月影、立つ。そして白姫
日向が率いる密偵たちの洞窟で、思いを廻らせる月影。紅姫のもとへと
馳せ参じたい気持ちはあったが、宮中から離れた決意を簡単にひるがえ
す事もためらわれていた。そんな月影に鳶丸は背中を押す言葉をかけた
のであった。
「やっぱり宮に戻るって!!」
明け方に帰ってきた、日向は大きな瞳をぐりぐりさせながら、驚きの声を上げた。
口を一文字に結び、無表情のまま腕を組んでいる月影からは、この数刻の間になにが起きたのか、日向には想像がつかなかった。
しかし、まぁいいかと日向は思った。おそらく月影が宮に戻ることで、事は大きく変化するだろう。そうすれば日陰にも言い訳がたつ。
「わかった、私たちの馬の中でも良い馬をそろえてある。…そうだな天気も曇りと、ちょうど良い。十日もあれば宮に着くだろう」
「馬たち?私一人ではないということか?」
「当たり前だ。命を狙われているんだぞ。宮に着くまで警護する」
「嫌、それは断る」
日向は、やれやれとため息をついた。
「そんなことを言い出すのではと思っていたよ。一人でいいと。あんたは元武官だから、自分の命は自分で守れるつもりだろうけど、暗殺者には暗殺者の流儀があるんだ。その道の者に任せてみるもの悪くない選択だと思うけど」
ちらりと日向をうかがう月影。確かに今はこの密偵たちを率いる頭の顔つきだった。
そして理論的にも日向に分があった。
「承知した」
しぶしぶではあったが、ここは急に意見をひるがえした手前もあって、月影は日向に従うことにしたのであった。
「じゃ、軽く腹ごしらえして出発だな」
日向は満面の笑顔を見せた。
それから、月影、日向、疾風、鳶丸の四人は小麦を固く焼いた保存食のような物、そしてやはり保存がきく干し肉を食べ、宮を目指して馬を出そうとしていた。
「時に、日向殿。日陰殿の姿は見受けられないのだが…どうしてらっしゃる?」
月影はここに連れてこられてから、ずっと気になっていた日陰の様子を聞いてみた。
「兄貴は兄貴の仕事をしている。なにをしているのかは、たとえ月影殿にでも話すことはできない。しかし変わりなく色々やっているようだ」
日向にきっぱりと所在については、答えを拒まれた。
「…そうか、達者であればそれで良い」
月影はそう答えたが、内心、日陰がなにをしているのか気になって仕方なかった。
それだけ、玉蘭の件において一目置くようになったということなのだったが。
馬にまたがった日向が、疾風と鳶丸に向かって大声を上げた。
「刺客はいつ何時、また月影殿の命を狙おうとするかわからぬぞ!!周囲には十分注意を払い、心して警護をするように!!」
「おう!!」
勇ましい二人の掛け声と共に、こうして一行の馬は月影を囲むようにし、駆け出したのであった。
「なにぃしくじった!?この馬鹿者が!!このことが紫雲殿に知られたら…」
樹桂は顔を赤くしたり青くしたりしながら、月影暗殺を請け負った密偵を叱り飛ばしていた。
この密偵たちは六人一組の『鉄の影』と呼ばれる、おもに暗殺を得意にしている集団だったが、今回は相手が悪かった。
「今、全力で月影の行方を追っております」
「当たり前だ!!この宮に帰ってきてみろ!!わしの立場はどうなる!!とにかく必ずや月影の息の根を止めろ!!」
『鉄の影』の一人は頭を下げると、今は主のいない赤宮の皇座室から出て行ったのであった。
どさりと、側にあった腰掛に崩れ落ちる樹桂。
「…紫雲にでも知れてみろ…大臣どころか、宮から追い出されるわ…」
「今のは『鉄の影』の一人ですね」
樹桂は心臓が飛び出るほど驚いた。
「し、紫雲殿、なぜ、ここに!?」
入り口にかけられた、紅色の、布の幕の裏から紫雲があらわれた。
「『鉄の影』に誰を襲わせたのですか」
空気のなくなった金魚のように、口をぱくぱくさせている樹桂は、滑稽を通りこし、哀れであった。
無表情の紫雲からは、怒りも、哀れみも感じさせない。ただ、じっと樹桂を見据えていた。
「誰なのですか?」
抑揚のない、しかし、曖昧さを許さない凛とした声が、赤宮に響き渡った。
叱られた子供のようにうつむく樹桂に、追い討ちをかける紫雲。
「余計な手出しは無用と念を押したことをお忘れのようだ」
「き、聞いてくれ。大丈夫だ。必ず月影は仕留める。これで白姫…」
「うほん」
紫雲が大きな咳払いをした。
「その辺りが、あなたはすでに迂闊(うかつ)なのです。軽々しく人名を出さないで下さい」
「…すいません」
大きな図体で、しょんぼりと肩を落とす樹桂。
「すでに事は起きてしまった。『鉄の影』に我らの願いを託すしかありませんね」
樹桂を一瞥し、紫雲は苦虫を噛み潰したような顔で、ため息をついたのであった。
「馬鹿が…」
白姫は、紫雲から樹桂が月影の暗殺を企てたことを聞き、吐き捨てるように言い切った。
「おそらく月影はこの宮を目指して…戻ってこようとしていると思われます」
白姫は鏡を買ったの同時に『鉄ノ国』の行商から買った、しゃらしゃらと美しい音のする腕輪の鈴をはじいていた。
しゃらん。
どうにも、姉上を追い出そうとすると“けち”がつく。と白姫は思っていた。
こたびのことも、ほうっておけば姉上を幽閉したまま丸く収まったというのに。
白姫は母の言葉を思い出していた。
『白姫や、おまえが即位するまで絶対に、紅姫に気を許してはならぬぞ。所詮あれは下賤(げせん)の者が産んだ娘。なにを考えているかわからぬ。うかうかしているとこの国の皇女の座も奪われてしまうかもしれぬ。心せよ』
しゃらららんん。
白姫は何度この話を母から聞いたであろう。白姫の母、白梅貴妃の言葉は白姫の体に根をはり、白姫を呪縛していた為に、もう白姫には母の言葉を疑うことすら思いにもよらない行為になっていたのであった。
「万が一にでも『鉄の影』が失敗した時は、わかっておるだろうな」
「はい」
樹桂が大きなくしゃみをした時、紫雲は酷薄な笑みを浮かべていたのであった。
皆様お元気でいらっしゃいますでしょうか?
ここ東北は、炭酸飲料(ビールも含む)が美味しい季節であります。
最近甘くない炭酸飲料が売られていますが、私は好んで飲んでおります。
食事にも、朝起きた時にも、初夏の風が吹く中、夕日を見ながらと、
幅広くいただいております。
次回は7月7日七夕の15時に投稿予定です。ではまた。




