学生時代に得たもの
まだ私が現役の学生時代のこと。あまり自分が希望していなかった短大へ進み、学生生活を送っていた。それでも自分なりに有意義な学生時代を過ごしたくて、学園祭の実行委員をすすんで引き受けた。
学園祭の実行委員の活動は、初夏から本格的に始まり、学生会のメンバーの人たちと連携してやっていく。夏休みには合宿をしたり、パンフレットに載せる広告主を求めるための渉外活動をしたりと、それぞれ役割分担しながら進めていく。
実は私自身、高校時代に半ば「面倒な仕事だから」とクラスメイトから押し付けられる感じで推薦され、生徒会役員をやったことがある。
初めは仕方なしにという部分が強かったが、やってみると意外にやりがいがあり、途中からは裏方をやることに楽しさを感じられるようにもなっていた。
そんな経緯もあり、短大に学園祭の実行委員の担当を各クラスから出す話を聞き、即座に希望の意思表示を示したのである。
委員会の集まりでは、最初は他のクラスの見知らぬメンバーではあったのだが、そこは学園祭を成功させるという同じ目標をもつ者同士、クラスの垣根は関係なくなじんでいった。
一年のうちはとにかく先輩の後につき、先輩の指示で動くが、二年にもなると自分たちの主導で動く。企画の話し合いともなると、いろいろ意見が分かれたりすることもあったが、だいたいにおいては、大きな対立はなかった気がする。
それでも唯一、激しく互いに涙まで流して言い合ったことが、学園祭直前の合宿時にあった。
もう内容までは覚えてないが、学園祭の中身とは別の所で、感覚や価値観が全く正反対がゆえに対立したような記憶がある。
彼女は比較的広く浅く社交的に友達付き合いをする方で、良くも悪くも半分は付き合いの為に、相手に話を合わせて、本音とは違うことを当たり障りなく言う人であった。逆に私は、人にうそがつけないほうで、思ったことをすぐ顔や言葉に表してしまい、それが裏目にでることもしばしばあった。
それでも自分の中では、本音で話せるのが真の友人だと信じて、その形を悪いとは考えなかった。それが《合宿》という寝食を共にする場では、互いに本心の部分を出し合っていく。そこで、全く正反対の考え方をもつ者同士で対立してしまい、激しい論戦になってしまったのである。
さて、学園祭の方はというと、無事最後までやり遂げて終了することができた。
その後、前述の彼女とは少し距離を置いたりはしたものの、互いに尾を引くことなく、たまに会ったときは昔話に花を咲かせている。
もう一つ、私の中に学園祭にまつわる印象深い記憶がある。それは学園祭が終わって数日後の調理実習の授業のときである。この授業では、名簿順の班ごとにまとまって実習をするのだが、当然同じ班の中には、普段ほとんど会話を交わしたことのない人もいたりする。その中の一人のクラスメイトが、授業が終わる頃急に話しかけてきた。
「○○さん(私)!学園祭の活動、ご苦労様。頑張ったね」
たったそれだけの言葉だが、私は半ば驚いた気持ちで聞いていた。ふだん、それほど親しいわけではない人に、こんなねぎらいの言葉を受けたからである。と同時に、とても嬉しい感動的な心持ちになった。それはおそらく、表舞台に立ち、何万人もの観客から受ける拍手よりも嬉しい気分であったろう。
「実行委員をやっていてよかった」と真に感じた瞬間である。
やはり、見ていてくれている人はいるのだ。裏方だからといって、決して報われない仕事ではない。どんな地味な活動でも、いつか実りがあると思う。
(2003年作成)