振り上げられた手
政務官たちに事実ではなかったが、牢に入ることになった計略があったことを説明し、その一旦である紅姫の印を持ち出した罰として樹桂が追放の刑を受けたことを、そして犯人はもうこの国にいないことを皆に告げた紅姫。それから実行犯は樹桂であったことは承知していたが、その裏にいて樹桂を操っていたであろう、紅姫、紫雲のもとへと紅姫一行は向かったのであった。
白姫は珍しい生き物を見るかのように、紅姫をしげしげと見上げてから「ふんっ」と鼻で笑い、窓際の豪奢な長椅子に身をあずけた。そんな白姫に寄り添って立つ紫雲。美しい二人の様子はまるで一枚の絵のようだと深緑は思った。
一方紅姫はもと武官の月影、無骨な深緑と迫力のある二人を後ろに引き連れ、白姫を見下ろしていた。
「して、なに用かな?姉上」
「単刀直入に物申す故、衛兵並びに、侍女たちを下がらせよ」
ふーんと白姫は、手を蝶のようにひらひらと舞わせ、お付の者たちを下がらせた。
静寂の中、ぴーと鳥の鳴き声が遠くから聞こえてきて、鳥の声が合図のように紅姫が口を開いた。
「『春の宴』にて法怜という武官に命令し己を襲わせた…これは事実であるか?」
「………知らぬ」
「まぁ、知らぬと言うであろうな」
「ふふっ。知らぬものは、知らぬとしか言いようがないであろう、姉上様」
白姫がきゃらきゃらと笑った。紫雲が組んでいた腕をほどき、紅姫一行を見据えながら言った。
「どこからそのような話が出てきたのか不思議でありますが、根拠があっての問いかけでございましょうか?」
紫雲に月影が答えた。
「根拠はある。が、ここではあかせぬ」
月影は最近得意になったはったりで、この場をしのごうとしていた。
「それはあまりにも理不尽なお話。我が主である白姫様に対し、あまりに無礼ではないでしょうか」
どこまでも紫雲の態度は冷静で、樹桂のように崩す隙が月影には見つけられない。
(さぁてどうしたものか…)
月影が思案していると、紅姫がつかつかと白姫のもとにいき、寝そべっている白姫に対し、なにも言わずに腕をつかみ引き起こした。
「なにを…」
「それが人の話を聞く態度か?」
「…」
むっつりと紅姫を睨みつける白姫。
「先程も申し上げたように、白姫様は体調を悪くしております。乱暴な振る舞いはやめていただきたい」
紫雲がはっきりと紅姫を非難する。
「………もともと姉上のことは好きではなかったが、それでも無作法な人間ではなかった」
白姫が紅姫を睨みつけた。
「先程も言った通り、礼儀は払うべき時には払う。そんなにわたしのことが憎いか?嫌いか?」
すばりと紅姫は白姫の言葉に対して切り返した。
(これはよい流れになってきた)
月影は白姫の言葉を待った。
「あぁ嫌いじゃ。顔もなるべくなら見とうないわ」
紫雲の眉間のしわが深くる。
(このままではなにを話してしまうか…いかんな)
「紅姫様、本日は…」
白姫と紅姫の会話を遮ろうとした紫雲を月影が制した。
「聞けば、命を助けた金剛には礼の一つもないとか。もう少し感謝の念を持たれたほうが良いのでは?先程から礼儀、礼儀とおっしゃいますが、それこそ礼儀がなっていないのではないでしょうか?」
月影の挑発に、かっ、と白姫が顔色を赤らめた。
「ふん。馬鹿な下働きの男が余計な手出しをするから武官は死んだ。それだけだ。不運であったとは思うがな」
白姫が言い捨て、紫雲が額を押さえた。
「ふぅ…」
紅姫が一息吐いた。
月影の上手い口上で、白姫はうかつにも本音を口にしてしまったのだった。月影は軽蔑しきった眼差しで白姫を見下ろしていた。
深緑はぽかっと口を半開きにしたまま、白姫、紅姫を交互に見ていた。
再び白宮、皇座室は静まり返った。
(やはり、この二人が元凶であったか…)
紅姫は唇を噛んだ。心のどこかで白姫は関わっていないで欲しいという思いがあったのだ。そしてああもはっきりと嫌いと言われたことに、驚くほど傷ついた自分がいたのだった。
気がつくと紅姫は……
おもいっきり白姫の頬を張っていた。
大きく見開かれた目で白姫は紅姫を見た。
「紅姫様!!無礼でございますぞ!!白姫様はこの国の皇位第一位継承者。あなた様より位は上」
紫雲がめずらしく大声で紅姫を非難し、書庫に飾られていた太刀を手に取った。
その様子を見た月影も懐から小太刀を取り出す。
深緑は、酸素の足りなくなった金魚のように口をぱくぱくさせながら、ゆっくり、ゆっくりと後ろに下がっていった。(まさかここで斬り合いに…)予想もしない展開に、ごくりと唾を飲み込んだ。
目を閉じ、呼吸を整えていた紅姫が口を開いた。
「………そなたは人の命をなんと心得ている」
紫雲の制止など構いなく、紅姫は白姫を見下ろしたまま、感情を押し殺した低い声で問いかけた。
「………」
「下がられよ!!」
紫雲がさらに大きな声で紅姫を制した。
白姫は叩かれた頬を押さえたまま、紅姫の顔を見ていた。
その紅姫の頬に、きらきらと春の陽光に光るものを見た時、白姫は立ち上がり白宮の皇座室から走り出て行った。
「白姫様!!」
その後を紫雲が追う。
紅姫は涙を着物の袖で隠し、踵を返して白宮から出て行ったのであった。
白姫は叩かれたことにも驚いていたが、紅姫の頬を伝った涙、初めて見た姉の涙に、驚くほど動揺していた。
(泣いていた…あの姉上が泣いていた…)
白姫は自室の座布団の中に埋もれた。後から紫雲が入ってきてなにかを自分に向けて話しかけていたのはわかったが、混乱の中にいた白姫には言葉が出てこなかった。
白姫は白梅貴妃より、自分は特別な人間なのだと教えられてきた。それは教育係りも同じであったし、今まで自分のしてきたことで叱りも受けたこともなかった。
よって自分の配下である人間の命も自分の物であることを疑ったことすらなかった。あの武官の遺族にも十分な金子(きんす)を渡したし、なんの問題があるのか白姫にはわからなかった。
それを紅姫に責められ、まるで見知らぬ国の人間の、まったく違う思考の持ち主にわめきたてられたような不快感と、しかしそれと同時に宝石のようにきらめいていた紅姫の涙がもたらす困惑に胸がきりきりと締め付けられていた。
「………」
くぐもった紫雲の声が聞こえ続けていたが、白姫は返事ができなかった。
座布団の中で白姫は頭を抱え、足をばたばたとばたつかせた。
(お母様!お母様!私は間違っているの?………違う!違う!違う!違う!!私は正しい。姉上は頭がおかしいのだ。やはり牢から出していけなかったのだ…)
白姫ははっきりと決心した。
(姉上を始末せねばならない)と。
今回も読んでいただきまして誠にありがとうございました。
次回は明日、8月23日土曜日15時に「二つの影」(仮)を投稿する予定です。ぜひ続きもご覧いただけましたらと思います。ではまた。




