宴の後
『木ノ国』の宴会の為に一部屋に集められた『紡ぎ人』候補の三人。宴席から
呼び出しがかかるまで、暇をつぶす為に『流』の『紡ぎ話』を聞いていた、
鉄火と浮雲。その話が終わった頃、ちょうど良く戸が叩かれたのであった。
花弁(はなびら)が舞い落ちるようなやさしい香(きょう)の音色から一転、炎でその身を焼き尽くさんばかりの激しい情熱的な太鼓の音に合わせ、人の輪の中央舞台では、異国の舞手(まいて)がなんとも官能的な動きの踊りを披露していた。
「これはなかなか盛り上がっているようですね…ねぇ浮雲さん」
大広間は歓喜と熱気に包まれていた。
「ん?」
鉄火から話しかけられた浮雲が返答した。
「俺も、ここで話すのはちょっと荷が重い。…お願いします」
浮雲はなにも答えずに、ちょっと笑うと、鉄火の胸を拳でトントンと叩いた。
まかしておけの合図と鉄火は受けとった。
さすがに浮雲は場慣れしているようで、むしろ広間の雰囲気を楽しんでいるようにさえ、鉄火には見えた。
(なるほど、これが本職の凄さか…)
事実、浮雲は楽しくて仕方がなかった。
こんな大舞台は久しぶりであり、血がたぎるような興奮の中に心があった。
鉄火と流はいつの間にか、浮雲に隠れるように、宴座の後ろの方に腰を下ろした。
異国の舞手は『木ノ国』の貿易政務官が連れてきた一座のようであった。
貿易政務官たちは周りよりも、より舞手に近い位置で歓声を上げている。
黄玉帝と大臣、副大臣は特別に設えられた、壇上から舞を見物しながら、杯を交わしていた。祝い酒の為か、いつもより酒が進むようで、黄玉帝は今まで人に見せたことがないくらいの顔の赤さであった。
激しさを増していく太鼓と香(きょう)の音の後に銅鑼(どら)が鳴ると、高く舞っていた舞手が地べたに伏した。
大きな拍手と歓声が大広間に広がる。
ふと目をやると『楽流』の一団が楽器の準備をしているようなので、『紡ぎ人』の出番はまだのようだった。
行灯(あんどん)の柔らかな明かりが点在し、酒と肴(さかな)で、ほろ酔いの人々は皆、幸せそうに見えた。暖かさもちょうど良く保たれている。
鉄火が暖炉を見ると、確か金剛とか言う男が、薪を慎重にくべているのが鉄火の目に入った。ああいった真面目な男が一人いてくれるお陰で、この場所は心地良くなっているのだが、一体この場にいる何人が、金剛に気が付いていることか…
いや、気が付かれずに空間に溶け込んでいることも、いい仕事をしている証なのかもしれない。鉄火はそんなことを金剛の仕事ぶりを見ながら、ぼんやりと考えていた。
その時、一人の従者が広間に飛び込んできた。
確かあれは、そう、白蓮の従者の一人ではなかったか…?鉄火は目を見張った。
そして金剛を見つけた従者は、駆け寄り話しかけると、金剛と従者は共に広間から足早に出て行った。
…良くない兆し…
鉄火はそう感じた。
隣を見るといつの間にか流が衛兵と共に、広間からいなくなっている。
「あれ、流殿は?」
「便所に行ったよ」
そう答えた浮雲は、今度は楽流の優雅な音色を楽しんでいるのか、手拍子を打ちながら、回ってきた祝い酒にほろ酔い加減になっていた。
しかしほろ酔い加減ながらも、場に自分を馴染ませていくのが、浮雲流の精神統一のやり方だった。
鉄火も酒を勧められたが、少し口を付けただけで、杯をすぐに床に置いた。ザワザワと胸の奥底から湧き上がってくる不安。
しばらくしても、金剛も流も姿を見せない。
「俺も便所に…」
鉄火が付いてきていた衛兵に言いかけた時、楽流の音がピタリと止み。変わりにざわめきが広がり、そのざわめきが怒号に変わっていった。
酒が入っているとは思えない素早い動きで、まず大広間から飛び出して行ったのは、武官たちだった。
その後を衛兵、政務官たちが追って出て行き、広間には、黄玉帝、大臣、副大臣、お付の政務官と従者たちが残り、事情に詳しそうな衛兵から、報告を受けているようだった。
鉄火と浮雲についていた衛兵は、どうしたものか迷っていたようだったが、兵たちは御寝所に集まっているらしいという情報の元、御寝所へ向かうことにしたようだ。
衛兵の「一緒に来い!」の声と共に、浮雲、鉄火も広間を飛び出した。
「言われなくても、こんな面白そうなことを実際この目で見られるとは!」
浮雲が興奮気味に言った。
鉄火は、衛兵と共に便所にたった、流のことが気にかかっていた。
「すみません!」
「なんだ!?」
足を止め振り返る一同。
「流と、付いていただいていた衛兵の方の姿が先程から見えません。この騒ぎと関係が無いといいのですが、一度便所へ寄ってみたほうがよいのではないかと…」
