痛みを知る少女②
「ハンカチとティッシュ持った?」
「えっと、はい」
朝食を済ませ、身支度を手伝って貰いながらも、なんとかやり遂げる。下ろし立ての制服とワイシャツの固さに戸惑ったが、女子高生として違和感無く準備を整えた。
「よし。それじゃ、頑張って来てね。先生には色々説明してあるから、困ったら助けてもらってね」
「はい。行ってきます……」
琴葉の助力を得ながら、自分が出来る事と出来ない事の判別を行った。
その結果として、簡単な道具を用いた作業はこなせる事がわかったのだ。なら、いつまでもじっとしてはいられない。
「……うん、行ってらっしゃい」
弓削絆を取り戻せば、この人が、一瞬だけ見せる苦しそうな顔をさせずに済む。
わたしが『弓削絆』を取り戻そうとした一番の切っ掛け。決して揺らいではならないモノだった。
貰った手書きの地図を手に、通学路を歩く。通学路と言う程見慣れた光景はほとんど無く、初めて訪れる地に戸惑いを覚えた。
家からすぐ近くの根元から曲がったカーブミラーや公園は、琴葉と出会った日の事でよく覚えていた。
しかし、調子良く進んでいると、色のくすんだポスト、制服を着たおじさんが店の前を掃除している小さなコンビニ等、見知らぬ景色が増えて行き、やがて未知に囲まれる。
埋め様の無い空虚感を感じながらも、初めて見るそれらを脇目に、通っているらしい高校を目指した。
「あれ……絆⁉ 退院したとは聞いてたけど……もう身体は大丈夫なのか?」
高い塀に囲われた、一際大きな家の前を通りかかった時だった。長身で爽やかさを感じさせる男性に声をかけられてしまった。
そして、わたしの事を絆と呼んでいる――弓削絆の知り合い、だ。
わたしは近寄ろうとする男性に恐怖を感じて。
――じゃりっ。
「――えっ……?」
自分の足元から音がし、男性が声を上げるまで気付かなかった。
無意識に、半歩後退してしまったようだ。おまけに顔を引きつらせながら。その態度を見て、男性は歩みを止める。少し傷付けてしまったのか、男性は驚いた表情で固まってしまっている。
「……絆?」
「……えっと……わたし、は……」
真っ白な髪の毛を弄りながら、何を話せばいいかを考える。よく考えれば、家族を相手にもまともな会話が出来ない状態なのだ。後ろ盾無しで一人外に出るのは、少し無謀だったかもしれない。
家族は、少し練習してからの方が良いのでは、と声を掛けてくれていた。にも関わらず、わたしは即急な復学を望んで、今日と言う日を迎えている。
どうしても、『あの感覚』に耐えられなくて。
「……そう、だよな。事故の事覚えてるなら……お前は怖がって当然かもな……」
言い淀む男性の口ぶりから察するに、わたしが産まれる切っ掛けになった事故の発生時の事を何か知っているらしい。
失ったモノを取り戻す手がかりを得るチャンスが、思いの外――予想を遥かに超えていたが――早くに巡って来た。
取り戻せば、この空虚感を埋められるかもしれない。
そんな根拠の無い、たった一つの希望に縋りついたのだ。
わたしがすべき事。
わたしが、やらなければいけない事。
強張る身体を無理矢理前に進ませ、後退した分だけ近付いた。
「あの……少し、よろしいですか……? 御不快を与えてしまうかも、しれないですけど」
怪訝な顔をする男性に、勇気を出してまた一歩近づいた。