痛みを知る少女③
わたしは自分の置かれた――もとい、弓削絆が置かれている状況を男性に説明した。男性はわたしの事を気の毒そうに見る事なく、ただ語りかけるわたしの言葉に耳を傾けていた。
目覚める前の記憶が無い事。
だから、あなたが誰だかわからない事。
概ね二点を、長い時間をかけてようやく伝えられた。
「成る程、それでいつもタメ語で話してた俺に対して敬語なのか……嫌われたのかと思ったよ」
「えっと、失礼ですが、あなたは……どなた様になるのでしょうか?」
端的に問えば、「あなたは誰? 弓削絆にとっての、何?」だ。
男性は顎に手を当て、少し迷った後に、こう切り出した。
「俺は才崎湊。近くの大学に通っている。絆とは、たまに一緒に外出する友達って所だね」
「……友達、ですか?」
「うん。電車で繁華街まで出向いてショッピングにつき合わされたりする、普通の友達」
それは俗に言うデートと言う奴なのでは、と思った。しかし本人が友達だと言うのであれば、そこまで親密な関係では無かった可能性も捨て切れない。
言ってしまえば、この男が真実を語っている保証も無い。だが、他に判断材料が無い為、ひとまずは信じるしかないのだろう。
腹を括り、男性――友達である、湊さんに対して、頭を下げた。
「……さっきは、ごめんなさい」
「ん? 何かあったっけ?」
「わたし、さっきまであなたを怖がってました。それで、あなたは……少しショックを受けていた顔をしていたから……その……」
「……ああ、そんな事。全然構わないよ、頭を上げてくれ。家の者にこんな姿を見られたら、こっ酷く怒られる。婦女子に頭を垂れさせるとは何事か、って。扱いは養子のハズなのに、容赦ないんだ、ウチ」
体勢を戻し、わたしより背の高い湊さんを見上げる。湊さんは、屈託の無い笑顔で、わたしの頭を撫でた。
友達の頭を撫でるのは普通なのだろうか。湊さんの行為に疑問が無かったワケではない。
ただ、この瞬間にわたしは安らぎを覚えてしまっていた。
力は小さいが、腫物に触る様な加減では無い感覚。確かにここにあるモノを感じる様な手付きから、湊さんの慈しみが流れ込んで来るかの様だった。
「……柔らかいな。白髪と言うより、もっと若々しい……銀髪って感じだ」
「……変じゃない、ですか?」
家族はみんな黒髪――お父さんは白髪交じりだが――だったし、道行く人も落ち着いた髪の色が多い。
真っ白な髪と言うのは、一般的では無い事をなんとなく察していた。琴葉も幻想的と言っていたし。
「まあ、多少は浮いてると思うけど。変とは思わないな」
はは、と苦みを帯びた笑声。気遣いは感じるが、嘘では無さそうだ。わたしは目を伏せながら、頭を撫でる手をそっと押しのける。そのまま流れる様に、少し距離を取った。
意図を汲んでくれたのか、湊さんはその失礼な行為を咎める事はせずに。
「っとと、ごめんな。つい癖で……絆にとっては、まだ初めて会ったばかりの人だしね。配慮が足りなかったかな」
わたしを庇う様な言葉を、優しく紡いでくれていた。
心がむずむずして、声を出すのも億劫になり、首を横に振る事で意思を伝える。
湊さんは小さく、そうか、と呟くだけだった。
何故かこの人の言葉は、わたしだけに向けられている気がして心地良い。
それからわたしは、聞くべき事も忘れ、ただ湊さんの表情を窺っていた。
「って、そう言えば絆、学校は?」
「えっ、あっ……」
お母さんから渡されたスマートフォンをポケットから取り出し、時間を確認する。聞かされていたホームルーム開始時間まで、数分しか残されていなかった。
「マズイな……道、分かるか?」
「えっと、この地図を見ながら行けば……多分」
手書きの地図を見せると、湊さんは少し愉快気に顔を歪め、嘆息した。
「親近感を覚える程、上手じゃない絵だ。でもそれじゃ雑過ぎて、きっと間に合わない。行くぞ!」
「あっ……」
湊さんはわたしの手を取り、一目散に走り出す。
目まぐるしく変わる、見慣れない景色が流れて行く。
わたしは手を引かれる速度に合わせ、転ばない様に足を前へ運ぶだけだった。