日陰~其の弐~
日陰は契り(ちぎり)の夜、双子の妹、日向(ひなた)に書状を持って行かせてから、紅姫の前に姿をあらわしていなかった。
なぜなら日陰は不穏な気配を『水ノ国』に感じたからであった。
偽物の王子を連れて行くのだ、ばれた時のことを考えれば、一刻も早く『木ノ国』から出て行きたいだろう。いかなる理由をつけてでも后の水仙も同行を拒みたいだろう。
そして実際、康徳雨王は翌日帰郷し、后の水仙は体調の悪さを理由に『木ノ国』にこなかった。
だから、おかしいのだ。
普通、隠し事がある場合、より普段通りに、おかしな点が目立たぬように行動しようとするのが人間の心だと日陰は感じていた。その普段通りが貫けず、少しの破綻から嘘がばれていくことが多い。
(まっ俺の今までの経験上だからな、王族のような特殊な人間たちには当てはまらないのかもしれない)
そう思いながらも、なにかが引っかかる。
引っかかる時は、徹底的に気の済むまで調べることを日陰は信条にしていた。
玉雨王子…玉蘭と言ったほうがいいのか?彼はいまだに王子のまま、宮殿の寝所から出てこない。これほどの長期間、姿を見ないことは初めてだった。
いや、もしかすると自分の意思では出てこれない可能性もある。玉雨王子ではないことがばれて、幽閉された…
取り留めなくそんなことを考えながら、日陰は遠眼鏡で『水ノ国』の宮殿が見える岩山の窪みに身を潜めていた。
時々日向が食料や、暖をとる為の熱石(ねついし)を運んできてくれる。
熱石とは、火で熱くした石を燃えないように加工されている布で包んで、体を温める道具だ。
昨日『木ノ国』からの使者が早馬でやって来た。
それに対し『水ノ国』はすぐさま返答したようだった。
それぞれの使者が携えた書状の内容は『木ノ国』からの書状の内容は見当がついたが、『水ノ国』が出した返答は見当もつかなかった。日陰は国に残っている仲間からの文を待つしかなかった。
干し肉を引き千切りながら思い出す。
あの日は日陰にとっても忙しい一日だった。
『水ノ国』から王たちよりも一足早く、証拠の手形書を持って早馬で国を出たのが、経栄(きょうえい)という、頭が切れ、その上忠義の厚い男だったことが日陰には幸いした。
馬が走れないと見切りをつけるやいなや、狼煙(のろし)で鳥使いを呼んだのだ。
仲間たちを各地点に配置しておいたことも正解だった。
配置した本当の目的は『水ノ国』の一行の様子をつぶさに確認する為だったのだが、鳥使いは見事な鷲(わし)を一匹連れてきて、なるべく小さく折りたたんだ証拠と書状を木の筒に入れ、鷲の足にくくりつけた。
そこから、各地点の密偵たちが鷲に餌をやり、夜目がきかない間は休ませたりしながら、なんとかあの瞬間に日向に証拠と書状を持って行かせることに成功した訳だった。
(しかし綱渡りだった。天候が悪ければ鷲は飛ばせなかったし、鷲の足から証拠と書状が落ちることだってあったわけだ…。もっとも警戒していたのが『水ノ国』の密偵たちも各地におり、鷲を奪われてしまうことだったが、思ったよりも警戒が薄かったようで、鷲が襲われることもなく、私たちは日常的に鳥使いから鳥の扱いを教えてもらっていたことで、まるですべてがあの日の為にと言っても良いくらいに、無事証拠が届くことが前提であったがごとく成功したことは、奇跡と言っても言い過ぎではない)
日陰は、今でもあの日のことを思い出すと、己の体の臓物がきりきりと痛んで、体がすっと冷えるような感じがするのだった。
(もっと確実な方法をとれるように、もっと色々な筋道を考え、もっと迅速に、行動出来るように鍛錬しなければならないな)
日陰は、そう紅姫に心の中で誓ったのだった。
