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第4章 忠告

 泉に食事を運ぶようになって、ちょうど一週間になる。

「美味しい?」

 隣に座るヨウに、エメラは尋ねた。ヨウはいつも通りの速さで料理を平らげていたが、今日はやけに無口だ。

「……ああ」

 ヨウは一瞬手を止めただけで、すぐに食事に戻った。考えごとでもしているのか、その表情はくもって見える。

「ありがとう。美味かった」

 食事が済むと、ヨウは神妙な顔で言った。

「でも、こうして食事を持ってきてもらうのは今日で最後だ」

「どういうこと? またどこかに行っちゃうの?」

 エメラの問いに、ヨウは「いいや」と首を振る。

「そういうわけじゃないが……おまえはもうここに来ないほうがいい」

「どうしてよ」

 エメラは不満を隠せなかった。食べるだけ食べておいて、今さらそんなことを言うなんて。

「おまえには恋人がいると聞いた。わかるだろう――俺は別れの原因になりたくないんだ」

 ヨウは真面目な顔で言い放つ。エメラは一瞬戸惑ったものの、やがてその言葉の意味に思い当たる。――恋人というか、婚約者なのだが。

「ウィルのことね。でも彼は怒ったりしないわ。だって、あたしはなにも悪いことなんてしてないもの」

 エメラはただ、お腹を空かせた旅人に食べ物を届けているだけだ。

「それでも、やっぱり来ないほうがいい」

 ヨウはゆっくりと首を横に振った。

「『ウィル』からすれば、俺は怪しい男としか思えないだろう。食事を届けるだけといっても、いい気分はしないはずだ」

「だから、ウィルはそんな人じゃ――」

 エメラは言い返そうとして、途中で口をつぐむ。澄んだ青の双眸は寂しげに揺れていた。そんな顔をされる理由は見つからなかったが、これ以上言葉をぶつけるのも馬鹿らしくなった。

「もういいわ、帰る」

 手早く食器を片づけると、エメラは席を立った。振り向きもせず、早足で石段を降りる。問題の草むらもためらうことなく突っ切っていった。蛇が出たってかまわない。今ならたぶん、思いきり踏みつけてやれる。

 だが、そんな威勢のよさも長くは続かなかった。山道を半分戻ったころには、ささくれ立った気分もだいぶ落ち着いてきていた。

 頭の中に、ヨウの言葉がよみがえる。

 ――『ウィル』からすれば、俺は怪しい男としか思えないだろう。食事を届けるだけといっても、いい気分はしないはずだ。

「嫉妬する、ってことかしら」

 エメラは首をかしげた。ウィリスに限って、そんなことはありえない。優しい彼が不機嫌そうにしているところなんて、一度も見たことがないのだから。

 とはいえ、このところは泉通いに忙しくて、ウィリスとはほとんど顔を合わせていないのも事実だ。せめて、話だけでもしておいたほうがいいのかもしれない。ウィリスのことだ、正直に話せばきっとわかってくれるだろう。

 冷静に考えてみれば、突き放すようなヨウの台詞も、純粋に親切心から出たものだったのかもしれない。ヨウはウィリスを知らないから、あんな言い方になったのだ。

 明日行ったら、ちゃんと謝ろう。途中で帰ってしまったおわびに、また林檎でも持っていこうか。来るなと言われたばかりなのに、すでにエメラは明日の献立を考えはじめていた。

「だって、行かなきゃまたお供え食べようとするんだから」

 小さな独り言は、青々とした林に吸い込まれていった。


 夕焼けの名残りが、森の輪郭をゆるやかに映し出している。民家の窓に黄色い明かりがつぎつぎと灯りはじめる。

 村の中央に建つ神殿は、薄闇の中で純白の壁を浮かび上がらせていた。

「ウィル!」

 重い扉を押し開けると、広い礼拝堂の奥で人影が動いた。淡い金髪が蝋燭の炎にきらめいている。

「やあ、エメラ。珍しいね、こんなところまで来るなんて」

「もしかして、お邪魔かしら」

「構わないよ。ちょうど帰ろうと思ってたとこなんだ」

 ウィリスは燭台を手に入口まで出てくる。

「じゃあ、うちでお茶でも飲んでいかない? お隣さんから珍しいお茶をもらったの」

「へえ、きみから誘ってくれるなんて嬉しいな。ここのところ、ずっと会えなかったし」

 ウィリスは甘く微笑む。燭台の火を消して、代わりにエメラの手を取った。少し骨ばったウィリスの手に、エメラの手はすっぽり収まってしまう。まるで壊れ物を扱うかのような力加減に、気づかいを感じた。

