日向と月影
月影の生家がある『財ノ国』にて、夜中に奇襲をかけられた月影。訳がわからぬまま
刺客から救ってくれた日向に連れられ、洞窟に身を潜めることにした月影。そこで
月影は日向から、今の宮中の様子を聞くのであった。
「なんだって!!どうして宮中に戻らないんだよ!!」
「日向(ひなた)、大きな声を出すな」
疾風(はやて)が日向をいさめた。
「だって、こっちは明日の朝一番に『冬の殿』に帰れるように、早馬も用意してあるんだよ!!」
「日向。大声を出すな。勝手に用意したのはお前だろ」
「だって、だって」
駄々をこねる子供のような日向を前にして、月影はむっつりと口をつぐんだまま、石の机にのせられていた蝋燭の炎を見つめていた。
日向は、月影が去ってからの宮中で起こった事件のあらましを月影に伝えた。
『春の宴』にて一人の武官が白姫に切りかかったこと。
その武官に白姫の暗殺を命じたのが、紅姫ではないかという疑いがかかり、今、紅姫は牢に幽閉されていること。
その証拠を持ち出したのが、なぜか月影に代わって紅姫の第一政務官を勤めている樹桂であること。
その上、紅姫は康徳雨王、玉雨王子と繋がり『木ノ国』を乗っ取ろうとし、失敗した為、白姫暗殺を企てたのではないかという噂まで広がっていること。
以上を簡潔に、しかし憤懣やるかたない、といったふうに日向は話した。
そして「明日にでも『冬の殿』に戻れる手筈は整えてある」と言った日向に月影は、一言、「私にはもう関係の無い事で、戻ることはない」と答えたのであった。
「もう、どうして男ってやつは意地っ張りっていうのか…見栄っ張りっていうのか。あんたの大事な姫様がこのまま獄中死してもいいのかよ。後寝所へ形振り(なりふり)構わず飛び込んだあんたはどこへいった?今だろ。形振り構っていられないのは!!」
「日向言い過ぎだ!」
口をつぐんだままの月影に代わり、いつの間にか日向と疾風の口論になっていた。
「第一にどうして宮中を出ていったのさ。大事な時だったのに」
「日向!!人には色々理由があるんだ。取り返しのつかないことを責めるな」
疾風にかばわれたことで、その実、月影はますます居心地が悪くなっていた。
日向はすっくと立ち上がったかと思うと鼻息荒く、洞窟から出ていったようだった。
「…このような夜更けに、外に出て、危なくないのか?」
さすがに月影は口を開き、石の椅子から立ち上がり日向を追おうとしたが、疾風が笑いながら月影を制した。
「日向は大丈夫。夜でもこの辺りは自分の庭みたいなもんだから。一人にさせて頭を冷やしたほうがいい」
論理的な疾風の言葉に、しぶしぶと腰を下ろす月影。
「…私のことを情けない男だと思うことだろうな…」
「うん?俺に聞いているのかい?」
月影は疾風にというわけでもなかったが、一人、ごちたところに疾風が返答した。
「さっきも言ったけど、事情が無い人間なんていない。…それも、あんたのように地位も人望もあった人間が、その場所を去るというのは、余程のことがあったんだろうと思うよ」
「それが、どんなに自分勝手で私的な理由でもか?」
「あははは。自分勝手な私的な理由だったんだ」
この返しに月影は参ったと、照れ隠しで顔をしかめた。
「うーん、俺たちにはもともと自由がないからな。よくわかんねーけど…もし、一度覚悟を決めて『ここ』から去ったらとしたら、やっぱり『ここ』には戻りづらいだろうな」
月影はぼりぼりと頭を掻いた。
そう、まさに疾風の言うとおりだったのだ。今さら戻れない…というのが、正直な月影の気持ちだった。
「日向は一時、感情に流されているだけだ。大丈夫。すぐいつもの日向に戻る。…だけど」
