その冒険、理不尽につき
「この冒険、理不尽につき」
私が去年の小説コンテストに出した作品です。
あまり完成度の高い作品ではないので、暇つぶしに読んでくださったら幸いです。
ある朝。私は目覚ましの音で起きた。重たいまぶたを持ち上げながら目覚まし時計を捜し、音を止めるスイッチを押す。
あれ、おかしいな、音が止まらない。また壊れてしまったのかもしれない。でも大丈夫。こういうときのために取扱説明書というものがあり、そして私はそれをいつも自分のすぐ近くにおいてあるのだ。さて音が止まらない時はどうすればいいのだろう。
本棚から取り出したのは目覚まし時計の取扱説明書とは思えない、まるで六法全書を思わせる分厚い本。私はこれを使えば簡単に目覚まし時計を止める方法を知ることができると思った。しかしそこには信じられないほど複雑な図案や、一部の専門業者にしか必要としない説明まで事細かく記されており、それでも分からない時には会社に問い合わせろときたものだ。
ふざけるな。
何故アラームを止めるだけでここまで複雑な説明をなさねばならないのだ。怒りに任せた私は説明書を放り投げ、掛布団を目覚まし時計の上に強引に被せた。するとどうだろう。目覚ましのアラームは見事に止まったではないか。こんな過剰な取扱説明書なんかよりよっぽど楽に解決できた。
このひと騒動で、私の朝食の時間はほとんど無くなってしまった。
これからはこんな本に頼らず自分の考えを貫いて、物事を解決していこう。私はそう思った。
○
数日後。その日、休日だった私がゆっくりとテレビを見ていると、一本のニュースが舞い込んできた。それはなんと、私が幼き頃に見た映画のDVDが発売されるというものだった。その頃はまだ映画の「え」の字も知らない私であったが、初めて邦画というものを親と一緒に見た。つまらないものだと思っていたが、それが私の想像をはるかに超える内容で、ワクワクドキドキ、ラストのベタながら感動する演出は今でも人生の教科書として私の心に残っている。しかし、私のそんな感想とは裏腹にそのベタな演出が批判を買い、映画の興行収入は目も当てられないものであったという。面白いと言ったのはもしかしたら日本中で私だけだったかもしれないし、もちろん、今まで書籍化はおろか地上波ですら一度もない。私も幾度かまた見たいと思っていたがそれもかなわぬ願いであった。だが本日、それが叶ったのだ。
どうやら近年になってようやく一部の自称映画ファンから評価が上がってきたようで、そこから伝染するかのように面白いという噂が世間に流れ出てきたらしい。多勢に無勢という諺はよく聞くが、案外一人の人間から何か物事は始まっていくのかもしれない。これがまさにその一例ではないかと私は思う。
私は急いで財布を確認してみたが、今はちょうど月末。DVDの値段が一本五千円だとしても、今の私にはそこまで高い出費をする余裕はなかった。でも欲しい、どうしたら……その時である。
サンバのごとく軽快で妙に耳障りな音楽が聞こえてきた。これは確か、近くのレンタルショップのコマーシャルだ。そうだ。買うことができないのならばレンタルすれば良いのだ。私は早速近くのレンタルショップに足を運んだ。
「すみません。『三年目の復活』というDVDは入荷していますか?」
「それですか。ただいま入荷はしておりませんので」
無愛想で、笑顔の一つもない店員。客に対する態度としてはお世辞にも愛想がいいといえない。一見してもわかるだらけた態度。バイトだからと言ってしまえばそれまでなのだが、それでもいい気分ではない。客が一人もいなくなったら煙草を吸いながら談笑しているといわれても無理はない。そういえば店内に入ってきたときも会釈はおろか「いらっしゃいませ」もなかった。頻繁に通っているレンタルショップなのであまり言いたくないが、この店……あまり息は長くないか。
さすがに本日発売の映画がすぐに店頭に置いてあるとは思っていない。でも今日、今すぐにでも見たい。家に帰った私は近所にもう一軒あるレンタルショップに向かおうとしたが、もしそこにもなかったらとんだ無駄足である。そこで私は電話で聞いてみることにした。
「すみません。ちょっと在庫確認をしたいのですが……」
「どうぞ。商品名をお教えください」
「えっと“三年目の復活”という映画なのですが……」
「しばらくお待ちください」
私の耳にベートーベンの『運命』が流れる。なぜこれが保留音として採用されるのか。確かに素晴らしい曲であるが、どう考えても客を待たせておくのには相応しくないだろう。
「お待たせいたしました」
「はい」
「大変申し訳ありません。当店には在庫がございませんので」
「そうですか。分かりました。ありがとうございます」
