る事。それは、他でもないわたしの悲願であり、弓削絆を取り戻す為に確立した、一つの事。


 目標を達成し、張りつめていた心が解れて行くのを感じる。


 蓋をしていたハズの想いの(たが)まで、外れてしまう程に。


「……わたしには……他の人がわたしを弓削絆と呼んでいた頃の記憶がありませんから。わたしは、わたしでしかありません」


「……成る程、な。だがよ、お前を見て皆が弓削絆って呼ぶんなら、お前はその名前なんじゃねえのか?」

「……っ‼ 違いますよ……‼」


 叱責されて決壊したばかりのダムでは止められない奔流が、再びうねり出した。


 絆。絆さん。お姉ちゃん。


「ゆげ、きずな……誰なんですか、それ……ッ‼」


 何度も、何度も、思った事だ。

 直接言えなかった言葉が、対象を変えて、勝手に溢れ出す。


「……じゃあ、ちゃんと言ってやればいい。人違いです、ってさ」


 返された言葉に、頭で何かがぶち切られた様な気がする。視線を背けながらぶっきらぼうに言う先生に、衝動的に詰め寄った。


「そんな事っ、出来るワケないでしょう⁉」


「出来なくはないだろう。言うだけなんだから。さっき俺に言ったみたいに、弓削絆じゃありません、って」


 奥歯が軋む程、剥き出しになった激情が牙を外気に触れさせる。


「ふざけるなっ‼ そんな他人事みたいに……‼」


「馬鹿野郎。他人事だから言えるし、見えるんだよ。お前がやろうとしてる事の無茶苦茶っぷりがさ。お前はさっき自分でした事を、出来ないって言ってるんだぞ」


 わたしとは対照的に、あくまで冷静な口調で話す先生が癪に障る。


「……わたしが……どれだけ我慢してるか……‼」


「お前はお前なんだろ? なら、我慢する必要なんて無い様に思えるが」


「それ、はっ……」


 そう言えば、何の為に我慢してるんだろう?


 ただ自分が逃げる為?


 ――違うだろう。もし逃げる為だけだったら、最初から言われる事を否定していたハズだ。


 記憶喪失の状態のまま、ゼロからわたしを始めればよかったのだから。


 あの優しい家族だ、きっと説明すればわかってくれるだろう。その事に、わたしは気付いていたハズだ。


 だがわたしは、それを選ばなかった。


 恥ずかしながら、先程感じた安らぎが――自分の居場所が、もっと欲しいと思っている部分が、負い目として確かにあるけれど。


 それを、最も事情を理解している家族に求めなかった理由。


 きっとそこには、自分の居場所以上に、守りたいモノがあるから。


「……わたしはっ……‼」


 ――ああ、そうか。


 あの時の痛みは、自分を貫く事に伴う痛みなんかじゃなかった。


「……ずっと……笑顔で居て欲しいんです……あの人達に‼ わたしを娘だと、姉だと言ってくれる、あの人達に‼」


 弓削絆の名を手放し、涙を流した本当の理由は、きっと。


「返してあげたいんです……こんな偽物なんかじゃない、弓削絆と呼ばれていた、本当の家族をっ‼」




 ――自分が、あの人達と本当の家族じゃないと、気付いてしまったからなんだ。





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