素直になれないヒト1
菜乃は、風紀室の前にいた。
図書室に関しての報告書を出すために。
光彦は転入生のこともあって、菜乃を一人で図書室の外へと出させるのを躊躇った。
万が一、転入生を自分が探っているのがバレていたら真っ先に狙われるのはお前だろ? とそう言われたらしく、未だに頬が赤い。そんな菜乃は、その万が一は絶対にないって信じてるからとそう言い逃げして今に至ると言う訳だ。
菜乃はまだ光彦とは付き合ってはいない。彼女自身、兄以外の異性から大切になどされたことはなく、勿論光彦が初恋相手で恋人などいなかったものだから、いざ付き合ってと言われても恥ずかしさや照れが混じりついつい、図書室の結界に閉じこもってしまうのだ。
菜乃もこのままではいけないこと、彼女自身が一番良くわかってる。
勝手に記憶封じの魔法をかけたのにも関わらず、好きだと言ってくれて側に居てくれる人など、この先光彦以外に現れることはないと菜乃は思っているし、気ままに待ってくれている光彦の気持ちがいつ変わるかどうかもわからない今、それでも覚悟が決まらないままでいた。
光彦もなかなかの美形だ。
雪代だけを図書室の空間に引き寄せた時、なかなか積極的な性格だと言うことがわかったから、自分自身とは全く違う真逆な性格が菜乃を不安にさせるのだ。
まあ、それは光彦を困らせるようなことをしないかどうかだが。
前では風紀の仕事が忙しくない限り、由紀が図書室まで取りに来ていたのだが、菜乃も変わろうとしているのだろう、今月分は自分で届けると由紀にそう言ってしまったのだ。
だが、たまに由紀に用事がある時のみ風紀室を訪ねるのだが、菜乃はあまり風紀室は得意ではなかった。
菜乃は一度ため息をつき、風紀室のドアを開ければ、明らかに嫌そうな顔をする風紀副委員長の南都羽月先輩が真っ先に目に入り、また思わずため息をつく。この先輩は苦手だと考えながら、菜乃は羽月を気にすることなく、躊躇いもせずに風紀委員長の書斎があるドアを開けた。
「由紀さん、あれ何とかならないの? 明らかに敵意をぶつけてるんだけど、あんな態度を見せて、由紀さんのこと好きじゃないとか、別に彼氏がいるとか、私どうしたら良いのかな? 別に由紀さんの彼女とかじゃないんだけど、あの視線にこれからも耐えなきゃいけないとか本当に辛いよ、由紀さん……」
ドアを閉めた後、直ぐに菜乃は疲れたような表情をしてこう言った。
そんな言葉を苦笑いして聞く、由紀と……。満面の笑顔を浮かべている雪代の姿があった。
ああ言った後に雪代の存在に気づいた菜乃は、羽月についてどうしたら良いかは後で相談しようと思いながら苦笑いをして、
「最近、良く由紀さんのところに来ているみたいですね、雪代先輩」
話をそらした菜乃。
そのことに気づいていて、それでもあえて気づいていない振りをしているのか、それともそのことすら本当に気づいていないのかは定かではないが、恐らくは後者だろうが、満面の笑顔をを崩さずに雪代はその質問のような言葉にこう言う。
「そうなんです。転入生の接触が激しくてですね、担任から授業に出ない方が良いと言われまして風紀室にいる訳なんですよ。図書室には、本を借りたり返したりする以外は何か居辛くてですね、由紀さんのところに居着いている訳なのです。あそこまでアプローチがわかりやすくて、しつこいと流石にきつかったですし。あちらから言ってくれない限り、僕は断ることは出来ませんしねぇ」
苦笑いをしながら、そう言った雪代に何故か違和感を覚えた菜乃。
もやっとした形にならない、どんな感情かの結論が出ないこの感情に菜乃は何故か、この答えを出してはいけないような気がして、このことについて疑問を抱きながらも考えることを放棄した。そんな菜乃は、書類を由紀に手渡しをすれば、小声で後で話があると言われ、本当にわずかにコクンと頷いて了承した。
由紀に書類を手渡しした後、この部屋を後にしようとしてドア付近まで歩いた時、菜乃は不意に少しだけ振り向いてみると、雪代はとても穏やかで優しくて、何かを懐かしむような表情を浮かべていた。
その時、菜乃は察した。
ーー思い出したって言わずに、過去を知らない雪代先輩として由紀さんに接するつもりなんだ。
ーー雪代先輩が、そう望むなら私はそのことを黙っていよう。
