夜半を過ぎて
その日の夜。
おおいぬ亭の消灯時間を過ぎてかなり経っていたと思う。
ふだん、おおいぬ亭の従業員さんたちは輪番の見回りの時にもほとんど音を立てない。
さすが高級宿だ。
だから眠っているときに起こされるなんてことは今まで全くなかった。
それが、遠慮がちではあるけど、ノッカーが鳴らされている。
何だろう。
火事なんかだったらもっと騒がしくしていそうなものだ。
僕はベッドから起きて扉を開けてみた。
「夜分に申し訳ありません」
夜番の従業員の人だった。
名前はよく知らないけど、朝はやく起きた時に見たことがある。
「グライムズ様に、お客さまが見えております」
「こんな時間に?」
「はい。もう明け方近うございますので、明朝にと申し上げたのですが、仕事の件で是非にと申されまして。」
なんだろう。
また変な怪物が出て、力を貸せとでも言うのだろうか。
「わかりました。すぐに行きます」
"ファントム"に意識を繋げる。
うん。弾薬はきちんと補充されている。
何の問題もない。
何時まで寝たら一晩になるのかな。
僕は暢気なことを考えながらいったん部屋に戻って顔を洗った。
どうせライレさんだろうと思っていたのだが、その予想は完全に外れた。
昨日会った依頼主の番頭さんじゃないか。
「どうもどうも、朝早くから申し訳ありませんな」
ちっとも申し訳なさそうではなく番頭さんは言った。
「いえ、大丈夫ですよ。でも出発は三日後の昼間じゃありませんでしたか」
「それがですな!」
番頭さんが大げさな身振りと共に言うには、荷を急に運ばなければならない事態になったのだそうだ。
その事態の詳細は言えないが、三日後などと悠長に待っていたら"商機を逸する"というのだ。
ちなみに、その説明の中で"商機を逸する"は四回言われたと思う。
そんなに大変なんだ。
僕は今から出発したいという番頭さんの言葉にうんうんとうなずくしかなかったのだった。
馬車がおおいぬ亭の脇の小道をふさぐように二台止められていた。
なぜ前じゃなく脇?騒がしくしたくないからなのかな。
僕が乗り込んだ方の馬車は護衛用だったらしい。
僕を含めて六人乗って、番頭さんはどうするのかと思ったら御者の隣にいた。
え、こういうとき、えらい人は荷と一緒に乗るんじゃないのかな。
本当に荷ってなんなんだろう。生もので臭いがひどいとか?
そんなことはないか。
僕以外の護衛の人たちは、みんな黒い鎧を着てて、無口だった。
街路に吊されたカンテラと星明かりを頼りに僕らは出発した。
しばらく走って気づいた。
「こんな時間じゃ、城門が通れないんじゃありませんか?」
「いやいや」
番頭さんが振り返って言った。
「本当はいけないんですがね。いくらか包んで見逃していただくんですよ……内密にお願いしますぞ。ははは」
え、大丈夫なの?。
僕は今更ながらライレさんの言うことを聞いておけばよかったと思いはじめていた。
とはいえ、門を出るまでは何事もなかった。
どの門から出たのかはわからない。
馬車の窓は全部黒いラシャがかかっていて周りが見えない上に、何回もおかしな曲がり方をしたからだ。
たぶん、わざとこちらの方向感覚を失わせようとしている。
何のつもりだ。
グラムタを出て体感でそれほど走らないうちに馬車は目に見えて減速した。
ラシャを通してたいまつの光が見える。
「止まれ!」
大声で呼びかける声がある。
「と、盗賊です……二十人はいます……止めるしかありませんね」
番頭さんはわざとらしく震える声でそう言ったけれども、そのために護衛を乗せているんじゃないのか。
諦めが良すぎるよね……。
僕の両側に乗っている護衛たちも全く声を上げない。
おまけに僕の腕を両方からさりげなく抑えてくる。
この馬車に乗っている人間は盗賊とグルだ。間違いない。
さすがの僕でもそれくらいはわかる。
わからないのは理由だ。
僕はウェブリーに指先で触れながら、馬車を降りた。




