紅姫、白姫と会う
樹桂が紅姫の印を赤宮から持ち出した…ということにする説得に成功した月影。本当は印を使った犯人も樹桂であることを月影は承知していたが、紅姫を牢から救い出すことに重点をおき、樹桂をこの国より追放することで、事を治めようと考えたのであった。そして牢から出る許しを得た紅姫は…
久しぶりの寝所では、紅姫の好きな香木のお香が焚かれ、楽流の桃歌が奏でる“香”の音が静かに流れていた。
(なんと柔らかい寝具で寝ていたことか…)
寝所の布団の上に腰を下ろした紅姫は、その羽のような軽さに驚き、なめらかな布団の生地を撫でた。
それから部屋を仰ぎ見た。
美しい彫刻で縁取られた飾り板、紅姫が気に入って飾った調度品、天蓋がかけられた布団。
そしてなによりも快適に保たれている、部屋の温度。
「姫様どうかいたしましたか?」
桂がやさしく声をかける。
「いや、…なんでもない」
春先用の夜着に着替えていた紅姫は、あらためて今まで自分がどれだけ恵まれた環境で生活していたのかのを、しみじみと感じていた。
「白蓮」
「はい」
天蓋の外、さらに立てられている屏風の裏に控えていた白蓮が返事をした。
「今度の投獄の件で知った…わたしはもっと強くならねばならぬ」
「…はい」
「しかし、強くなることで誰かを傷つけてしまうことが恐いのだ…そう考えるわたしはおかしいか?」
「いいえ、そのようなことはございません。紅姫様の母上である紅梅貴妃様はそれはそれは心のやさしいお方でした。慣例を破り、貴妃様が育てられたあなた様も、またおやさしいお方でございます。人を傷つけることを恐れることは無理からぬことでございます。しかし、本当の強さとはどのようなことでございましょうかな?」
「本当の強さ…か…」
紅姫は考えていた。しかし桂がどこまでも広がっていく紅姫の思考を断った。
「難しいことも大切ですが、今宵はもうお休みなってはいかがでしょうか?」
「うむ」
「白蓮も桂もご苦労であった。下がっていい」
二人は深く頭を下げると寝所を後にした。
一人部屋に残った紅姫は、極楽鳥の胸に抱かれたような安堵感と心地よさに、本当の強さについて考えたかったが、いつの間にか深い眠りに落ちていったのであった。
翌日の昼過ぎ。
久しぶりに赤宮に紅姫の政務官たちが集められた。紅姫が聞くところによると、樹桂は日が昇ると同時に家族を連れ、黄玉帝からの紹介状を持ち『財ノ国』へと旅立ったとのことだった。月影はその様子を見晴台から眺めていた。
皇座には紅姫。段下には月影が控えていた。
(またここに腰掛ける日がこようとは…)
紅姫は大きく深呼吸をした。そうしているうちにざわざわしていた皇座室は静まり返り、皆が紅姫を見上げていた。
「皆、私の不在により心配をかけたこと、心からわびたい。すまなかった」
紅姫が頭を下げたことで、わらわらと皆が跪きだした。
頭を垂れた皆を見下ろしながら、紅姫は続けた。
「樹桂がこの場にいないことに気がついている者も多数おるだろう。印を持ち出した処罰として、樹桂はこの国を追放された。そしてその印を使用した者も、また今はこの国にいないであろうと思われる」
赤宮の皇座室が再びざわめいた。
これは皆を召集する前に、月影と話し合った結果の発言であった。
一夜明けてから、紅姫が月影から聞いた話は紅姫を混乱の渦に投げ込むような事柄ばかりで、事実、紅姫は何度も頭を振ったり、押さえたりしていた。
白姫の計略にまんまと嵌められたこと。もっともその裏には紫雲が存在していて、樹桂があやつり人形のように上手いこと動かされていたこと。月影のもとに暗殺者が差し向けられたこと。
「…まるで白蓮の『紡ぎ話』を聞いているようだ」
「はい。しかしどれも現実に起こったことでございます」
「一つ、わからぬことがあるのだが…」
月影が首をかしげ紅姫を見ると、そのうつむいた面には、深い苦悩が刻まれていた。
「白姫を襲った武官…法怜(ほうりょう)は、一体どのようなつもりであったのだろうか?本当にその武官は白(はく・白姫の意)が自分を襲うように指示をしたのだろうか?」
「…おそらくとしか答えようが…。その答えは樹桂も知りますまい。紫雲殿か、白姫様ご本人にしかわからぬことかと思われます…」
「そうか…」
それから月影は、実行犯は樹桂であるが、そこは勝手ながら見逃すことを条件に、印を持ち出したことを認めさせたこと。またその罪で国から追放の刑に処すことに黄玉帝の了承を得たこと。
そして印を使った犯人については、架空の人物に罪を被ってもらうことで、この件を治めようと考えていることを紅姫に話したのだった。
「紅姫様が受けた仕打ちを思うと、ほんらい樹桂にはもっと重い刑を処すべきでしたが…」
苦々しい顔で紅姫を見た月影。