紅姫といえば、国を出る前。
日向が馬にまたがっている日陰を呼び止めた。
「兄さん!」
二人は双子だったが、少し先に産まれた日陰が兄ということになっていた。
「ん?」
「姫様には会わなくていいのかよ」
「あぁそのことか。うん。まぁな」
「なんだよ、そのはっきりしない返事は!…今こそ会ってやるべき時じゃないのかい」
双子だけに日向は日陰とそっくりな容貌であり、ぐりぐりとした大眼(おおまなこ)で見つめられると、日陰でさえたじろぐような迫力があった。
「ふふふ。いつもは姫様にどっちかと言えば冷たいのに、今日は随分とやさしいな」
「別に。冷たいとか、やさしいとか、仕事なんだよ関係ないだろ」
照れたのか、ぷいっ、とそっぽをむく日向。
「………、一人で耐えなきゃいけないこともあるんだよ。日向。わかるだろ」
「そりゃそうだけど、今日は、ちょっと事情が違うと思うけどな…」
「俺が姿をあらわすのは、どうでもいい時と事が終わった後だけだ」
日向は兄の日陰をじっと見つめた後、頭をぼりぼり掻き毟った。
「…そうか。わかった」
「ほら、行くぞ!!」
「うん」
日向は素直に自分の馬にまたがった。
こうして、日陰と日向は人々が流を追っている間に『木ノ国』を出たのだった。
人前にさらしてしまった日向をこの国に置いておく訳にもいかず、普段から侍女に紛れ込ませていた桔梗(ききょう)に書状を門の外から持ってきたのは自分で、書状は月影様の配下を名のる者から預かったと言うように指示をしておいた。後は月影殿が上手くやってくれるだろう。
正直、日陰には後ろ髪を引かれる想いはあった。
(会いたい。会って、その心についた傷を私にぶつけてくれれば、少しは紅姫様も癒されることであろう…)
だが、だめなのだ。今の俺にはやるべきことがある。
日向をひとまず隠すこともそうだが、これは予兆だ。嫌な予感がする。
心のままに動かず、やるべきことを優先し行うこと。それは即ち、最後には紅姫様の為になる。日陰は想いを振り切り馬を出したのであった。
そして日陰のもう一つの心残りと言えば、金剛と一緒に飯を食うことが叶わなかったことだった。
『水ノ国』へ向かう道中、日陰の脳裏に浮んでは消える思い出があった。
寒さが酷く気を抜くとまぶた落ちてくる。後ろを走る日向に気を配りながらも、時々、はっと我に返る瞬間があった。
(あぶない、あぶない)
これはそんな、夢とうつつを行ったりきたりしている最中に、日陰の脳裏に浮んできた、紅姫様との出会いの場面。
『あれは俺たち双子が十一歳か十二歳の頃だった。やはり『木ノ国』の密偵をしていた父と母はいつも家にはおらず、俺たちは、ばぁちゃんとじぃちゃんに育てられていた。
確か季節は春だったから『冬の殿』から『夏の殿』への『神移り』の途中だったのだろう。
俺たち二人は『神移り』をよく見たくて、木の上から、ばれないように行列を見ていた。
その時、あれはなんのはずみだったんだろう?それは忘れたが、日向が行列の上、白梅貴妃と白姫が乗り込んでいた馬車だっただろうか。その馬車の上に、こともあろうか木の上から落ちたのだ。普段から身のこなしを鍛えていた日向は、怪我こそは負わなかったが、たとえまだ子供の範囲に入る年齢といえども『神移り』の行列を止めたのだ、日向は刀を抜いた武官たちに取り囲まれた。
嘘か本当かはわからなかったが、『神移り』の行列を年貢の陳述の為に止めた男が切り捨てられた話、足の悪い老婆が道端で動けなくなり、やはり行列を止めた為切り捨てられた話、それらの話が一瞬のうちに俺の脳裏を駆け抜けた。
「おにーちゃん」
日向の悲鳴に、俺も日向のもとへ飛び降り日向を抱きしめた。
(切り捨てられる!!)