ーー由紀さん……いや、兄さんが私の幸せを望んでくれたように、私も兄さんの幸せを望んでいるから。
菜乃は嘘をつくことに対する罪悪感を抱きながらも、雪代がそう望んでいるまでは嘘をつくことにした。
相変わらず、羽月に睨まれながら風紀室を後にする菜乃は図書室に急いで戻ろうとドアを開ければ、ドンッと何かがぶつかったような音がした。不意に目を床に向ければ、女子生徒が尻餅をついていてその人を見た瞬間に、菜乃の勘がこの人を風紀室に入れてはいけないとそう言っているため、淡々と事実を言い放つ。
「そこの方、風紀室は委員界での歳の書類の提示以外は、相談ごとの場合は先生の許可を取り、職員室の電話で相談内容の概要を伝えておくか、先生の付き添いの元来るかの二択です。それ以外は暴力沙汰や事件ごとでない限りは風紀室に来ることは委員界の長やそれと同等の役目を持つ生徒でないと、許されてはいません。見た感じ、許可のある生徒ではなさそうですし、風紀室に一歩でも踏み入れた瞬間、風紀委員からの許可と先生の許可がない場合は停学になりますよ?」
忠告をするような言葉を言えば、顔を歪めたその女子生徒。
流石に新入生だろうが、もうそのことを知らない人はいないだろう。
だから、知らないと考えられるのは恐らくは転入生ぐらいだ。
「迷い込んだぐらいでは処分にはなりませんから、問題になる前にここから立ち去ってくださいね」
そう言い残して、面倒ごとに巻き込まれる前に菜乃はいそいそと図書室へと戻ったのだった。
「良く逃げられたな、菜乃」
図書室に戻り、定位置に座った後、情報操作魔法と情報管理魔法を同時に使いながら、菜乃を労わるような言葉を言って頭を撫でた。この二つの魔法を同時に使える人間はなかなかいなく、光彦が同時に使えるようになったのは努力の賜物だった。
たくさんの情報を集め、丁重に管理をしつつ、依頼された情報の操作を丁寧に早く、そして膨大な量の依頼を受けてきた光彦ならではの才能で、理事長から学園の映像録画魔法具の管理や操作を任されているこの学園のデータ情報の管理者の役目を任されている男だ。
しかも、同時に問題が発生し、それを防ぐために風紀委員に依頼するのも彼である。
そのため、風紀室に生徒が立ち入れなくても風紀の運営が成り立つのだ。
着いていけない代わりに、光彦は自分の与えられた仕事をしていたみたいだ。
「もしかしてあの人が転入生?」
菜乃はそう聞いた。その質問に対して光彦は淡々とした口調で、
「そうだ、お前が接触した女子こそ転入生こと色咲瑠衣だ。女子にも男子にも同じように接し、転入してから直ぐに人気者になった。そのため、雪代のファンクラブに入っている生徒は警戒して近づいていないよ。美人で優しいみたいだが、お節介な女でもある」
長年、情報屋として活躍していただけある。光彦はたった数日にして、これだけの量の情報を集めてしまうのだから、そんな能力の高さに菜乃は感心する。
感心している間にも光彦は、
「強化系の魔法使いで、魔法の実力はなかなか強いくらい。
それでこの学園に入れる訳がないし、色々調べてみた。あんまり人の過去を調べるのはあまり好きじゃないから普段はやらないんだが、今回ばかりはそう言ってはいられないような気がするからな、色咲の過去も調べておいた。
あいつの母親はメイドだったそうだ。妊娠がわかって父方の色咲家に引き取られたらしい。
父親の本妻は本当に優しく、本当の娘のように育ていたらしく、お節介だが明るい性格に育った。
色咲の母親であるメイドも、屋敷を何故か辞めさせられることもなく、そして本妻にいじめられることはなかったらしい。そんな彼女は不思議な声の持ち主だった。だから、誰にも嫌われることなくむしろ男女ともに好かれていたらしい。
一見、調べてみて悪い奴には見えないだろう? だから、俺はもう少し深くまで色咲親子を調べてみたんだ。
親子共々、相当な音魔法の才能があったと言う情報を手に入れた。音魔法は使い方はさまざまだ、相当な使い手なら人それぞれ魅力的に感じる声を見極めるのは簡単だと、音魔法について記されている本には綴られていた。
あいつは本性を誰にも見せてない。あいつがこの学園に入れたのは、音魔法が凄く得意だったのと、人それぞれ好きな音を見極め、魅了されるのが得意だったとなればまあまあ強いと言う評価でも、実力主義な面が一部あるこの学園に入れたことが納得出来る」
