罠
僕たちは初日の宿を目指していた。
モルデウスとアインの間に直行便はないとはいえ、それはその間の旅をする人がいないと言う意味じゃない。
ちゃんと道はあるし、宿だってある。
グラムタからの旅ではフィリス嬢のためにコックさんや世話をする女性もついてきていたのであえて宿には泊まらなかったけれど、今回はそうはいかないのだ。
「とはいえ、この道は旧街道ですからな。うまく泊まれたにせよこのあたりの宿など、有名な宿場とは比べものになりません。あまり、ご期待なさらぬよう」
気の毒そうにアールさんが言った。
それは全然構わない。
最近いい生活をさせてもらっているだけで、僕は人というのもおこがましいような生き方をしてきたのだ。
グラムタの最底辺の住人だって僕の岩牢生活と代わってやろうとは思えないだろう。
「それがしはアイン市にいくらか土地を持っておりますので、その管理のために何度か行き来しておるのですが、定宿にしていたところがしばらく前にやめてしまいましてな。近在の親戚が受け継ぐと言っておったのですが……」
実はアールさんがいつも使っていた宿の建物はしばらく前に通り過ぎている。
どう見ても無人なので停まることすらしなかったのだが、この先にもう一軒経営していた宿があり、そちらはやっているかも知れないというので一縷の望みをかけて走らせているのだ。
窓の外は暗くなってきていた。
街道に人通りはない。森がすぐ近くまで迫っているのと、路面がいくらか荒れているせいで余計に見捨てられた街道といった感が強まっていた。
近くに宿があるならもう少し人の気配があるものじゃなかろうか。
「うむう。結局営業していないのかもしれません。私も確かめてはおりませんので」
「野宿でも大丈夫ですよ。気にしないで下さい」
別にアールさんの責任じゃない。
その時、御者さんがこっちを向いて叫んだ。
「ありがてえ!灯りがみえますぜ!」
野宿はしなくてすみそうだ。
竜の目亭。
アールさんの定宿だったそうだけど、今は遠い親戚の人がやっているそうで、それも毎日じゃないらしい。
運がよかったな。
結構大きな建物なんだけど、お客は僕たちと後は二組だけ。
これじゃ宿の収入だけで生活はできないだろう。
丁度食事の時間で、客は全員食堂に集まっていた。
二組ともアインに季節外れの荷を運ぶ街道商人らしい。
疲れているせいかこちらが挨拶しても俯きがちで返事も小さかった。
なんだか、名前に反して宿全体が薄汚れて活気がない感じがする。
食事は固いパン、骨と魚のすり身が入った焦がし麦のスープ。食べにくい。
それだけだ。
「大砲のシチューか。懐かしいな」
僕はあらぬことを口走ってしまい、アールさんたちに怪訝な目で見られた。
"あちら"にも同じものがあったらしい。
うらやましくはないな。
しまらない夕食を終えると、後は寝るだけだ。
ベッドの干し草は湿っていてかびの臭いがした。
「なんともひどい宿ですなあ」
御者さんが顔をしかめて言った。
「部屋なんか空いてるでしょうに、わしのような者と旦那がたを一緒に押し込めようとは、ここの主人は商売を知りませんなあ」
「以前はもっとよい宿だったのだがな。うまい腸詰もあったのに、今日の夕食ときたらまるで正教徒が食うエサのようなものだ」
アールさんも怒っている。
「せめてワインの一つもと思ったが、よこしたのがこれだ」
いまいましげに土器のコップを指で弾く。
入っているのは薄いビールだ。
「酒精が入っているかどうかも怪しいもんですな。今日はもう寝ちまいましょう。明日になったら道すがら農家でも見つけて腸詰とまともなビールを買える事を祈りましょうや」
「それしかあるまいな……グライムズ様、ひどい宿を紹介してしまって申し訳ないことです」
「もっとひどいところに泊まったこともありますよ」
僕はボロボロのキルトをひっかぶりながら言った。
被るものがあるだけマシだ。
だが、平穏な朝は訪れなかった。
夜半に火が出たのだ。




