裏切
紅梅、白梅が咲きだした、満月の夜に催される『冬の殿』での行事『春の宴』。
『春の宴』は幻想的な雰囲気の中、気持ちの良い宴席を楽しんでいたのだが、
篝火の薪番をしていた金剛は、一人の武官からただならぬ殺気を感じたのであった。
「おおぉぉぉ」
金剛の咆哮が『春の宴』の席が設けられた庭園に響き渡った。
目が血走った武官が振上げた刀の刃は、金剛の鉈(なた)により間一髪、白姫の命を守った。しかし武官の二振り目は、金剛の鉈をつかんでいた腕をざっくりと切り裂いた。
側にいた紅姫に、血飛沫(ちしぶき)がかかる。
「うっ」
金剛は呻き声をあげたが、それ以上に武官が悲鳴を上げた。
「ひぃぃぃぃぃ」
腕に刀が刺さったまま、金剛は地面に武官を押し倒した。
刹那。
刀の刃が運悪く武官の頚動脈にあたる…
金剛は断末魔の叫びと共に、武官の最後の言葉を聞いた。
「…こ……んな…はず…じゃ……」
(こんなはずじゃ!?)
武官の血は勢い良く吹き出し、強風に舞い散る花弁(はなびら)のように飛び散る。
息を切らし立ち上がった金剛は血まみれだった。
銀糸で織られた幕にも紅い飛沫が広がる。
あたり一面の地面も紅く染まっていた。
白姫は紫雲が、紅姫は桂がその盾になり血に染まっていた。
紅く、紅く、紅梅も白梅すらも血に染まり、紅くなったのだった…
…人々の思いとは関係なく春は訪れ、木々からは新緑が芽吹き、地面にも小さな花々が咲き始めた。
『春の宴』の後。
凄惨な現場から、まず二人の姫は連れていかれ、黄玉帝の指示のもと、事の検分が行われた。
結果亡くなってしまった武官の名は『法怜』(ほうりょう)と言い、最後までなぜ白姫に切りかかったのかは不明だった。
白姫をかばった為、腕に怪我を負った金剛は、黄玉帝から直接に褒めのお言葉をいただき、検分が終わり次第、医療室へと連れて行かれた。
まるで演劇の一幕を見ているようだったと金剛は今でも思う。
腕に負った傷は見た目よりも軽く『春の宴』から三日過ぎた今は、いつも通りにもくもくと自分の仕事をこなしていた。
庭から紅姫様の寝所の窓が見える。
あの時、樹桂とかいう月影様の代理の政務官は、阿呆(あほう)のように口をあけたまま、紅姫様を守ることもなく突っ立っていたことが、金剛には気に入らなかった。
その後の検分でも歯切れ悪く、のろのろと、まるで一人霧の中にいるかのような働きしかしていなかったと人づてに聞いた。
(月影様がいらっしゃれば…)
金剛はため息をついた。
『春の宴』の夜の後から、白姫様は寝所から出てこなくなった。
そしてさすがの紅姫様も寝所で伏せっておられるようで、白姫様と同じく御寝所から出てくることがなかった。
(姫様が愛でていらっしゃる、紫の小さな花が咲いたのに…)
お見せできないことが金剛には残念でならなかったのであった。
『春の宴』から七日目。金剛はとんでもない噂話を顔馴染みの衛兵から聞いた。
「法怜(ほうりょう)に命じて、白姫様を殺そうとしたのは、どうも紅姫様らしいぞ」
初めにその言葉を聞いた時、金剛にはまるで意味がわからなかった。
いや、金剛とて言葉はわかるが、意味が飲み込めなかった。
衛兵は得意気に、なにかを話し続けていたが、金剛の耳にはまるで入ってこない。
(紅姫様が…命じて…殺そうと…白姫様を…)
「うわっ、やめろ!金剛!」
気がつくと金剛は衛兵を締め上げていた。
「…すまん」
「なんだよ。白姫様から褒美があるかもよって言っただけだろう?怒るようなことは言ってないぞ」
ごほごほとむせながら衛兵が言った。
金剛はまるで自分が糾弾されたがごとく頭を抱えた。
「あぁ…」
「金剛?」
「…違う」
「なにが?」
「紅姫様はそんなお方ではない…」
「えっ?」
「人を使って、いや、そうではなくて、仲は確かに良くないかもしれないが、実の妹を殺そうとなんてしない」
つぶやくように一人話し続ける金剛を、衛兵は気味悪がりながら、ゆっくりと離れていったのだった。
宮中に噂はあっという間に広がっていった。
桂は紅姫を心配していた。もともと他者に対し冷淡に見えるところが、益々紅姫の周囲の者に不安を与えてしまっていた。
玉雨王子(公的には偽物で事実上は本物であったが)との縁談が破断した為、行き場がなくなった紅姫が『木ノ国』の皇女になろうと策略し、白姫殺害を武官を使って実行した…というのが、大方広がっている噂の内容だった。
桂が紅姫について十四年。
(姫様は絶対にそんなことをなさる人ではない)
桂には良くわかっていたが証明ができない。そして噂は、いかにもありそうな話で、人々が納得しやすい状況に確かに紅姫はおかれている。
このままなるべく早くどこかの国に輿入れできないものだろうか?
