13,非常日常 7/4(昼)
「…………おかしい」
思いの他真剣なその声に、僕はため息しか出なかった。
「材料はこれに書かれている通り、調理手順にも問題はないわよね」
目の前のそれに向う那和の目は真剣そのもので、たかが調理実習でどうしてそこまで真剣になれるのか問いたかったが、僕がそれを訊くことは間違ってもないだろう。
「なんで、オムライスを作ったはずなのに、フライパンの上には炭が置かれているのかしら……?」
誰かがすり替えたのかしら、と呟く那和の顔から、僕は那和が自分の失敗を認めるのを拒否しているのではなく本気でそう思っていることを悟って、またため息がこぼれた。
しかし、いったいどう調理したらオムライスになる予定だったチキンライスと卵が炭になるんだろう……?
普通に調理する分には、ましてや調理実習として家庭科教師の監視下のもと、設備も材料も資料も一通りそろっているというのにどうして炭が……?
……って、おい、フライパンから炭が取れないからって熱されて熱くなったフライパンを振り回さな…―
「熱ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――――――――――――!?」
「あ。ゴメン」
那和の振り回していたフライパンがたまたまそこを通りかかった宮田君の顔面を捕らえた。 …………ってゆーか、熱されたフライパンを人にぶつけといて『ゴメン』の一言ですますなよ……。
「……何だか紫藤の方は大変そうじゃの……」
……うん。向こうもたしかに大変そうだけどさ、清人、君も何か凄いよね……?
裏ではゴリラ評されるマッチョがエプロンつけてチキンライスを炒める姿が妙に眩しいよ。
「ん? どうしたんじゃ?」
今さらだが、料理をしながら爽やかな笑顔を見せる清人に、周りの視線が集中していた。
おそらくは皆が皆、清人がフライパンを巧みに振う姿など予想だにしていなかったからだろう。
しかし、まぁ、いつ見ても素晴らしいフライパン捌きを見ているだけの僕は本当に手伝わなくていいのだろうか……。いや、ダメだろ。やってもらってばかりじゃダメだろう。
「朋夜、皿を何枚か出してくれん?」
「わかった。えーと、僕と清人と那和と、提出用に小さいの一枚ってとこ?」
……うん、ゴメンね、清人。料理における『調理』という工程で、僕何かが君を手伝えるわけがなかったよ……。
僕が適度に並べた皿に、清人は先ほどまで炒めていたチキンライスを一皿一皿に丁寧に盛っていき、その上にプレーンオムレツを乗せていった。乗せられたプレーンオムレツに清人がナイフで一筋の切り込みを入れると、その切り込みからオムレツは割れて、とろりと溶けた卵がチキンライスを包み赤いチキンライスを黄金色に染め上げる。
そして、あらかじめ冷水に潜らせたレタスを手で適当に千切り、添える。
最後にプチトマトを添えて全体の彩りを整え、
「スープもつけて……よし、完成じゃ」
出来上がった料理に、もはや観客とかした級友達のほとんどが歓声を上げ、その歓声は授業終了を伝えるチャイムを完全に飲み込んだ。
……那和だけはまだフライパンを振り回していたが……。
◆
「……納得いかない、って顔だよね」
僕はそれを見ながら、とりあえず見たまま思ったままの感想を述べてみた。
「……だからって食べ物に無言で向かうのもどうなんじゃろうか……」
清人もまた、箸を進めながら同じく見たまま思ったままの感想をぼそっと漏らした。
現在、時間により昼休みに入り、僕たちのクラスのほとんどの人々は調理実習室へと止どまっていた。
まだ調理をしているものもまだ見られるが、クラスの人々の大半は先の調理実習を終えており、それぞれのグループ(基本的に三人組)が作り上げた料理を思い思いの感想とともにちょうど空腹時のお腹へと納めていく、……一ヶ所のテーブルの剣呑な問題児にコソコソと視線を走らせながら……。
……こらこら、周りをむやみに睨んだりなんかしたらダメでしょ。明らかに見られてるからってその視線に意外に鋭い眼光で応えていると友達減るよ。僕だって恐いんだから。
「ごちそうさまっ」
ふん、と鼻息を荒げて立ち上がる那和。しかしなぜか、
「よしっ」
「那和……?」
なぜか見て分かるくらいに気合いを入れて、那和愛用の黒い革のジャケットを放った。適度に流した髪を後ろに一纏めに括り、エプロンを着用。包丁を握り締め、
「涎垂らして待ってなさいっ!」
包丁を僕に突き付けていきなりそう宣言した。どうでもいいけど包丁は振り回さないでよ。危ないから。
「――って、材料が無いじゃないのよ!?」
知らないよ。ってゆーか、作るつもりだったの? あれだけ失敗しといて?
それから包丁は振り回さないで。本当に危ないから。
「卵に米に鳥肉、ホールトマトに生姜とニンニク、ウナギとスッポンが無い!?」
ちょっと待って。那和さん、貴女は本当に何を作る気なの? 前半のものはさっきまで食べてたオムライスの材料かとも思えるけど後半の品々は絶対に違う。というか明らかにおかしいよね。
ってゆーか、さっきの言動からして、それらを使った料理が出来上がっちゃったりなんかしたら僕が食べなきゃいけないわけ? ねぇ?
周りに助けを求めようと視線を走らせても、皆がそろいもそろって努めて視線を逸らしてくれる。
清人なんてもう苦笑するしかない、って顔で遠い目をして僕を哀れんでいるようにも見える。そんな顔してると僕にはもう助かる見込みはないみたいじゃないか。
「お待たせっ!」
那和、別に誰も待ってないから。それからその材料をどこから持って来たのか詳しい説明を頼みたいんだけど。あとさっき口走ってた材料以外にも何か増えてるよね?
その手に持ってる蛇のホルマリン漬けとか絶対おかしいよね?
まさかとか思うけど、それは料理には入れないよね?
「え? 入れるわよ。だって美味しそうじゃない」
どう見ても美味しそうには見えない。
どう見ても嫌がらせにしか見えない。
あー、もう、昨日休んだばかりだっていうのに今日は午後から早退だろ―――
「――わんっ」
あれ? 今なんか聞き覚えのある鳴き声ととてつもなく嫌な予感が重なったような……
――ガブリっ。
「――っ!?」
ガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジ―――と、何かに左脚の脛を噛まれたわけで……。
「――っっっ!?」
僕は脛に走る痛みに声の無い悲鳴を上げ、
「兄さん――じゃなかった……九条 朋夜はいますか……?」
「……冴! 良かった、ポチが逃げてるよ!? ってゆーか僕に噛み付いてるよ!!」
その飼い主、冴を見つけて、僕は安堵していた。
「あ。兄さん、帰りに家に寄って下さいね」
「……え?」
「お父さんが、会いたいそうです」
不思議と、脛を噛まれた脚の痛みが、不意に頭を走った戸惑いに、あっけなく消された気がした。
「橙史さん、が……?」
そして軽く首を縦に振るだけで、冴は僕が聞き返したそれを肯定した。
……正直、嫌な予感ほど当たるとはこのことか、と考えてしまう。
ちなみに、那和はフライパンは大炎上で、清人は消火器を持ってなんとか調理実習室の惨状を小火で止どめていたのは別のお話。