二件目も駄目だったか……でもわざわざ足を運ばなくてよかった。しかし他にはどこがあっただろう。近くのレンタルショップ一軒ずつ御用聞きのように聞いていくのも面倒くさい。そうだ、本部のほうに直接問い合わせをしてみたらどうだろう。以前の取扱説明書の一文がこんなところで役に立つとは思わなかった。
「こちら阿蘇山本部です。本日はどのようなご用件でしょうか」
阿蘇山に本部があるのか。私の知っている限りでは全国展開している企業の本部はもう少し都会にあるはずなのだが。やっぱり変わっている、この会社。いや変わっているのはもしかしたら私のほうなのか。
「商品の在庫確認をしたいのですが……」
「分かりました。お客様はどちらにお住まいはどこでしょうか」
「東京です」
「商品名のタイトルは」
「『三年目の復活』です」
「少々お待ちください」
無機質でロボットのような声だが、きちんとした対応だ。これは見つかるのもそう遠くはないだろう。ここでも流れるベートーベンの『運命』。しかしこれもこうして聞くとなかなか良いものだ。こんどCDでも買ってみよう。
「お待たせいたしました、では東京支部の連絡先をお伝えします」
「え。今どこにあるか教えてくださるんじゃないんですか」
「いえ。本部では阿蘇山の半径百キロ圏内でしか商品検索できないので……」
阿蘇山の半径百キロ圏内とはかなり狭い範囲ではないのか。しかも、それなら最初に住まいを聞いたときにわざわざ待たせずともそのまま支部の連絡先を教えてくれればよかったはず。だがここで文句を言っても仕方がないので東京支部とやらに本日三度目の電話をかけることにした。
「すみません。商品の在庫確認をしたいのですが」
「商品名のタイトルは」
「あれ?」
「どうかいたしました?」
「いえ、別に。えっと『三年目の復活』です」
「少々お待ちくださいませ」
何だかさっきから同じことを何回も聞いたり聞かれたりしているみたいだ。あちらもマニュアルでもあってその通りの回答をしなければならないのだろうか。確かに良いかもしれないがそれでは急なアドリブに対応出来ない。ただ、恐らく殆どの客が私のようなマニュアルで対応できるぐらいの連中なのだろう。
「お待たせいたしました。お探しのDVDでしたら新宿店に在庫がございます」
新宿なら電車でいけない距離ではない。
「分かりました。ありがとうございます」
長かった。まったくこの短い間に三度も電話を繰り返してしまった。直後、今までの電話がフリーダイアルではないという事に気付いた。これでは私が通話料金を支払わなければならない。まんまとしてやられた。テンプレのようなオペレーターの回答といい、ベートーベンの保留音といい、おかげで私の堪忍袋ははち切れん寸前であった。 あと一回でもたらい回しにされていたら癇癪を起こしていたに違いない。
まあ、とりあえずは着替えて新宿まで行くことにしよう。クレームなら後で何度でもできる。まずはレンタルが最優先だ。
○
新宿という街に来たのは中学生の頃以来久しい。こういう街はいかんせんあまり来ないもので。つまりどうすれば目当てのレンタルショップに着くのかさっぱり分からない。早く借りたいという気持ちが先行してろくすっぽ調べずに来てしまったことが仇となった。
私が右往左往していると、目の前に町の案内所があった。これは運がいい。綺麗に磨かれ、安定感を感じさせられるガラス扉は我々道に迷った者に対して「さあいらっしゃい」と大きく手を広げ向かいいれているようにも見えた。自動のガラス扉の前に立つとそれは静かに開いた。円形状の室内をぐるりと囲むようにカウンターが設置され、そこには老若男女、幅広い年代の職員が座って私のような道に困っている人の話を聞いていた。中心の角錐の柱には地図が張り付けてある。
私がコンピューターの端末機を隣に置いた三十代後半と思われる男性のところに向かうと、いかにもというような感じの作り笑いを浮かべて「どうしましたか」と聞いてきた。
「少しばかり道に迷ってしまって……」
「ではあなたのお名前と身分を証明するものを」
「えっ」
「ここではまず道を尋ねる人の個人情報を確認するのが規則なんです」
何だその規則は。でもここで一々反応するのもみっともない。とりあえず自分の名前を伝え、身分証を提示した。
「レンタルショップに行きたいのですが」
私が言い終える前に男は端末機に向かい淡々と情報を入力していく。
「所要時間は何分以内がよろしいですか」
「え」
男の質問の意味が全く持って理解できない。しかも男はそんな私の顔を見て、うんざりしているように見えた。
「何分以内の到着されたいのですか?それによって優先順位が決定するのです」