「ん?」
「日向があんなに感情を剥き出しにするなんて、めずらしいなと思って」
「そうなのか?」
「日陰がいない間は、一応、頭(かしら)だからな。日陰にはよく突っかかるが、他人にはめずらしい」
日向の大きな瞳で、ぐいぐいと責められた迫力を思い出す。
疾風には、なんと答えたらよいのかわからない月影は所在無く、ため息をついてみたり、机を指で叩いたりしていたのであった。
こつん。こつん。こつん。考え事をする時に机を叩くのは、政務官時代からの月影の癖であった。そのうちに月影の頭は、先程、日向から聞いた現在の宮中で起こっていることを整理し始めていた。
(樹桂殿が、姫様を陥れるような真似をするとは…)
これは月影の大きな計算違いであり、人を見抜く目がまだ足りなかったこと、そして樹桂が月影の予想をはるかに上回る狸であったことが原因であった。
こつん。こつん。こつん。
耳障りな音ではあったが、疾風は何も言わなかった。
(樹桂殿が、武官を動かしたのは、ほぼ間違いないだろう…証拠の捏造、噂の流布。これも樹桂殿の仕業であろうか?しかし樹桂殿になんの得がある?)
こつん。こつん。こつん。
(考え方が間違っているな…。姫様がいなくなって得をする人物。もしくは、姫様を目障りに思っている人物…これは、一人該当する。白姫様だ)
こつん。こつん。
(『木ノ国』を継ぐのは、第一正妃の娘である白姫様であり、紅姫様にはその地位を脅かすようなお考えは無いのだが、どうにもあの姫、白姫様は疑い深い所がある。本来ならば紅姫様が『水ノ国』へとお輿入れすることで、胸のつかえはなくなったのだろうが…)
こつん。
(それも結局は立ち消えてしまい、このままでは自分がと…お考えになったかもしれぬな)
そこで、私ならば…と月影は考えた。
樹桂を取り込み(どうせ白姫が国を継いだ暁には大臣の職を用意するとか、そんなところか)そうして白姫は自分を襲わせる。その罪を紅姫様に押し付ける。
しかし理由が弱い。そこで玉雨王子の偽物騒ぎを利用し『木ノ国』を『水ノ国』の者と共に乗っ取ろうとしていると騒がせる。
うん。これはよく出来ている。
「月影殿…」
怪訝そうに、両手に拳をつくり仁王立ちになっている月影に、疾風が声をかけた。
いつの間にか立ち上がっている自分に月影は驚き、咳払いを一つしてまた、石の席に腰をかけた。落ち着いて辺りを見ると鳶丸(とびまる)が帰ってきていて、疾風と火を囲んでいた。岩の天井へと小さな焚き火から上がる煙が昇っていく。
「家は変わり無いってさ。書置きを残してきたから、月影殿の家族も、とうぶん帰れない事情をわかってくれるだろうよ」
「それはありがたい。鳶丸殿助かりました。」
月影の言葉に鳶丸はうなずき、ゆっくりと話出した。
「それより…」
話し出した鳶丸に、月影よりも疾風が驚いた。仲間内でも必要最低限のことしか話さない鳶丸が自分から話し出すとは、と。
「月影殿…」
「ん?」
「心のままに…進まれよ。他人は…それほど自分のことを気にかけていない。あなたのような方は…今は図々しいくらい…そのくらいが、ちょうど良いと、…俺は思う」
「今は、図々しく…」
月影はまるでついさっきまでの自分の胸の内を見透かされたようで、一旦は驚いたが、なんのことはない。考え詰めている月影の姿は、誰が見ても、もう農民のものではなく、政務官の顔であったのだった。
皆様、雨やら暑さやらで体調はくずしていませんか?
私はこの気候では、虚弱体質を発揮してしまい、なかなか
思うようにならない日々を過ごしております。
次回の7月4日金曜日15時にまたお会いできたら嬉しい
です。ではまた。




