髑髏面(フィリス視点)
わたくし、フィリス・ローゼンシュタインは狼人の祖型の血を引いています。
祖型とは各亜人の中でも"はじまりの人"から最初に分かれたもの。
"はじまりの人"の力を最もよく受け継いでいます。
亜人が"はじまりの人"からもらった力はそれぞれの種族により特徴がありますが、狼人は規格外の生命力を持ち、素早さ、腕力も全種族中有数の高さです。
故に、ローゼンシュタインの血濃きものは戦士として名を馳せてきました。
わたくしのような小娘でもそれは変わりません。
素手のわたくしと組み討ちが出来る者は亜人でも一流の戦士だけですし、我が武器をとれば更に少ないことでしょう。
それがため、油断していたことは否めません。
グラムタは気性の荒い者が多い街ですが、わたくしはあえて護衛を付けず出歩くのを常としておりました。
金や体目当てで近寄ってくる輩を散々に打ちのめしてやるのは箱入りで育った私にとっては刺激のある遊びで、肉と骨を砕く感触に思わずその場で遠吠えしてしまい、赤面することもままありました。
ちなみに、狼人の間でところかまわず吠えるのは駄犬の行いとされ、嫌われております。
父がグラムタにいないのは幸いでした。
その日も、そうした愚か者を釣っているはずだったのです。
隠れてはおりますが、わたくしの感覚では敵はおよそ十人ほど。
少々多いものの、際だった強者らしきものもいず、骨を折ってやった者どもの親分などが意趣返しを企てているものと思いました。
それが、いつも誘い込んでいる人のいない一角に近づくにつれ、体が重く、頭がはっきりしなくなっていきます。
毒が風に混ざっていることに気づいたのは、うかつにも見るに耐えないニヤニヤ笑いを貼り付けた者どもの手にログマリア正教会の印の入った短剣が見えてからでした。
狼毒などという希少な毒を手に入れてまでわたくしを害そうとするとは……。
軽々しい行いを悔やむ間もなく、わたくしの意識は闇に墜ちていきました。
次に意識を取り戻したのは蘇生薬を嗅がせてもらった後だと思います。
まだ夢の間のようで、目も開いていませんし、指一つうごかせませんでしたが、かすかに声が聞こえました。
シヴェシュのおじさまの声はわかりましたが、それとは別に優しい、女性とも男性ともつかない声がふわりと耳に入ってきます。
なんて美しい、それでいて悲しげな声なんだろう。
何を言っているかはわかりませんが、そう思った事だけははっきり思い出せます。
その日はそれだけでした。
わたくしの意識は覚醒と昏睡を繰り返していて、次にその声を聞くまでにどれだけ時間がたったかも覚えていません。
あの悲しげな声がシヴェシュおじさまと何かを話しています。
なぜかその前よりも声が大きかったように思います。
次の瞬間、胸のあたりに強い、それでいて限りなくやわらかな力が染みこんで来ました。
まだ目が開きませんが、声はよく聞き取れるようになりました。
この声の持ち主が回復薬を使ってくださったようです。
なんて優しい心根の持ち主でしょう。
私は今度は昏睡ではなく眠りに落ちながら、この人に会ってお礼がしたいと心から思いました。
私は目覚めました。
残念ながら(そんなことを言ってはいけませんね?)そこにいたのはよく見知った顔……シヴェシュおじさまと古くからおじさまの家に仕える蛇人の女中だけでした。
女中は人語を話せませんので、わたくしの額を拭きながら高周波でおじさまを呼びました。
「おお、フィリス殿。目覚めたかね。体調はいかがかな?」
「……あの、ひと、どこ」
はしたないことではありますが、動かしにくい口でまずあの声の主について聞いてしまったわたくしを責められはしないと思います。
「ん?誰のことかな」
「くすり、つかって」
「ああ、驚いたな、ちゃんと聞こえていたのか。ピーター・グライムズという男だよ。君を助けてきてくれたのだ」
わたくしは体調を取り戻す間にこの異国風な名前の探索者について、おじさまから聞き出せるだけのことを聞き出しました。
それだけでなく、いったんモルデウスに戻る際に彼をおじさまの名代として付けてくれることも。
彼はとても忙しいらしく、その後見舞いには来てくれませんでしたが、わたくしは一緒に旅が出来ることだけでとても幸せでした。
体が大きいことはむしろ頼もしさがあります。顔が奇妙に若いことも、体とのバランスが取れていないことも、異形の多い亜人の中ではなんてことはありません。
散々脅かされたにもかかわらず、彼の見た目はむしろ好ましいものでした。
でも、わたくしは彼を恐れてしまいました。
優しい、悲しげな顔と声。
なぜわたくし以外の誰も気がつかないの?
この人はなぜこんな恐ろしい瞳をしているの?
瞳の奥に、無数の影がひっそりと静まり返って立ちすくんでいます。
彼の中に死者の都が沈んでいるように見えるのです。
わたくしは彼の手をとることが出来ませんでした。
その後も、心から感謝しているのにお礼の一言も言えずにいます。
なんとかしたいのに。
誰か助けて……。




