【現役】はるの音。
季節は春。高3になってすぐの頃だった。
カランカラン、と控えめな音を立てて木造の古いドアを開ける。
前から気になっていた、楽器カフェはるの音という店に、今日俺はなんでか来てしまっている。
どうやら俺の親友がこの店の店主と知り合いらしく、俺が気になっていると言ったら「じゃあ行こうぜ」なんて連れてこられた。
もちろん、気にはなってたからノリ気だったんだが。
「ちわーっす、若葉さん」
「いらっしゃい。まだ肌寒いね」
親友であって、バンドメンバーでもある冷慈は中にいる一人の女の人と楽しそうに話している。
店内には、他にももう一人女の客がいて、その人はカフェオレとサンドイッチを手元に置いて何やら一生懸命に本を読んでいた。
「クラリスさんも来てたのか」
「あ、冷慈くん……こんにちは。……やっぱり冷慈くんはお友達がたくさんいるのね」
「あぁ、そっか。真見るのは初めてだっけ」
見るのって。俺は見世物じゃねぇよと思いながらも軽く頭を下げておく。
普段ならここで冷慈に文句でも言ってぎゃいぎゃい騒いで俺もお姉さんと友達にー!なんて言うんだが、どうにもこの店の雰囲気にのまれたらしい俺は、黙ったままだった。
「珍しいな真が黙ってるの」
「いつだって俺は静かないい男だ」
「……前言撤回」
椅子に腰かけながら冷慈は俺にぶっきらぼうにメニュー表を渡してくる。
シンプルな綺麗なメニュー表を見ていると、全部が美味そうに見えてきたのでとりあえず、さっきの写真のお姉さんの真似をしてカフェオレにすることにした。
「すいません、カフェオレください」
「若葉さん、俺いつもの!」
「カフェオレとスコーンですね。ふふ、かしこまりました」
店主さんは、楽しそうに笑って厨房に消えた。
店にゆったり流れるアコギとアコーディオンのBGMは優しくて、なんだかふわふわした。
「真、真。このBGMあんじゃん、これな、若葉さ……さっきの店主さんの曲なんだよ」
「え」
「あの人、好きなんだよ音楽が。楽器は一通り出来るらしくて、自分で曲にしてるんだって」
「……へぇ」
意外だった。確かに曲のイメージはあの人にピッタリだけど、まさか本人作曲だとは。
どうりで音色まで優しいのか。きっとこの曲を俺がベースで弾いても、俺の指から紡がれる音色はここまで優しい音にはならないだろうなと思いながら、窓から見える見慣れた海を眺める。
「……真、ここ気に入った?」
「……割と」
「いいとこなんだよ」
いつも来るんだけどさと言う冷慈は、楽しそうだった。
確かにここは楽しい。なんていうか騒ぐのも楽しいけど、ここはいるだけで楽しい。
店内の一角に飾られたドラムやギターにマイクスタンドとマイクに、ベースにキーボードが目に入って、無性にソワソワする。
今なら、今ならいい歌が歌えそうな気さえしてくる。
ここでなら、ゆったりしたバラードだって歌えそうだ。
「お待たせしました」
俺が、その一角に夢中になっているとほのかな甘い匂いが意識を連れ戻した。
マグカップに入ったカフェオレはものすごくいい匂いで、絶対に美味いと飲む前から確信をした。
「……美味い……」
「若葉さんあざーっす」
「いえいえ、あ、そうだこれはオマケでどうぞ」
オマケと言って、俺の前に出されたのはチョコチップの入った手作りらしきクッキー。
冷慈がよかったなーと言ってる当たり俺に出してくれたらしい。
それをそっと手に取って、ひとつ口に運べば甘い味が口全体に広がった。
カフェオレとの相性は抜群だ。
「ありがとうございます」
「いえいえ、来ていただいてありがとうございます」
ニコニコと微笑まれて、俺はどうしたらいいかわからなくなって、とりあえずまたカフェオレをのむことにした。
(これは、クセになりそうだな)