「…それはもうよい。わたしよりも鳶丸のことを考えれば、そなたにこそ悔しい思いは残るだろうがな」
深くうなずく月影。
「架空の人物に罪を被ってもらうこともいたしかたないであろう…しかし、」
「紅姫様に罪を着せた者はもうこの宮には…国には存在しない。それは確実なことなのでしょうか?」
一人の政務官から上がった質問の声に、紅姫は我に返った。
「確実なことである」
「では、犯人がわかっているということなのでしょうか?」
また別の政務官から声が上がった。
「うむ」
「しかし、政務室には限られた者しか立ち入ることができません」
「うむ」
「一体なに者なのですか?」
わいわいと、とめどなく質問が紅姫にむけられた。
こんっ、と皇座の肘掛を紅姫が拳で叩いた。
それだけで皇座室は静まり返った。
(ほう…)
紅姫がこの騒ぎをどう治めるか傍観していた月影は感心した。今までは月影が助け舟を出していたが、自分が変わったように紅姫がどのように変わったのか見てみたかったのである。
静まり返った皇座室に紅姫の声が流れた。
「皆、はっきり言えることは、そういうことを仕事にしている者の仕業だということだ」
「何故、紅姫様をそのような計略にはめたのでしょうか?」
「うむ」
質問の主は清流であった。
(一番触れられたくないことを真っ直ぐにたずねてくる)
月影は苦笑いを噛み殺した。
「正直、真相はわたしにもわからぬ…しかし、予想するにわたしの存在がこの国のためにならぬと考える者がいるということだ」
政務官同士、顔を見やる。察するにそういう考えを抱く者がこの宮にもいるということであった。
「皆にははっきり伝えておこう。わたしはこの国に残るつもりない」
月影が話し過ぎではないかと紅姫を見たが、紅姫は静かに頷き、話を続ける。
「この国は予定通り、よほどのことが起こらない限り、第一継承権を持つ白姫が皇位を継ぐだろう。そのことは皆心に留めておいて欲しい」
皇座室は紅姫の強い意志の力で静まり返った。
頃合いを見て月影が口を開いた。
「話は変わるが、新たな第二政務官を選出したいと思う………」
皆が出て行った皇座室には新たに第二政務官となった、深緑(しんりょく)と月影、紅姫の三人だけがいた。深緑は月影より二、三歳年下である男であった。無骨であり極端に無口な男ではあったが、信用がおけ職務に忠実な男と月影は見ていて、紅姫も第二政務官の役職を与えることに異を唱えなかった。
「今の聞いたお話、そう簡単に信用しかねます」
今までに紅姫、月影、樹桂に起こったこと、そしてその裏には白姫、紫雲が潜んでいるのではないかと思う…という話を聞いた深緑の第一声だった。
冷静沈着な深緑らしい第一声であった。
「うむ。そなたはそれで良い。物事を疑ってかかることは必要だ。ただ…」
紅姫が皇座から立ち上がった。
「一人の武官の命が絶たれたのだ。それがすべて白(はく・白姫の意)の計略ならば、わたしは白を問いたださねばならぬ」
きっぱりと紅姫は、月影と深緑に告げた。
「二人とも付いてまいれ」
紅姫はそう言うと、皇座室から足早に白宮へ向かった。
顔を見合わせた月影と深緑だったが、慌てて紅姫の後を追ったのであった。
「これは、これは紅姫様、無事嫌疑が晴れ……紅姫様!?」
白宮、皇座室の入り口で、衛兵の制止を振り切り中に入ろうとしていた紅姫を、止めに出てきた紫雲だったが、紅姫は紫雲の口上を聞く気はさらさらないようで、構わずに中に入って行った。
「白、白はどこじゃ」
「紅姫様、困ります。本日、白姫様はご気分が優れず伏せっておられます。ええぃ。月影殿も礼儀をわきまえていただきたい」
困り顔の紫雲だったが、月影も意に介さず、紅姫の隣に控えていた。
深緑はさすがに驚いた顔をしていたが、二人を止めることもなかった。
「白!出てきなされ!!」
「………うるさいのう…」
皇座室の奥の方からゆらりと白姫が姿をあらわした。
二人の皇女の登場に、さすがに月影、深緑、そして紫雲も跪き、頭を深く下げた。
「一度牢屋に入ると礼儀も忘れてしまうのようじゃ」
「礼儀は尽くすべき相手に、尽くすべき時に尽くす」
紅姫がきっぱりと言い放った。
「ふっふっふっ」
笑いを噛み殺しながら白姫が、紅姫に近づいた。
「それはわたしには礼儀を払う価値がない、そう言っているように聞こえるが」
『春の宴』以来、向き合う形になった二人の皇女だった。
皆様、お盆をどのようにお過ごしでしょうか?
親族が集まったり、いつもと違う食事をしたり、夜になった時に少し寂しい気持ちになったりするお盆の雰囲気が、わたしは好きです。
次回8月22日15時に『振り上げられた手』(仮)を投稿予定です。ぜひご覧下さい。
ではまた。
※先週の8月8日はわたしの入力ミスにより、予告した投稿時間に載せることが出来ませんでした。申し訳ございませんでした。




