宴の後~月影と紅姫~
月影は処刑台の上に向かい、一歩、また一歩と階段をのぼる。
その先には、沈痛な面持ちで斧を持った金剛が立っている。
『木ノ国』では、罪人の処刑は公開されていない。
皇族、政務官、武官の一部の人間には、処刑に立ち会うことが許されている。
立会人観覧席には、白姫、紫雲、義侠(ぎきょう)がいた。
月影はついに、最後の段をのぼりきる。
金剛は言葉なく、処刑台に月影の体をうつ伏せに固定してゆく。
どうやら首をはねるらしい。
罪によって、刑の方法も変わってゆくのだが。
最後に頭を固定される。
もう月影には、辺りの様子をうかがう事はできない。
処刑台の床の木目と、そこに飛び出ている釘が一本見えた。
金剛が斧を振り上げた気配が伝わる。
あぁ、釘のことを伝えたいと月影は思う。
几帳面な金剛のことだ、飛び出ている釘のことを知れば、おそらく月影の処刑が終わり次第、首を刎ねる(はねる)のと同じように釘を打ち直すだろう。
釘、釘、釘。
はっ
胸がどくどくと脈打っている。
今、月影の目に映っているのは、天井の木目だった。
「夢か…」
月影はまだ激しく動いている胸を落ちつかせる為、大きく深呼吸をした。
さすがに本日の行政報告会は中止にしようと、昨夜のうちに紅姫の政務官たちから声が上がったが、目覚めた紅姫にそのことを告げると、紅姫は心底、中止にする意味がわからないといった顔で一言「普段通りに行う」と言い、結局定例の報告会は行われる予定になっていた。
未遂で終わったとはいえ『水ノ国』の王に、言うなれば、だまされ、偽の王子と契りを結ぶところであった上に、その男が死んでいくさまを目撃したというのに…あまりにも紅姫はいつも通りに見え、周囲の者のほうがいたたまれなくなってしまっていた。侍女の桂はよほど心労が大きかったのか、まだ床に伏せっているというのに。
月影には桂の気持ちがよくわかった。
昨夜、大の字になり月影の行く手を阻み、止めようとした桂。
(それに比べ、紅姫様はさすが器が大きいというのか…お強いというのか…鈍感であるというのか…)
拍子抜けした月影も、紅姫に習い、いつも通りに井戸の水を温めてくれた湯で顔を洗いながら、紅姫について想いを廻らしていたのだった。
月影は朝飯を食い、朝一番に呼び出された黄玉帝の指示に従い、政務室にて昨夜に起きた一件について『水ノ国』の王宛てに、抗議の文(ふみ)をしたためていた。
黄玉帝は酷く疲れているように月影には見受けられた。
一通り今後の『水ノ国』に対しての指示を出した黄玉帝から、玉蘭についてたずねられた。
「よく、あの者が偽物の王子だと見抜けたな…」
「あっはぁ…わたくしはなにも…」
褒めの言葉にいたたまれなくなり、つい本音が出てしまう月影。紅姫の密偵である日陰が裏で動いてくれたおかげだったのだが…
「謙遜ぜずともよい。それぞれが、それぞれに人脈という武器を抱えておる。詳しくは聞かぬが、そなたは良い武器を持ったな。今度の一件、心から感謝するぞ」
「もったいないお言葉を」
なんとも月影は決まりが悪かった。
一時は紅姫との心中までも頭に描いたのだ。
「………これからも紅(こう)を頼む」
その言葉に、月影はどうしても『はい』と答えることができず、そそくさと帝宮(みかどみや)を後にしたのであった。
政務室に戻りながら、日頃は紅姫に対して淡白な黄玉帝とは思えない、紅姫に対しての慈愛溢れる言葉に月影は少し意外な気持ちになった。
(私は黄玉帝様の紅姫様への思いを少し誤解していたのかもしれない…)
そんなことを考えていると、前方がざわざわと騒がしくなった。
