ローゼンシュタイン
フィリス嬢の実家はまるで城だった。
僕は城の専門家じゃないから、印象だけのことなんだけど。
シヴェシュの家が大きいとはいえ、街中のレストランだったのに、ずいぶん違うものだ。
モルデウスの街は上から見ると星形をしているそうで、この家はその角の一つを占拠するように建っていた。
背後はモルデウスの街を囲む堀だ。
正面も水路で遮られていて、そこに頑丈そうな跳ね橋がかかっていた。
あたりはほぼ暗くなっていて、たくさんの松明で門が照らされている。
そこに十人くらいの人が待っていた。
全員、きちんとしたお仕着せを着た若い男の人だ。
「お早いおつきで」
比較的年かさの人が止まった馬車に声をかけてきた。
「そんなところを塞いでおるでないわ。お嬢様はお疲れじゃ」
ロロさんが顔だけ出して文句を言った。
あ、やっぱりこの人結構偉いのかな。
「旦那様がお待ちです。晩餐の用意が出来ております」
「ふむ……しかしの」
「いいわ。参ります。お父様にはご心配をおかけしてますし」
フィリス嬢はさっさと馬車を降りてしまった。
「グライムズ様。我が家にようこそ」
にっこりと笑っている。
ああ、やっぱり僕も同席するんだね。
晩餐は家族だけの小規模なものということで、東翼のテラスに準備が出来ているそうだ。
「父は少々変わっていますけど、驚かないでくださいね」
「お嬢様。そういった事はあまりお客様に……」
ロロさんが渋い顔をする。
「あら、今からお会いするのに隠してもしょうがないじゃないの」
「しかしですな」
どんな人、いや方なんだろう。心配になってきた。
「フィリスちゃん!体は大丈夫なのかい?」
テラスの入り口を潜ると、目の前にいきなり巨大な黒と金の塊が殺到してきた。
「大丈夫です。シヴェシュおじさまのお薬ですっかりよくなりましたわ」
「本当に?あのコウモリ野郎、まかせておけと言っておきながらフィリスちゃんを死ぬような目にあわせたんだろう?パパはすぐに飛んでいきたかったんだが……」
「大・丈・夫・で・す!」
フィリス嬢は黒と金の塊を押しのけた。
「パパは本当に心配したんだよ?今だって市門まで迎えに行こうとしたんだけど止められてねえ」
さっさと席につこうとするフィリス嬢に覆い被さるように話しかける塊……いや、これがローゼンシュタイン氏なのか。
見た目は二足歩行する巨大な金色の狼。
黒い服にみっちりと詰まっているのは筋肉だろう。
顔もどことなく狼っぽいというか人間らしくない。
他にテラスの食卓についているのは女性二人、男性一人。
給仕の人も含めて、何もかも無視してフィリス嬢に話しかけ続けるローゼンシュタイン氏を見る目がこころなしか冷たかった。
「フィリスちゃんが無事に我が家に戻った事を祝して!」
「……あなた。いい加減になさいませ」
僕を完全に無視したままローゼンシュタイン氏が乾杯しようとしたので、さすがにストップがかかった。
「何かね!我が愛しの人よ!」
フィリス嬢によく似た年配の女性がものすごい勢いで彼の頭をぶん殴ったのだ。
「ぶッ!!な、何をするのだ!」
「フィリスが男性を連れてくるたびに無視するのをいい加減におやめなさいませ、と言っているのです」
「だ、誰だ男性とは!許さんぞ!」
ああ、こういう意味で変わった人なんだな。
「君の事はコウモリ野郎……ゴニョゴニョ……シヴェシュからよく聞いているよ」
だったら何でさっきまで無視されてたんでしょうか。
「娘が世話になったそうだが!だからといっていい気になってもらっては困るんだ!」
ぐいと突き出された狼顔がものすごく近い。
「いいかね!フィリスちゃんに近づく者は……あ、痛い、いたい、引っ張らないで!」
奥様が後頭部の髪を情け容赦なく掴んで強制着席させてくださった。
ありがとうございます。
「フィリス。お客様とお食事を。私はちょっとお父さんとお話し合いをしてきますからね」
すごい腕力だ。
ローゼンシュタイン氏の巨体をこともなげに引きずって行ってしまった。
「このパターンもいい加減飽きてきたわね」
「だなあ」
ローゼンシュタイン氏と奥様が一時退席されて、残っているのは若い男女だ。
フィリス嬢よりはいくらか年上だろうか。
「紹介するわね。あたしはフィリスの姉のロイス。こっちは長男のリゲルよ」
「妹が助けてもらったそうだね。ありがとう」
二人ともとても端正な顔立ちで、まるで絵本に出てくる王子と王女みたいだ。
そんな人にお礼を言われるとちょっと照れてしまう。