淡々とそう話す光彦。
ここまで調べても興味がなさそうな光彦に、菜乃は安堵した。
一方、風紀室では。
未だに不機嫌そうな羽月が、仁王立ちをして転入生である瑠衣を睨みつけてこう言った。
「あの子と意見が合うのはあまり気持ちが良くありませんが、転入生だから今回は大目に見ます。
次回、他意にここに来たら……、停学処分は覚悟してくださいね?」
鬼の形相で言うものだから、色咲はひぃっと声を上げて逃げ去る。
そんな羽月の苦労など知らずに、
「君はファンクラブ持ちだし、役目持ちな菜乃の護衛だから風紀室に来る権利はあるけど、風紀室に来たって羽月がいるだけで後は面白いものなんてないよ?」
と、首を傾げて言う由紀と、
「それに安全ですし、図書室は色咲さんも入って来られますしねー?」
さらりとその言葉をかわす雪代がほのぼのと会話をしていたのだった。
副委員長としての仕事が終わり、由紀の書斎にあるソファーに雪代と向かい合う位置に座り、目の前にあったお菓子をつまんで、口の中に放り込むように入れ、食べ始めた葉月に対して、
「お疲れ、羽月」
由紀はそう労うが……。
「疲れさせているという自覚があるならば、仕事をしてください」
そう何故か羽月に怒られてしまうと言う不憫な結果になった。
ーーさっきしていた羽月の仕事は、決められた副委員長としての仕事なんだけど……。
そう考えていても、口にするなと自分に言い聞かせる由紀。
どこの世界でも、女性は生きた年数を重ねる度に強くなるのだ。
借りた猫のように、由紀は大人しくしているしかなかった。
「いつも言っていますが、委員長は菜乃さんに甘すぎるんです!」
急に怒り始める羽月に対して、由紀は悟りを開くかのごとく、穏やかな表情に見えるが、何処か遠いところを見るかのようにうんうんと言いながら話に付き合う律儀な由紀。
そんな様子を雪代は、気配を消しながら二人の様子を眺めていた。
ーー兄弟って言ってたし、甘いのは当たり前じゃないですか?
ーーそれに、由紀くんは菜乃ちゃんを甘やかしてばかりじゃないですし。
そう考えながら、雪代は何故由紀が怒られなきゃいけないのかと段々苛立ちを感じ始め……、
「菜乃ちゃんを甘やかそうが、貴女には関係のないことじゃないですか。何故、由紀くんが怒られなきゃいけないのです? 別に由紀くんが誰と仲良くしようが、別に良いではありませんか。それに菜乃ちゃんの好きな人は別の人ですし、今両片想いでじれったく感じる関係を築き上げてますし、由紀くんのことは菜乃ちゃんも好きなんでしょうが、それはlike的な意味合いなので、仕事には支障がないと思いますが」
珍しく刺々しい口調で言う雪代。
ーー由紀くんのこと、表面上でしか知らないくせに……。
そう考えている雪代の雰囲気に圧倒されて、ぐっと喉を鳴らした後、黙り始めた羽月。
そんな珍しい光景を見て、由紀は驚くような表情をする。
雪代も怒るんだ、と。
人間だもの当たり前なんだろうが、雪代はあまり怒ることはしないため、わかっていても由紀は思わずそう思ってしまったのである。それくらい、雪代は誰かに怒ることをしない。
黙っている羽月をしばらく眺めた後、普段通りの雪代に戻ったため、由紀は安堵した。
そして放課後、午後七時くらいのことだろうか? 光彦は帰り、菜乃は図書室に一人由紀を待っていた。
月明かりが本を照らし、その様子を呆然と眺めていれば珍しく正装をした由紀の姿が現れた。
由紀は、菜乃と向かい合うように座り、無表情のままこう言う。
「色咲瑠衣、あの子の目的は何だと思う? その目的を止めるために、彼女はこの学園に呼ばれた」
そう言った声はあまりに淡々としていて、周りの空気がひんやりするほどに殺気に満ちていた。
由紀が言ったその言葉の意味を、しばらく考える菜乃。
それでも答えは見つからなかった。
「復讐するためだなんだそうだ、自分達を利用した貴族達に」
じゃあ、何故貴族もいるはずのこの学園に呼んだのかと言えば……。
「だが、その貴族達は特定出来ているし、俺が復讐をこの学園でさせることを許す訳がないだろう?」
復讐を止める絶対的な自信が、由紀にはあったからだ。