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樹海の騎士と貴族令嬢  作者: こはく
2/5

中編

 カインはソフィアを自宅に返すための旅に出ることにした。

 樹海に居を構えてからというもの、外界に出たいなどという気持ちになったのは初めてのことだった。

 何よりそう言いだしたことに一番驚いているのはカイン本人に他ならない。

 内心で自問自答しても、ソフィアが心配だから。という以外の返答は見当たらなかった。



「……本当によろしいのですか?」

「ああ、お前が自分でやると怪我をしそうだしさ。

 ナイフ使うんだから、頭動かすなよ」

「は、はいっ! よろしくおねがいします!」


 ソフィアはそう言うと、背筋をピンと伸ばして目をぎゅっと瞑った。

 手の中に収まるほど小ぶりのナイフを取り出したカインは、ソフィアの髪先に慎重に刃をあてがい、揃えるように丁寧に切り落としていく。

 殺されかけた上に、乱暴に切り落とされたソフィアの髪は毛先の長さがグシャグシャになっていて乱暴に切られたと誰が見てもひと目で分かるほどだ。

 さすがにこのまま市井に出るわけにもいかない。自分で揃えようともしたが生憎ここには鏡すら無かった。

 短い部分に合わせて切りそろえたことで、結局顎辺りまでの長さになった。

 短くなっても髪質はとても艷やかで、貴族令嬢ならば毎日丹念に手入れを重ね、長く伸ばした髪はさらさらと柔らかく風に揺れていたに違いない。

 カインは忌々しい気持ちで奥歯をギリッと強く噛み締めたが、ソフィアはこんなにきちんとなるとは思っていなかったのか、窓ガラスに映った自分の髪型を眺めて上機嫌に微笑んでいた。


「カイン様、ありがとうございます!