桂は、この際ふたたび『水ノ国』の、公的であるだけでも良いから玉雨王子に輿入れできないものか、あの手この手をつくしてみたが、二国間は表面上、荒立っていないように見えても、もう、交易すら危ういほどのこじれ方をしてしまっていた。
どうにかして、姫をこの国から出す方法はないものか…
桂はそればかりを考えていた。
しかし桂の心配通り、噂は当然黄玉帝の耳にも入り、ほうっておけるような内容では無いと黄玉帝は判断したようだった。
紅姫は黄玉帝から呼び出し…それは査問(さもん)と言っても良いだろう、を受けた。
桂はたかが噂ごときで、心身ともに弱りきっている紅姫が呼び出されることに、姫様付きの侍女として最後まで抵抗し、怒りをあらわにしていたが、代理の第一政務官である樹桂の一言でしぶしぶ承知したのであった。
「桂殿、黄玉帝様はただ話を聞きたいだけですぞ。あまり嫌がると余計に怪しまれますぞ。なぁに、それこそたかが噂ですよ」
樹桂の言うことにも一理あると思えた桂は、しぶしぶ呼び出しに応じることにしたが、これが後から深く後悔することになるのであった。
黄玉帝からの呼び出しに応じ、帝宮にて質問にも正直に答えていた紅姫は、すぐにでも解放される様子だった。黄玉帝とて二人の姫の父親でもあるのだ。姫呼び出しは形式上のものだった。
樹桂がある書面を取り出すまでは…
「これは…」
黄玉帝、大臣の海松(かいしょう)、副大臣の蘇芳(そほう)も、その場にいた政務官全員が目を見張った。
樹桂が取り出した物は、紅姫が法怜(ほうりょう)に宛てて書いた書で、その内容は『春の宴』で白姫を殺害するようにと記されていた。
「紅(こう)これは?」
冷たい黄行帝の声が、帝宮に流れた。
「わたくしには覚えがありません」
「うむ、字は確かに紅のものと少し違うように見えるが…お前の書である証拠になる印が押されているぞ」
「…確かにこの印はわたくしのものでございます。されど、書には見覚えがございません」
「樹桂!!」
黄玉帝の苛立った声が、帝宮に響き渡った。
「はっ」
「これはどこで」
「亡くなった法怜の部屋を調べさせたところ、枕の下からでてきました」
「…わたしは知らぬ」
紅姫はそう答えるしかなかった。
(はめられた…一体誰に!?)
黄玉帝は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、覚悟を決めたのか、しっかと紅姫を見つめた後、入り口に立っていた衛兵に告げた。
「牢を一つ用意するように」
帝宮がざわめきに包まれた。
「!!」
紅姫は唇を強く噛んだ。
(…樹桂か…)
紅姫の視線の先には、鼻息荒く、得意気に笑みを漏らしている樹桂がいたのだった。
「国に帰るって本当ですか!!」
鉄火は浮雲のはにかんだ笑顔を見ながら、信じられない思いで言った。
すでに浮雲は一ノ門の前にいた。
「格好悪いから黙って行こうと思ったんだけどな…へへへ。宮中は恐ろしい所だね。おりゃもう、人が殺されるのを見るのはまっぴらごめんだ」
鉄火にも浮雲の気持ちがわかるような気はした。
こう死人が出るほどの騒ぎ続きでは、この騒ぎが治まるまでは本当に『紡ぎ人』どころの話ではなくなったのだ。
「俺には、自分の国で見世物小屋を切り盛りしながら、おっかあと子供たちと平和に暮らすほうが性に合っているよ。そして時々旅に出ながら公演をしてよ…あの雲みたいにあっちへ、こっちへと」
浮雲は空を見上げた。
「…もったいない気がします。それにさびしくなる」
「なにをいい年をして子供みたいなことを言っているんだい」
浮雲は大きな笑顔を鉄火にむけた。
「色んな話も仕込めたしな、なぁに縁があればまた会えるさ」
「浮雲さん」
浮雲の決意は固いようだった。
「あんたの話、面白かったよ。まるで別世界の話だった。なぁに沢山の人前で話していればどんどん上手くなる。次会うのが本当に楽しみだよ。その時はとっておきの話を聞かせてくれや」
鉄火も答えの変わりに笑顔を見せた。
「それじゃ行くかな…」
その時、白蓮がどこからともなくひょっこりあらわれた。
「白蓮様!?…これは、お世話になりました。まさか見送っていただけるとは」
浮雲はぺこりと頭を下げた。
「なんの、なんの。久しぶりに本物の芸人に会えたよ。こちらこそ良い話を聞かせてもらえてありがとう」
「白蓮様…」
浮雲はまぶしそうに目を細め白蓮を見た。
そうして一ノ門は開かれ、また一人『冬の殿』から去っていったのだった。
もう6月ですね。皆様不安定な天候が続く中、体調など
崩されておりませんか?どうぞご自愛下さい。
ちなみに6月6日と言えば某有名ネコ型ロボットの絵描き歌を
思い出すのは私だけでしょうか。
次回は6月13日金曜日15時に『牢獄』(仮)の投稿予定です。
ではまた。