俺は初めて死の恐怖を強く感じた。
「またぬか!!」
その時、俺たちの目前の馬車から、女の、それも子供の声が聞こえた。
今までに聞いたことの無い、涼やかではりのある、力強い声音だった。
なぜか俺はその声を聞いた時、助かったと思った。
体中に張り詰めていた緊張が解けていくのが、はっきりとわかった。
馬車から出てきた侍女が、刀を抜いている武官たちへ告げた。
「姫様が“これから、われが通る道を血で汚す気か”とおっしゃっております」
武官たちは刀を下げた。また馬車に入った侍女が戻ってきて続けた。
「“それにまだ幼いではないか。責任はわれがとる。かまわぬ脇によけ進め”と」
武官のたちは心なしかほっとした表情で俺たちを抱え、行列から遠く離れた、人垣の切れた道端へ放り投げた。
「これからは気をつけるんだぞ」
俺たちは答える余裕もなく、ただ呆然としていた。
しばらくの間、馬車と馬車の間で人が、行ったり来たりしていたが、行列は進み出し、そして過ぎ去っていった。
近所の誰かから聞いたのであろう、駆けてきたじぃちゃんとばぁちゃんにしこたま怒鳴られ、抱きしめられてから、俺は自分が失禁していたことに気が付いたのだった。
それから俺たちの命を救ってくれたのが、紅姫様という紅梅貴妃様の娘で、まだ五歳の少女であったことも知ったのだった。
日陰と日向の父と母が年老いた為、密偵の任を解かれ、ただの農夫とその妻になった時、俺たち二人は紅姫様の密偵になることを志願した。
初めは父も母も良い顔をしなかったが、もともと密偵は親の跡を継ぐことが多く、その上俺たちが紅姫様に命を助けられた事を知っていたこともあり、しぶしぶ父と母は許したのであった。
しかし実は俺たちは、それほど紅姫に恩義は感じていなかった。
たかが子供が仕出かすことに、あれほど大仰なほうがどうかしていると思っていた。
その考えは今もあまり変わらない。神様っていうものはそんなに血に飢えているかと、今でも疑問に思う。
それとは別に、紅姫に仕えだしてから、俺たちは…特に俺は紅姫様の政(まつりごと)への考え方、行動力に心酔していったのだ。
ある時、行列を止めた出会いについて、俺は紅姫様に覚えているかどうか聞いてみたことがあった。
紅姫様は意外なことにしっかり覚えていて、その時の少年が日陰であることにとても驚いていた。そしてその時のことをこう言った。
「行列を止めただけで死罪とは、子供であろうと大人であろうと実に馬鹿馬鹿しいと思っていた。あの時は従者の手前、血で汚すななどと格好をつけたが、その実は今までのくだらない慣例をぶち壊してやりたかったし、そんなことで人の命を奪う神などあってはならぬと私は思うのじゃ。私の考え方はおかしいかのう?」
今より幼かった紅姫様はちょっと自信なさげに言ったが、それはまさに俺の考え方と同じで、その日から俺はより紅姫様を慕うようになったのだった。
雪道の中をなんとかたどり着き、今は『水ノ国』の岩山の窪みに身を潜めている。
数日前から『鉄ノ国』(かなのくに)からの使者がよくきている。
『水ノ国』は『鉄ノ国』と強く繋がっている…というより、『鉄ノ国』の配下にあるといってもいいだろうと日陰はみていた。その辺が今回の『木ノ国』での偽王子の件と繋がっているように日陰は思えてならなかった。
『鉄ノ国』の支配者は、あれはただ者ではない。
独裁的で粘着質。自分がすべてを支配していないと気の済まないような男で、その気性の激しさに王の身内たちでさえも戦々恐々としていると聞いたことがある。
(『鉄ノ国』へ潜ってみるか…)
日陰は漠然とひらめきで、そう思った。
しかしそのひらめきこそが、正しく、正しいが故に、悲劇の幕開けになることを、この時の日陰は知る由もなかったのであった。
今回も読んでいただけて嬉しいです。どうもありがとうございます。
ずいぶんと爽やかな季節になりました。緑に囲まれる公園などに行くと
とても気分が落ち着きます…良い気持ちなのですが、ぼんやりベンチに
腰をかけていると、年をとったなぁとも思います(笑)
次回は5月30日金曜日15時に『紅梅、白梅~春の宴~』(仮)の
掲載を予定しております。ではまた。