一体何の優先順位なのか。どうもここの連中は私の上を行っているというか理解しがたい部分を数多く持っている。
「できるだけ早く到着したいのですが」
「分かりました」
男はすべての情報を入力し終えるとまた顔に妙な作り笑いを浮かべた。
「はい。では今から情報部にこのデータを送り、最短の道のりを調べさせますので、直にわかると思いますよ」
「直にって、今すぐは分からないんですか」
「今すぐというのは無理ですね。なにせここは日本でも三本の指に入るほど人出の
多い駅ですので、ルートの確認に時間がかかるのです」
「そんな。だったら最短距離じゃなくてもいいので」
「残念ながらそれはできません。どうしてもというならもう一度並んでいただかないと」
後ろを確認すると他の大勢の人間が、私がどくのを今か今かと待ちかまえながらじっと睨んでいる。
「じゃあ待っています」
「では分かり次第連絡を致しますので」
名前と身分証このためにあったのか。今納得した。しかし、この混みようではいつ連絡が来るか分からない。それまでどこでどう時間をつぶしていようか悩んでいたその時である。
「先輩。こんなところで何をやっているんですか」
振り向くとそこいたのは私の後輩にあたる女性であった。非常に頭がよく、容量もいいので、同年代並びに先輩にも尊敬されている。さらに容姿端麗で、私自身も彼女に告白している人を何度も見かけたことがある。まさに才色兼備に相応しい人物だ。でも彼女自身に恋人がいるといった話は今まで一度も聞いたことがない。歯に衣着せぬものの言い方があるので告白された時もきっぱり断っていたようだ。彼女自身に悪気はなくても相手には相当な深い傷になっているのか、私は何度か振られた人間の心のケアを行ったことがある。
「ちょっと道に迷ってしまってね」
「どこに行こうとしていたんですか」
「レンタルショップに行きたくてな」
「レンタルショップでしたら、先輩の自宅の近くにあるはずでは」
「『三年目の復活』というDVDの在庫が新宿店にしか無いみたいなんだ。それでここまで来たんだが……」
「迷ってしまったんですね」
「そういう事なんだ。面目ない」
先輩である人間がこんなところに一人で来て、尚且つ迷ってしまうなんて、私だったらその場で笑っていただろう。でも彼女はそんな私を笑わなかった。さらに私の顔を見てこう言ってくれた。
「私はその場所が分かるので一緒に行きましょう」
「いやそれは悪い。君だって何か用事があるんじゃないのか」
連れて行ってくれるのは非常にありがたいが、彼女だってここに来たぐらいなのだから大事な用事があるのだろう。もしそうだとしたらレンタル一本程度で付き合わせてしまったら申し訳ない。私は丁重に断ることにした。しかし、彼女は「大丈夫ですよ」と力強く答えた。ここまで言われるとかえって断るのが悪いように思えてきてしまう。
「でも本当にいいのか」
「ええ。丁度通り道なんです」
なるほど、そういう事か。私は安心した。
「じゃあ行きましょう」
すると彼女は私の手を握ってきたではないか。急な出来事に私の脳は沸騰しそうになる。これは信じられないことだが、その手のぬくもりを感じるたび、心拍、脈拍、発汗ともに止まらなくなっていく。これはいろいろとやばい。私は彼女自身が急いでいるからだと自らに思い込ませて冷静さを失わないようにした。そう、決して彼女は私に惚れているわけではないのだ。
確かに、私と彼女の付き合いは長い。でも私とて彼女を好意の対象として見たことは一度もない。だからこそ振られた連中の心のケアに携わることができたのだ。もし、仮に、偶然にも、神の悪戯で、私と彼女が恋人同士になってしまったら、もう奴らに顔向けできない。
ああどうしたらよいのだ……
「先輩。つきましたよ、先輩」
声をかけられてハッと現実に戻る。手は当然のごとくもう握られていない。あれは夢だったのか。それならそれで構わない。今の私には一刻も早く映画をレンタルすることが大事なのであり、恋にうつつを抜かしている余裕などないのだ。
私が礼を言ってレンタルショップに入ろうとすると、彼女もいっしょについて来た。
「どうせですから私も何か借りることにします」
二人でレンタルショップに入る光景は他人にどう見えているのだろうか。「恋」など人生で一度も経験したことなかった私がこんなところで。全く世の中とは摩訶不思議だ。
「先輩が探しているのはどの階ですか」
「確か新作なはずだから」
「でしたら最上階のフロアですね」
ここは階ごとのフロアによってアニメーション、洋画、邦画、ドキュメンタリーとバラエティ豊かに取り揃えてあるらしく、新刊は最上階のフロアに設置してあるらしい。さすがに階段で行くのは辛いのでエレベーターでいこうとしたが……