政務室の隣にある武官部屋から、朝方戻ってきた、昨夜出て行った捜索隊の一行が、さらに報告の一仕事を終え、各自の部屋へ戻るところであった。
その中には義侠の姿もあったので、月影は声をかけた。
普段は精悍なその顔にも疲れが滲み出ていた。雪道、それも夜ときては、さぞやしんどい事であったろう。
「どうだった?」
「あぁ。人が雪を漕いだ跡は確かにあったよ。森に向かって跡ができていてな。森に入った後は、木々を渡って歩いたのか…東西南北、人が歩ける範囲では森から先、足跡は消えた。一体どうやってあの森を逃げ出したのか…もしくは…」
「まだ、森に留まっているのか…うーん。流だと思うか?」
義侠は笑いながら答えた。
「流しか考えられないだろう。今、第二編隊が森を検索しているが…、冬の森ではくまなく探すということは無理であろうな」
「そうか。残った『紡ぎ人』候補たちは真実を述べたと思うか?」
「今の所は、特に疑うべき点は確かに見当たらない。しかし…盾だと思っていた物が、まさか雪の坂を滑る道具とは思いもしなかった」
「私も『紡ぎ人』候補たちに話を聞いてみて良いかな?」
義侠は頷き、疲労で重くなった足を引きずるように自室へ向かったのであった。
足取りが重いのは月影も同じであった。もっとも義侠は体の疲労から、月影は精神の疲労からであったが。
今回の一件、今、考えてみると、康徳雨王(こうとくうおう)が早々に帰郷したのも、后(きさき)の水仙が来訪しなかったことも、すべてが万が一を考えてのことに違いなかった。そう、連れてきた王子が玉雨王子ではなく、玉蘭だということがばれた時のことだ。
先程から康徳雨王への文(ふみ)をしたためていたが、いっこうに筆が進まないばかりか、書き損じでばかりで考えがまとまらない。
(どうせ、こちらの宮殿にも向こうの密偵が何人か入り込んでいるはず。玉蘭の本当の身分がばれ、殺害されたことは一足早く王の耳に入るはずなのだから、こんなに迷わなくてもよいものの…)
昼の行政報告会までにはなんとか書き上げなければと、月影は大きくため息をついた。
定例である行政報告会では、なんとか書き上げた『水ノ国』への抗議文の書状の文面を読み上げ、異がある者、書き足すべき点がないかを補助官も交え確認し、修正するべき点を書き直した物を、黄玉帝に届け、そこでまた、大臣、副大臣、皇玉帝の政務官の皆で確認後、その抗議文には黄玉帝からの文も付け足すことになっており、それから早急に馬を出すことで決まっていた。
定例の報告会も終わり、政務官たちが政務室へ戻ったところを見計らい、月影は紅姫に声をかけた。
「わたくしはこれから、残った紡ぎ人候補の二人、えーと、確か鉄火と浮雲とか申しましたな、その二人に会って話を聞いてみたいと思っておりますが…」
「わたしも同席したい。ここへ連れてくるとよい」
月影が話し終える前に、紅姫は言った。
おそらく、そうなるだろうと予想していた月影は驚きもせず、衛兵に二人を呼んでくるように申し伝えた。
「そうじゃな、あと白蓮も同席させたい」
紅姫の言葉に、衛兵は振り返り、了解の意味である一礼をすると駆け足で紅宮の皇座室から出て行ったのであった。
皇座には紅姫、その階段下には月影、向き合うように白蓮に連れ添われた鉄火と浮雲がいた。赤宮への出入り口番の衛兵が二名、『紡ぎ人』付きの衛兵も二名、計四名の衛兵は出入り口側に並んでいた。
「昨日も武官部屋のほうで話したとは思うが、今一度、今まであったことを話して欲しい」
月影がそう述べると、浮雲と鉄火は顔を見合わせ、今回の流について、流が語った『紡ぎ話』や、流が逃げ出す時の状況を鉄火が話し出した。