 凄いです! これならどこに出ても恥ずかしくありませんわ」

「……まあ、普段から自分の髪も切ってるから」

「ええっ? 鏡も無いのに……?」


 ソフィアはカインの髪型をしげしげと眺めたが、自分で切っているとはまるで考えられなかった。

 濡れているように艶めく金の前髪は眼帯にかかる左側がやや長く、右の前髪は短い。襟足もまっすぐ揃えられたショートヘアがよく似合っていた。

 ソフィアはランプの光に照らされ、一本一本が光る金の髪に見とれていた。


「……何だよ……」

「カイン様の髪、とっても綺麗ですわ。

 触っても、いいでしょうか……?」

「…………しょうがねえな、ほら」


 ソフィアからのおねだりに弱い自覚のあるカインは短く溜息を吐いて、彼女に向かって頭を垂れた。


「! い、いいんですか?」

「いいよ、早くしろ」

「は、はい……失礼します」


 ソフィアは息を飲み、カインの柔らかく揺れる髪に手を伸ばした。

 華奢な指先が金糸を一房すくい上げて指の腹でなぞるように撫でると、猫のように柔らかく驚くほどつるりとした感触に驚く。


「…………」

「ど、どうした」


 あまりの沈黙にカインが顔を上げると、ソフィアは髪をつるつるとこすりながら顔をしかめていた。


「なんか……なんか色々負けた気がしますわ……」

「は?」



   ◇◇◇◇◇



 早朝にカインの家を出て、昼には樹海の出口に到着した。

 樹海は広大でカインの小屋はその中腹に位置しているが、山沿いの道には案外近くソフィア達が襲撃された街道にあっさりと出ることが出来た。

 馬もなく放棄された馬車のみが残されたままになっている。


「リリーと御者のハッサンは、無事逃げられたのでしょうか……」


 ソフィアは馬車のタラップに腰掛け、あの悪夢のような出来事は夢ではなかったのだと思い知った。

 顔を伏せるソフィアの隣にカインは立ったまま馬車を背に寄りかかっていた。


「なんでこんな場所を、よりにもよって夜に通ったんだ?」


 カインはかねてから気になっていた疑問を率直にソフィアにぶつけた。

 従者二人しか伴わない馬車など、襲われても満足に抵抗すらできない。

 ソフィアは目を伏せ、深く息を吐いた。


「……呼び出されましたの。確かここで襲撃される5日前のことでしたわ。

 お相手は以前婚約していた方で、3ヶ月前に一方的に関係の解消を告げられました。

 今回も突然『お屋敷に昼過ぎに来るように。樹海を通るのは危険だからと護衛はこの街道の前の集落に待たせている』と言ってきました。

 けれど指定された集落には誰もいらっしゃらなくて……そこで引き返せば良かったのでっしょうけど」

「…………会えたのか? そいつとは」

「……手前の街で護衛を待ちましたが現れませんでした。指定の時間が迫っていたので私達だけで向かうことにしました。

 しかし屋敷はお相手の方どころか、屋敷の者も誰一人として居ませんでした。

 私は何がどうなってて、一体何のために呼び出されたのか全く分からず混乱しましたが……夕方が近づいていたので急遽引き返したのです。ここに差し掛かる頃には夜になってしまい、襲撃に遭いました」


 カインは元婚約者という響きに目尻をぴくりと動かした。

 ソフィアはその様子に気づかず、寒さに耐えるように自分の両腕をギュッと抱きしめた。華奢な身体は不安に押しつぶされているかのように小さく縮こまっている。


「婚約関係の解消の書類に一部不備があった。私のサインが必要だとか……

 弁護士に一任すれば良かったのですが、もう一刻も早く手を切ってしまいたかったのです」

「……」

「カイン様、私は婚約者に命を狙われたのでしょうか……?

 ……怖い、まるで意味が分かりません……

 私を殺そうとした男達は、証拠に切り落とした髪を持ち帰り金銭を受け取ると言っていました。

 私は確かに婚約者との関係を解消されてしまいましたが、命まで狙われるような事とは到底思えないのです」



 カインとソフィアは再び歩きだし、最寄りの集落を通り過ぎてしばらく歩き、山林沿いの川近くで野宿をするこを決めた。人目を避けるのはどちらから言い出したわけでもなく、また何者かの襲撃に遭うのを忌避するための措置だ。


 カインは火の番をしながら、自分の肩にもたれて眠るソフィアを見下ろした。

 縮こまって眠るソフィアを自らのローブの中に包み込み、そのまま肩を抱いて小さな体を支えた。

 温かく包まれたソフィアはカインの胸に頭をもたげ、すうすうと寝息を立てる。

 昼には怯えて白くなっていた頬に血色が戻っていることに安堵し、カインにふっと笑みが溢れる。

 火に薪をくべながら、ソフィアの艷やかな髪を撫で漉くと、指通りの良い感触に目を細めた。


 短く切られた黒髪、肌に微かに残った矢の傷跡、そして婚約破棄という彼女の名誉を損なう傷。

 すべてが傷に塗れたソフィアは、無事自宅に帰ったところでもう普通の縁談は望めないだろう。

 ソフィアを守りたい。もう傷を増やさせなどしない。

 そう強く思う自らの心の変化に、まだどこか困惑している自分がいる。



   ◇◇◇◇◇



 翌日は大雨が降った。暗くて霧がかり視界も悪く移動には向かない天候だが、今夜はさすがに宿が必要だと判断したカインは足早に、しかし背後に連れ立つソフィアを気遣いながら足を進めていた。

 二人は持参したローブを目深に被りつつ次の町を目指していた。雨音と二人の足音しか聞こえない筈だったが、何かただならぬ気配が前方から複数近づいてくるのをカインは察知していた。


「おい」

「は、はい。何でしょうか」

「俺が合図したら、その場にすぐ伏せてろ。これを頼む」


 カイン足を止め、ソフィアの近くに荷物を下ろすとすぐに前方に向き直った。

 ソフィアも預かった荷物を抱き込むようにして止まり、カインが懐から二本の長さの違う剣を取り出したのを見て息を飲んだ。


「――伏せろ」


 言うやいなや、カインは白い霧の向こうに素早くで躍り出た。ソフィアはカインを目で追ったが速すぎてすぐに見失ってしまい、自らは茂みに半分体を埋めるように体を地面に丸めた。