『故障中につき階段のご使用をお願いいたします』
なんと、全てのエレベーターが故障中であるという緊急事態。こういうことがあるから点検は小まめにやれと私は店側に文句を言いたい気持ちを必死で押し殺した。
「仕方がありません。階段を使いましょう」
「そうだな」
こうなったら行くしかない。
だがここで日ごろの運動不足が祟り、八階に上がる頃には既に息が途切れ途切れだった。一方で全く余裕の彼女。さすが陸上でインターハイまで行っただけのことはある。もう私が敵う要素なんて身長ぐらいしかないのではないかと思う。いや、実際にそうだ。
やっとの思いで最上階にたどり着いた私たちは各々に目的の品物を探すことにした。彼女は自分のも見つけたら私のも探すと言っていたが、そこまで頼りっぱなしはさすがに私の先輩としての威厳が無くなってしまう。
あの電話の担当者は確かに新宿店にあるといった。もしこれで在庫が無かったらもう「ごめんなさい」では済まさない。新聞の投書にはがき五十枚ぐらい送って、あとネットにもあることないこと書き込んで、この会社の評判を極限まで落としやろうと考えた。
「はぁ……」
小さくため息をつく。私は小さい男だ。小物だ。こんなことをしたって何の得にならないことぐらい分かっている。だがそれでも構わない。私にここまで苦労をさせていおいて、知らん顔なんて許されるはずがない。まだ無いと決まったわけでもないのに、私の頭の中はここにどのように復讐するかでいっぱいになっていた。すると。
「先輩、ありましたよ」
「あ、あったのか」
ちょっと残念。でもあるに越したことはない。
「あることはあったのですが、その……」
何か言いたそうだが口をつぐんでいる。とりあえず彼女に案内されて確認してみることにした。だがそこで待っていたのは私をマリアナ海溝よりも深い絶望の闇に陥れる瞬間であった。
「レンタル中」
その五文字の言葉を理解するのに、尋常ではない絶望を必要とした。今まで長く人生を生きてきたつもりだったが、これほどまでに辛い苦しみを味わったことはない。やっとここまでやって来たのにレンタル中とは。世界は残酷すぎる。
私は肩からガクッと力が抜けてその場に座り込んでしまった。すると落ち込んだ私に彼女がそっと手を差し伸べてくれたのだ。
「先輩。そうがっかりしないでください。また借りに来ればいいじゃないですか」
「そうかもしれないが……やはりショックだよ」
「新作は殆ど一泊二日ですし、来週にでもまた来ましょう」
「そうだな。君は本当に優しいね」
「いえそんな。私はただ先輩が落ち込んでいるのでせめてもと」
「ありがとう。もう大丈夫さ。ところで今日は何を借りたんだ」
「私はアニメとホラー映画です」
「らしくないね。てっきり私は邦画やドキュメンタリーを借りるものとばかり……」
「いえ、私はアニメも好きですし、このホラー映画も実はアニメ化されているものなんですよ」
「そうなのか。私はアニメはあまり見ないからな」
「では、今度先輩好みの作品を探してきましょう」
「楽しみにしているよ」
その時、彼女が見せた微笑み。滅多に見せない彼女のほころんだ顔。決して作り笑いではない本当の意味での自然な笑顔であった。
暗く沈んだ闇に一筋の光を与えてくれた時、あの美しい微笑みを見た時、その気持ちは確信に変わった。私は、彼女に惚れたのである。たかがレンタルショップに連れて行ってくれただけ、そう思うかもしれない。たが恋とは得てしてそういうものなのだ。人生で一度も恋を寄せたことも寄せられたこともない私が言うのもなんだが、そうとしか言い表せない。
「先輩、どうしたんですか」
彼女に対して決して邪な気持ちなど抱いてはいけない。それこそ彼女の善意を踏みにじることになる。でもせっかく自分の気持ちに気付くことができたのだから、一言ぐらい言えたらどうだ。それでも罰は当たらない筈だ。
「あ、あのさ……」
「何ですか」
「……」
言葉が出てこない。結局私はここぞとばかりの時に本当のことを言うことができない。悔しさと、情けなさで私の手が微かに震えだした時、彼女が優しく手を包み込むように握ってくれた。すると、なぜか気持ちが楽になった。今なら言えるはずだ。私は大きく息を吸い、こういった。
「美味しいお店を知っているんだけど、今度私と一緒にどうかな……」
彼女は何も言わず、静かにうなずいてくれた。心なしか頬が微かに赤く染まっているように見えたのは、気のせいだろうか。
今回私はこの理不尽極まりない小さな冒険の中で、実物なるものは何も手に入れることはできなかった。だけど不満はない。こうやって私に新たな一歩を踏み出すことができたのだから。