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宮廷物語  作者: 卯月弥生
第一章 蓮実鉄次
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紅麗

 私は天井の梁を見つめながら、半年ほど前に夫の起こしたの事件について、思いをはせていた。

 あの人が頭を打って意識不明だと聞いた時、私の頭の中をよぎったのは「そのまま死んでくれ」だった。頭を打った理由だって、どうせろくでもないことに決まっている。事実、酒に酔った夫は、以前から気があった三軒隣の娘さんの湯浴みをのぞこうとして、隣家の屋根に登り、落ちて、頭を打ったのだった。

 ろくでもない連中と付き合い、酒ばかり飲み、暴力を振るう…もう、うんざりだった。

 なぜ、そんな男と一緒になったのかと問いかけてくる人もいたが、その説明をはじめたら何日かかることか…

 ともかく私は願いを込めながら、勤めていた機織工場(はたおりこうば)からの道を走ったが、治療院に着くと夫は目覚めていた。

 心底がっかりしたが、役人達に囲まれている夫を見て、私がしっかりせねば…という、いつも現実感がわいてきた。

 しかし、この時はいつもとは事情が少々違っていた。夫の様子がおかしいのだ。初めのうちは、とぼけているのかと思った。それは役人達も同じだったようだが、彼らが見てもどうもおかしいと言うのだ。医者が言うには、頭の打ち所が悪く、記憶が無くなってしまったのではないだろうかと。

 そう、あの人は別人に生まれ変わってしまったのだ。


 子供のようになってしまった夫を持つ妻として、村の人々は私を気の毒がってくれたが、私は今のあの人のほうが、ずっと好きだ。そして前の夫を知る村の人々も、口にこそ出さないが、この事故を喜んでくれているように思う。

 どうせ仕事だってしていなかったし、昼間から、いや、朝起きてから酒を飲み続け、暴れるような男の世話をするくらいなら、何もわからず、言葉すら話せなくとも、心のやさしい子供を育てるほうが、どれだけ気分が良いか。

 紅玉にもあの人の変化はわかっていて、今の夫には良くなつき、最近は口やかましい私よりも夫と一緒に居たがるくらいだ。

 やさしくなった。

 いや、そんな生半可な変化ではない。以前のように私が仕事に出ることをなじることもなく、それどころか簡単な言葉が話せるようになると、ねぎらいの一言をかけてくれるようになった。

 そのうちに、仕事から家に帰ると、夕飯を作っておいてくれるようになり、掃除、洗濯と家事のほとんどを今は紅玉とやっておいてくれる。家に帰ると鍋に煮えている汁物がある…たったそれだけのことが、こんなにも仕事で疲れた心と体をくつろがせてくれることを、今の夫になって私は知った。

 そしてもう一つ楽しみが出来た。夫がなんとも奇妙というか珍妙な作り話を、食事の後に聞かせてくれるようになったのだ。まだ言葉はたどたどしい部分もあるが、離れた場所にいる人間同士が四角い板のような物を使って話が出来たり、箱に見たことも無いような風景が映ったりする話だ。あまりの奇想天外さに聞き入ってしまったり、感心しているうちに、時間があっという間に過ぎてしまうのだった。

 今までは夫を敬遠していた村の人々も、夫によく話しかけてくれるようになり、村で集会があると議題の後は、夫を囲んで子供も大人も夫の話を聞きたがったのだった。

 このままがいい…

 寝返りをうつと、紅玉を挟んで夫の顔が見える。

 二人は良く似た寝顔で、静かに寝息を立てている。酒の飲み過ぎで大いびきをかき、紅玉と納屋で寝たことがまるで嘘のようだ。

 そして今日、自分が機織人の中でも宮廷付きの機織人で、今織っている布を来年の秋「秋の神移り」の際に献上することを話した。「神移り」とは皇族皆様の御一行が季節に合わせ、夏には北の地の宮へ、冬には南の地の宮へと移り住む際、市(いち)や村を練り歩く行事なのだ。

 長い距離を移動するので、その時々で、宿営地になる仮宮が移動途中の市や村の中から選ばれるのだ。

 今回の「秋の神移り」では、私の村から二つ山を越えた「田上」という村が仮宮に選ばれるのではないかと言われており、献上品を届ける為に、家を二~三日留守にしなければならいことも話した。

 以前の夫なら、私はここで髪を捕まれ床に引き倒され、呪いのような馬事雑言を浴びせかけられるところだ。前の夫は自尊心だけは皇帝様並みで、とにかく私が自分より目立つことが許せない人間だったのだ。

 皇帝様で思い出したが、私と同じ頃に御子を御出産された皇帝妃様のお乳の出が悪く、私が皇帝妃様の御子の乳母になった時もそうだった。

 こんな名誉な話はないことなのに、夫は…思い出すのも恐ろしい行為を私にしようとしたのだ。そのくせ、皇帝妃様の従者が訪れると、嫌らしいほど媚びへつらった。

 だから今回の献上の話を終えた時も、私の心臓は壊れるほどに打っていた。夫は変わったのだと、いくら呪文のように唱えても、体に染み付いた恐怖感は、そう簡単に抜けはしない。

 夫の返事が返ってくるまでの数分間、いや本当は数秒間くらいだったろう。生きた心地がしなかった…

 しかし、その人は大きくうなずき、顔をほころばせた。

「素晴らしい。紅玉と仲良く留守番をしているよ。あぁそれとも迷惑にならないのならば君に付いて行けばいいのかなぁ。君の名誉ある姿を紅玉に見せたいじゃないか」と言った。

 それから不思議そうに私の顔をのぞき込み、聞いてきた。

「紅麗?なぜ泣いているんだい?」


次回は2月9日日曜日15時に掲載予定です。

今回で『蓮実鉄次』の章は終わりになります。

次回からは新章『紅姫』の章へとなります。

これまでの話から舞台は宮廷に移り

凛々しく美しい紅姫の活躍をご期待いただければと思います。

書いている私もとても楽しみしています。では、新章でお会い出来たら嬉しいです。


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