「おお、ウィリスくんじゃないか」

「どうもお邪魔します、ローガさん」

 家に帰ると、玄関まで父が出てきた。軽く酔っぱらっているのか、上機嫌でウィリスに話しかけようとする。

「もう、父さまったら。邪魔しないで」

 エメラは父を押しのけ、ウィリスを奥に通した。

「待ってて。すぐに用意するから」

 手伝おうとするウィリスを強引にテーブルに着かせて、薄桃色のそろいのカップにお茶を注ぐ。貴重だという茶葉から抽出されたお茶は、きれいな琥珀色をしていた。ほんのり果物の香りがする。

「どうぞごゆっくり」

 テーブルをはさんで向かい合うと、どちらからともなく笑みがこぼれた。部屋に二人きりという状況は、自然と結婚後の生活を想像させる。

「ごちそうさま」

 カップが空になったところで、ウィリスがふっと息をつく。満足そうな表情だった。話をするなら今のうちだろう。エメラはカップを持つ手に力を込めた。

「ねえ、ウィル」

「なんだい」

「前にも話したと思うけど……森の奥に、昔、神殿だった建物があるでしょ?」

「ああ、知ってるよ。なんでも、手前の泉に祈ると願いが叶うんだって? 僕も一度祈ってみようかな。エメラが僕を愛してくれますように、って」

 冗談めかしたささやきにも、エメラはあいまいに微笑むことしかできない。まだ話は終わっていないからだ。

「それでね、一週間くらい前から、その建物に旅人が寝泊まりしてるみたいなの」

「へえ、そりゃまた物好きな……いったいどんな人なんだい?」

 お茶のおかわりを、ウィリスは音もなく飲み干した。勘のいい婚約者は、エメラがその「旅人」に会ったこともお見通しのようだ。それでも機嫌を損ねたようには見えなかったので、エメラはこの一週間のことを順に話していった。

 願掛けに訪れた泉で、偶然、倒れている彼を見つけたこと。お腹が空いているようだったので、それから毎日食事を運んであげていること。ヨウと名乗った彼はどうやら、遠い国から来た旅人らしいということ。

「なるほど」

 話が終わると、ウィリスはカップを置いて長い指を組んだ。

「きみはどこまでも優しいね。わざわざ彼のために食事を作って、あんな遠くまで届けてあげるだなんて」

 薄灰色の瞳を細め、やわらかい笑みを作る。

 ほらやっぱり、とエメラは思った。自慢の婚約者は、困っている人相手に嫉妬したりしないのだ。

「でもね」

 ウィリスは静かにつけ加える。

「旅人といえば聞こえはいいけど、要するにどこの誰かもわからないってことだよね。あそこはあんまり人も来ないし、きみ一人で会いにいくのは危ないんじゃないかな」

「大丈夫よ。ヨウは悪い人じゃないわ」

 不思議ではあっても、不審ではない。少なくとも、エメラの印象ではそうだった。

「本当にそう言い切れるかい?」

 ウィリスは表情をくもらせる。

「ほら、最近はあちこちを盗賊がうろついてるっていうじゃないか」

「彼が盗賊だっていうの!?」

 エメラは勢いよくカップを置いた。華奢なカップが、受け皿の上でがちゃついた音をたてる。

「そういう可能性も否定できないってことだよ」

 ウィリスの態度は冷静そのものだった。

「いくら宿賃が惜しいからって、あんなところに寝泊まりしなくたっていいだろう? 僕だったら、誰かの家に泊めてもらうとか、空き家を借りるとかするけどね」

 現実にウィリスは、神殿近くの小さな空き家を借りているのだ。

「あんなところに住み着いてるなんて、自分には隠れなきゃいけない事情がある、って言ってるみたいなものだよ」

 ウィリスは形のいい眉をひそめた。

 エメラはとっさに口をひらいたが、反論する言葉が出てこない。ウィリスの言うことも、的外れではないように思えたからだ。

 ヨウは旧神殿の建物を気に入っていると言ったが、寝台もない部屋ではぐっすり眠るのも難しいだろう。それに、考えてみれば、エメラはヨウのことをほとんどなにも知らない。彼は不思議な話をたくさん教えてくれたけれど、自分の素性についてはなに一つ語らなかった。

 不思議な響きの名前は、偽名かもしれない。黒ずくめの服装は、闇にまぎれるのに都合がいいからかもしれない。旅人というのもエメラがそう思い込んでいるだけで、本当は盗賊の仲間なのかもしれない。いったん芽を吹いた疑念は、とどまることなく枝葉を伸ばしていく。

「わかったわ。もう会わないことにする」

「それがいいと思うよ。食べ物にありつけなくなれば、そのうち村を出ていくかもしれないし」

 ウィリスはエメラの手を取り、白い甲にそっと口づける。

「悪く思わないでほしいな。僕はただ、きみのことが心配なんだ」

 こちらを見つめるウィリスの瞳は、ランプの炎に赤く燃えていた。

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