事実報告は鉄火のほうが得意だと言うことが、昨夜、武官たちに今まであったことを話している時に、お互い認識した。浮雲はどうも話を誇張してしまう傾向があるのだ。
鉄火が一通り話しえると、紅宮の皇座室は静まり返った。
だれも一言も発しない。
それもそうであろう。もし流の『紡ぎ話』が本当ならば、人身御供(ひとみごくう)として『木ノ国』に連れてこられ、偽者として殺された玉蘭という男が、実は本物の王子であり『水ノ国』の王も后も、この話を知らぬ者は全員、玉蘭を玉雨王子として育て、今もぬくぬくと国交を断ち切られてでも守られている男が、実は王家とはなんの関係もない玉蘭という男なのである。
「…実にややこしく、誰にも利が発生しない話であるな」
白蓮の言葉は、この事件の芯を上手く捉えている言葉であった。
紅姫は少しも表情が変わらず、なにかを考え込んでいるように見えたが、その中ではなにが渦巻いているのか、月影には図ることはできなかった。
月影は『紡ぎ人』候補の鉄火と浮雲に向かって言った。
「正直、君たちは現在あまり良い状況には置かれてはいない。『水ノ国』の出方によるが、完全に無罪放免になるまでは、あまり変な動きは見せないほうがいい」
もし、本当にこの件に関係が無かった場合の二人に対しての、月影からの助言であった。
鉄火と浮雲は跪き(ひざまずき)、皇座室から出ようとした時だった。
「そち、鉄火とか言ったな」
「はい」
紅姫が鉄火を呼び止めた。
「そなた…どこかで会ったことがないか?」
「そんな恐れ多い。わたくしが遠目に姫様の姿を拝見することはあっても、その逆はありえません」
「そうか…そうだな」
紅姫はあまり納得していないようだったが、二人は衛兵付きで解放されたのだった。
「この話は武官長のほうから黄玉帝様に、伝えられたと思います」
「そうじゃな、伝えぬわけにはいかぬであろうな」
「はい」
月影は、しゃらりと鳴った紅姫の耳飾りの音で、紅姫が頭をかしげたのがわかった。
紅姫は鉄火の話を聞きながら思っていた。
(王子だと思っていた男は、偽物だと告発され、目の前で殺されたかと思えば、実は本当の王子であって………疲れた…)
紅姫は、昼から本当は今すぐにでも、この場から逃げ去りたいという思いを押し殺して、ずっと皇座に座り続けていた。
昨夜も結局は一睡もできなかったが、無理やり立ち上がり、今も皇座に座っている。顔色が悪いことを見破られないように、いつもはしない化粧を厚く施していた。
(しかし、私は皇女なのだ。私が伏せれば皆の気力も伏せることになる)
これは紅姫が祖父から常日頃言われていたことであったし、今こそ、実行の時なのだと紅姫は思っていた。
(大きな事が起こった後は、一時は、皆、気力を失い休みたいと思うが、そこをいつも通りに営むということが大切なのだ。一度ゆるんだ紐を張り直すほうが難儀であることは、言うまでもない)
紅姫は泣きそうな心を抑え、心で叫ぶ。
(日陰…日陰。日陰。日陰。褒めてくれるか?ここに座っている私のことを)
読んでいただきまして、誠にありがとうございます。
前回振った、予告に対し少々話が小粒になってしまったこと
申し訳なく思います。
この先、何部分かにわたっての予告と捕らえていただけますと
非常にありがたいです。よろしくお願いいたします。
次回は「決意」(仮)を、日時の予告が出来ずに、またしても
申し訳ないのですが掲載を予定しております。
よろしくお願いいたします。
あと、予告なしで掲載しました、三十一部分はご覧になって
いただけましたでしょうか? まだの方はぜひ、短い話ですので
ご覧になっていただけましたら嬉しいです。ではまた。




