表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

高慢と偏見 ~ドッヂボールと交換ノート~

作者: 魚屋ボーフラ

 その日の体育の授業は、先生の都合により隣のクラスと合同で行われた。クラス対抗のドッヂボール大会だ。ただし人数が多過ぎるため、ボールを二つ使い、一度当てられた生徒は二度とコート内に戻ることは出来ないという特別ルールだ。

 普段とは違うルールに最初はとまどった僕たちだけれど、ボールが二つあることの怖さを知り、手に汗握りながらも、そんな軽いパニック状態を楽しみ、大盛り上がりのゲームとなった。

 しかしその中で、ちょっとした事件が起きた。それは、学年一の悪と噂される隣のクラスの永田君だ。永田君は、自分が当てられたというアウトの判定に納得出来ず、担任の松山先生に食ってかかった。

「当たってねーよ!」

「いいや、当たってる」

「当たってねぇ、 ってんだろっ!」

 先生に対してあんな乱暴なことを言う生徒なんて、僕は初めて見た。

「アウトだ。外に出ろ!」

 数年後には定年退職を控えている、普段は温厚なおじいちゃん先生の松山先生が、怒鳴った。

「ちぇっ、えこひいきかよっ!」

 そんなことを言いながら、しぶしぶ永田君はコートの外に出た。

 その後も不貞腐れたままの永田君は、自分の近くにボールが転がってくると、あらぬ方角へ思いっきり右足で蹴飛ばしたりしていた。

 両方のクラスを併せると、生徒は六十人もいるため、最初はコート内が芋荒い状態だったのが、みるみる人数は減り、今では両チームとも五人ずつになっている。そして、その中には僕も含まれている。

 次の瞬間、僕にとって一番のピンチがやってきた。両側から挟まれるような形で、二つのボールに狙われてしまったのだ。

 逃げることは得意だが、キャッチすることは苦手な僕は、これでは両方のボールをかわすことは無理だと諦めた。それでも最初に飛んできたボールは、お腹の辺りで何とかキャッチした。しかしその時にはもう、次のボールが真横まで飛んできている。かわすことも、キャッチすることも不可能だ。

 僕は咄嗟に、飛んできたボールの方を向き、それを、お腹で抱えているボールで弾き飛ばした。

「お~っ!」

 その僕の機転に、同じクラスの仲間から歓声が起こった。

 そしてその三分後に、タイムアップの笛が鳴った。その時コートに残っていたのは、両軍合わせて僕一人だけだった。うちのクラスの勝利である。

「良くやった~!」

 普段、クラスでは目立ったことのないこの僕が、ヒーロー扱いだ。

 そこへ、永田君がやってきた。

「調子に乗ってんじゃねえぞ、この野郎っ!ただのえこひいきじゃねえかっ!」

 そう言うと、僕の体操着の襟元を掴んできた。

「永田、止めろ!」

「うっせえ!この、老いぼれっ!」

 制止に入った松山先生を、永田君は突き飛ばした。

「あたたた…」

 尻餅を突いた先生は、腰を抑えて痛そうにしている。

「バカが!」

 そう捨てゼリフを吐いた永田君は、一人で勝手に体育館を出て行ってしまった。

 今から二年前、四年生の時までは、僕は永田君とは同じクラスだった。その頃の彼は、どこにでもいる普通の顔をした普通の生徒だった。放課後、遊んだことだってある。それが今では、いつだって怖い目をして、誰と喧嘩してくるのか、しょっちゅう青アザや切り傷を作って学校にやってくる。そんな永田君の変貌ぶりが、僕には不思議でならなかった。



 午後になり、帰りのホームルームをしていると、校庭から永田君の怒鳴り声が聞こえてきた。

「松山死ね~、老いぼれ、老いぼれ、くたばっちまえ~!」

 どうやら体育の授業でのことを根に持っているようだ。

 その様子を、窓の近くに行き、寂しそうな目で見ていた松山先生は、教壇に戻るとお尻を摩りながらこう言った。

「ああいう生徒は、ろくな大人にならないね」

 そしてホームルームの後、僕はクラスメートの町田君が、ぼそっとこう呟くのを聞いた。

「でも、あいつん家の家庭環境は悲惨なんだよなあ…」

 どういうことかと尋ねると、永田君は、毎日のようにアルコール依存性の父親から暴力を振舞われていることを知った。そして家に帰った僕は、交換ノートにそのことを書き、次の日に提出した。

 すると次の日のホームルームで、何と松山先生はその僕の交換ノートを読むと言い出したのだ。

 ああ、やばい。僕はノートの中で、松山先生の悪口なども書いていたから、怒られるんだと思い、耳が真っ赤になった。

 この日の松山先生は、腰を悪くしたのか授業中はずっと座りっぱなしだったけれど、この時ばかりは立ち上がって僕の交換ノートを読んだ。

「先ほど先生は、永田君が『ろくな大人にならない』と言いました。でも僕はその後、町田君から永田君の家でのことを聞きました。永田君も被害者なんだな、と思いました。だから、よく知りもしないで、人のことを悪く言ってはいけないんだ、とそう思いました」

 そう言うと先生は、教壇にノートを置き、前を向いた。

 そして静かに、町田君の名前を呼んだ。

 ああ、違う。悪いのは町田君じゃなくてこの僕だ。心の中で叫んだ僕に、更に先生は続けた。

「町田君、後で先生にも、永田君の家のこと、教えてくれるかな?」

「は、はい…、でも、何で…?」

 消え入りそうな声で答えた町田君に、更に先生は続けた。

「うん…。先生も、永田君に謝らなきゃいけないからね」

「謝る?何でですか?」

 そう発言したのは、女子の学級委員、管山さんだ。

「だって、みんなに永田君のこと、悪く言っちゃっただろう」

「そんなの、ばれっこないじゃないですか?」

 と、今度はクラス一の元気者、小沢君が笑いながら言った。

「そうです。それに悪いのは、先生にケガをさせたり、悪口を言った、永田君の方です!」

 管山さんの言葉に、「そうだ、そうだ」と、これはもう、何人かの生徒が、あちこちで同じようなことを言った。

「うん、だけどね…」と先生は、教壇に両手を突き、頭を下げながら、「やっぱり彼には、謝らなくちゃいけない」

 と、その声は、震えている。

「な、何で~?」

 と、先生の涙声に釣られて、何人かの生徒も、もらい泣き寸前だ。

「だ、だけどね…」と、先生の声は、もはや完全な涙声だ。「先生が永田君に対して言ったこと…、みんな…、忘れてはいないだろう…?」

 ぼ、僕のせいだ。僕がノートに、あんなこと書いたから…。みんな、許して、と申し訳ない気持ちで一杯になった。

「だ、だけど、だけど…」と、これはもう誰の声なのか、すすり泣きで声にすらならなくなっている。

「わ、忘れます。先生のためなら、忘れます!」

 管山さんは、気丈にそう言った。

「…ありがとう。だけど…、やっぱり先生は…、永田君に、謝るよ…」

 そう言うと松山先生は、もう一度深々と頭を下げ、「ありがとう…」と言って、この日のホームルームを終えた。































































 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