 金属が激しくぶつかり合う音が響く。


 カインは襲撃者の虚を突いて一人目を音もなく沈めた後、残り二つの影に素早く両手の剣で応戦する。

 背後からの一撃を難なくいなし下方から殴るような速さで心臓を一突きすると、素早くもう一方からの気配に身を低くしたまま滑るように幾度も突きを浴びせた。たじろぐ襲撃者は防戦を余儀なくされ、カインの剣を防ぐために後退りする。

 カインの持つ左手の短い剣と右手の長めの剣が襲撃者の喉元を突く寸前で止まった。

 背後で突き殺された男が今更崩折れていく音がする。


「つ、強すぎる……」

「前の集落で見張っていたな。依頼主を言え? 返答がなければあと一撃で喉を裂くぞ」

「……ぉ、女だ……」

「女の名を言え」

「名は、知らん……赤毛の女だ……」

「……女に俺たちを始末する命令を受けたのか?」

「ち、違う……短い黒髪の女……金貨じ、10枚……」

「……女に伝えろ。もうそのはした金で請け負う者はいないだろう、と」

「グッ……」


 カインは戦意を喪失しへたり込んだ男から剣を奪い喉元を開放すると、霧の中に音もなく消えた。



   ◇◇◇◇◇



 二人は逃げ込むように宿に辿り着いた。兄妹ということにして一部屋にし、ようやく入室した直後にソフィアはカインのローブを慌てて脱がせた。


「なっ、お……おい!」

「け、怪我! 怪我が無いかだけ……」

「無い! 無いから! 落ち着け!」


 血など付いて無いかとまさぐるように体に触れるソフィアの手首をカインは掴んで止めた。

 ソフィアは顔を上げてカインを真っ直ぐ見上げる。彼女はぼろぼろと泣いていた。


「私、私のせいで……カイン……に、な、何かあったらと思ったら……っ」

「……あー」


 カインはしゃくり上げるソフィアを強く抱きしめ、背中をポンポン叩いた。


「……大丈夫だから、俺は全然何ともないよ」

「よ、よかった……巻き込んで……ご、めんなさ……」

「大丈夫、大丈夫。謝んな。

 お前のせいじゃねえよ」

「でも、も、もう、私は死んだと思われてると、思ったのです。

 なのにこんな……」

「……俺、多少は腕に覚えがあるし、そこら辺は任せとけ。

 ……というかドロドロだな。お前はとりあえず着替えてこい。俺はローブ干しとくから」

「う、ひ……わかりまじだ……」


 ソフィアは奥の小さな荷物置き場のドアを仕切りにしてそこで着替えるようだ。カインはそちらをあまり見ないように意識しながら、ローブを椅子の背もたれにかけて干した。

 頼んでいた湯の入ったやかんとたらいが届き、カインは水瓶の水と湯をたらいに割って手ぬぐいを放り込み、ソフィアのいる方へとたらいを押した。

 もう半分に持参した茶葉を入れ、蓋をしておく。


「ちゃんと泥拭けよ」

「は、はい」

 ドアの向こうで水音が聞こえるのをあまり聞かないようにして、備え付けの木のカップに茶を注いだ。

 少しして温かいおしぼりで泥だらけの身を清め、カインのダボダボの服を着たソフィアがドア裏から出てきた。


「ん」

「あ、ありがとう……ございます」

「とりあえず干し肉食べとけ」


 ソフィアはベッドに腰掛け、少し寒いのかシーツに包まった。

 干し肉をちびちび食べる彼女を小動物のようでほほえましく思いながら、カインは自分の面倒見の良さに若干苦笑した。


 明後日にはソフィアの屋敷に着いて、何不自由ない生活の中に彼女を戻してあげられるだろう。

 その後先刻の襲撃者から聞いた『赤毛女』を探し、さてどう破滅させてやろうかとカインは無表情に考えを張り巡らせていた。

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