6,過剰睡眠 7/3(昼)
「っくしゅん」
僕以外に誰もいない部屋にくしゃみが響いた。
別に部屋が冷えていたわけでもなく、僕が夏風邪をひいていたわけでもない。ハウスダストか何かだろうか?
とりあえず僕はなぜか良く寝てた気がする。何かもう気持ち良いとかを通り越して安らかなくらいに寝てた気がする。
とりあえず、僕は開け放たれたカーテンから降り注ぐ光にひるみながら、ベッドの下から枕元に置いてあったはずの目覚時計を拾い、時間を確認した。
【PM 01:30】
……うん。どう考えても遅刻だった。
それはもう見事過ぎるくらいにお日様も真上から傾いて来ているじゃないか、今日の天気は曇りだけど。
もう今からだと朝ご飯を通り越して昼ご飯でいいじゃないか。
つーか、今日っていつも通りの平日だよね?思いっきりサボっちゃってるけど……ま、一日くらいいいや。別に皆勤賞狙ってたわけじゃないし。 とにかく、何か目が覚めたらお腹が空いてきている感じがする。
この家に住んでいる僕の知らない誰かが僕のために豪華な料理でも作ってくれないか、なんて考えてもそれは虚しすぎる妄想で終わってしまう。……まぁ、とにかくお腹が空いた。
「とにかく起きるかな」
特に誰に言うわけでもなく、僕は一人呟きながら、もそもそとベッドから這い出て、とりあえず顔を洗うことにした。が、
「…………あれ?」
ふと、違和感を覚える。
例えば僕は寝る前にカーテンを開けていたかとか、何で目覚時計がベッドの下から出てくるんだとか今さら気になってきた。
……昨日は暑さで寝苦しくなって知らずのうちに夢遊病でも発病させてしまったのだろうか。
「……まぁ、いいや」
とにかく、目覚めたばかりの働かない頭で考えてもしょうがない。
とにもかくにも、朝ご飯兼昼ご飯でも作りながらこれからの予定でも考えるとしよう。
僕はそう結論付けて、寝室からキッチンへとまっすぐに向かった。
キッチンからは温かいお茶の良い香りが……………………………………………何で漂ってるんだろう?
ここに来るやつは限られてるし、多分そいつらは皆学校に行って勉学に勤しんでるだろうし………………………………………………………あれ。もしかすると、まさかまさかの不審者、つーか不法侵入者?
「………………」
寝耳に水どころじゃないじゃないか。まったく朝っぱらから(すでに昼過ぎ)変なやつが家に来たらびっくりもんだ。
僕はとにかくどんなやつが勝手に人の家でお茶なんか淹れているのか一目見ようと息を殺しながらキッチンを覗きこみ、
―ガブリっ。
「へ?」
ガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジ―と、お尻を噛まれた。
「いったああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そして僕は殺していた息を全て体の外に吐き出すかのように叫んでしまった。
って、ヤバいです。せっかく息を殺しながら覗いて警察呼んで我が家を守る気だったのにいきなりの伏兵によって不法侵に―
「―な、何事ですかっ!?」
そしていきなり飛び出してきた不法侵に…………………あれ?
「…………冴?」
「はい。あ。勝手ながらお邪魔してますね」
と、言ってどこか嬉しそうに微笑む僕の唯一の義妹。
だがしかし、今は、
「じゃあ、僕を噛んでるお前はポチか!?」
「ポチも兄さんに会えて嬉しそうですね」
あのね。いくら嬉しくても普通は後ろから噛んだりなんかしないんじゃないかな、とお兄ちゃんは思うよ?
……まぁ、とにかく、
「久し振り、冴」
「えぇ、御久し振りです。兄さん」
久し振りに義兄妹で会えたためか、僕の義妹、“九条 冴”は、両の目に巻かれた包帯に覆われたの上からでもわかるくらいに、本当に嬉しそうに、微笑んでいた。
◆
私の淹れたお茶を啜った後、兄さん、紫藤 朋夜は私がお昼をまだ食べていないと聞いて、成長期の女の子は三食ちゃんと食べなさいと、自分は昼過ぎまで寝ていたくせにそんなことを言っていた。
私がそれを指摘すると、兄さんは語尾を小さくして、それもそうだね……なんて言いながら、とりあえず何か作ると言って、彼は私をキッチンから追い出した。
少しくらいは手伝いたいとも思ったが、それはしょうがない。
私がキッチンに入って『私』というものを知らない兄さんによけいな心配をかけてしまうだけだろう。
だって私は世間的には両の目がすでに光を失っているということになっているのだから、……あ。いや、普通に失っていますが。
私が『視力を失っている』という代わりかどうかは知らないが、私には二つの異能があった。
一つは『視る』ための力。
一つは『創る』ための力。
まぁ、『視る』ための力はともかく、『創る』ための力の方は一般人の前では出来ないようなものだが……
―と、そういえば、この目になってから随分と経つな、とか、この目のせいで兄さんの優しそうな顔を普通に見ることができなくなったなぁ、とか、つーか兄さんが包帯コスの女の子が趣味だったら良いなぁ、とか、そういえば
「兄さん全然ケガなんかしてないじゃん!心配して損した!でも良かった!」みたいな……
とりあえず一人になるとそんなくだらない考えが溢れ出してきた。
「まぁ、化け物な私じゃダメでしょうけどね」
そして、そんなことを思う度に自嘲的な笑いが込み上げてくる。
以前、あんな『殺人鬼』に言われた言葉が頭の中で何度も何度でも繰り返される。
『私も貴女も立派な化け物じゃないですか』
決定的すぎる『同族嫌悪』。 そしてそれを抱いてしまったために気付かされた『私』というそれ。
私はあの闇にたたずむ『殺人鬼』と、同族と認めたために彼女に『同族嫌悪』を抱いていたのだから。
だから、私は、『私』というそれは……
「冴ー。そうめんにマヨネーズいる?」
……少しネガティブチックになっていた思考は、兄さんのその呑気な声に吹き飛ばされ、自分でもわかるくらいに自嘲的な笑いは知らずのうちに自然に綻ぶ。
まったく、なんて私は単純なんだろうと思う。
愛しい兄さんを想って悩んでも、その兄さんがいればどうでもいいなんて思える私は、
―どんなに愚かで幸せものなんだろうか。
ねぇ?『殺人鬼』さん?
「冴ー?それともソース?ケチャップ?タルタルソース?」
「……兄さん。普通の麺つゆは……?」
「無い」
「……マヨネーズで」
しかし、ま。あの『殺人鬼』のことを思い出したのは本当に久し振りだ。
……あぁ、そういえば、あの『殺人鬼』さんは、あの時、なぜ私を知っていたのでしょうか。
それと、もう一度会えたら『私』を『化け物』というカテゴリーから救ってくれる最愛の兄に会わせてあげたいものだ、なんて思った。