二人の衛兵は顔を見合わせ、
「よし、便所へ行ってみよう」
そうして鉄火、浮雲、二人の衛兵は便所へ向かうことになったのだった。
「特に…異常はなさそうだが…」
大広間から一番近い、だだっ広い便所の中を、衛兵と鉄火が見て回る。浮雲の方は便所入り口の外で、衛兵と一緒に辺りの様子を見回っていた。
鉄火は、大便用の個室を一つ一つ開けていった。
がっつん。
「!?ここだけ開かない…もし、もし」
返事もない。
様子を見ていた衛兵が便所の戸に手をかけ、よじ登ると…
「おい!!東陽(とうよう)!おい!!」
おそらく流に付いていた衛兵なのだろう。
その声に外にいた二人も便所の中に入ってきた。
衛兵は個室の中にするりと降りると、中から戸を開いた。
東陽と呼ばれていた男が、ぐらりと倒れ出てくる。
「気を失っている…のか?」
浮雲付きの衛兵が、東陽を支えながら脈の確認をしている。
「脈はある」
「流は…」
鉄火は流から『紡ぎ話』をする前に感じた不穏な空気が、実体をおびていっていることに、苦々しさで胸がふさがれる思いであった。
浮雲に付いていた衛兵は、東陽をおぶり、医療を施す部屋に連れて行った。
私たちと一緒に医療部屋に行くようにと浮雲付きの衛兵に促されたが、二人は断り、鉄火付きの衛兵と行動を共にすることを、鉄火も浮雲も選んだ。
衛兵は初め、鉄火と浮雲を連れて行くことに迷っていたが、流と親しい間柄にあるこの二人が役に立つかもしれないと考え、鉄火に付いていた衛兵は、浮雲と鉄火の二人を連れ遅まきながら御寝所へと走った。
「しかし、一体何が起きているっていうんだい!」
浮雲が叫んだ。
「わからないけど、流殿が関係していることは間違いないだろう」
鉄火はもっと早くに便所へ行ってみるべきだったと後悔していたが、後悔先に立たず。
今は流を追い、出来ることを行うのみだけだった。
寝所へ近づくと、奇声と共に、人の波が後ろに向かって押し出されてきた。
「やや、何事!?」
遠巻きに確か玉雨王子とか呼ばれていた男が、首を押さえて倒れ込んでいく姿が見えた。
そばには紅姫の政務官の姿も見える。
と、鉄火が思ったその時。
人の波の一番後ろの方に、ぽつんと一人、身を前に倒している…、お辞儀をしている流の後ろ姿が見えたのだった。
おかしなことに、背には板がくくり付けられている。
「おい!!あれは…」
浮雲が絶句した。
鉄火も何度も頷いた。
あれは、ついさっき聞いた、流の『紡ぎ話』に出てきた『密偵でもある暗殺者』の姿そのものだった。
くるりとこちらを振りかえり走り出した流に、下級の衛兵たちは道を開けてしまっていた。
鉄火付きの衛兵も、浮雲も廊下の壁に背を付けていたが、ただ一人廊下に立ち、流の行く手をふさいでいた男がいた。鉄火であった。
「馬鹿!逃げろーーー」
浮雲が悲鳴のような大声を上げたが、鉄火は動かなかった。
動けなかったわけではなかった。動かなかったのである。
今、鉄火に出来ること、それは…
なんとしても流をここに食い止めることだと鉄火は考えていた。
(頼む!行かないでくれ!!流殿!!)
流は、今まで見ていた人物とは同じ人間とは思えない、邪悪そのものの表情で、口が裂けているのかと思うほど笑うと、止めようとする鉄火の足を軽く払い、首に一太刀手刀(ひとたちしゅとう)をいれると、白宮へ向かって走り抜けていった…
ぐらりと膝から崩れ落ちる鉄火。
「おっおい!大丈夫か?」
浮雲と衛兵に助け起こされた鉄火は呆然となっていた。
「しっかりしろ!!」
浮雲の大声に、はっと我に返る鉄火。
「何が起こったのか…わからなかった…ててて、首が痛い。どうしてだ?」
「ったりめーだろ!!どうしてだ?じゃねーぞ。殺されちまったのかと肝が冷えたぜ…」
鉄火を抱きかかえるように、浮雲も崩れ落ちたのだった。
「ゆっくり休め…」
そう二人に言葉をかけると衛兵は戸を閉めた。
衛兵は今夜も付くが、いつもとは違う者が戸の前に立っていた。聞いた話では東陽も、気を失っていただけらしい。
「まさか流殿が、暗殺者だったとはなぁ…」
暗闇に浮雲の声が悲しげに響いた。
ガバッと浮雲が布団から跳ね起きたのが、暗闇の中でもわかった。
その気配に鉄火も起き上がり、行灯に火を入れる。
「あの話って…」
浮雲が真っ青な顔で鉄火を見た。
「流殿、いや流の実体験だった可能性がありますね…」
「うわっ。こりゃ大変な話を聞いちまったなぁ~」
浮雲が頭を抱えた。
「そういや、なんでまた、あんな命知らずの行動をとったんだよ。あの時の流殿は凄まじい殺気を放っていたっていうのに、鉄火さんはよぉ」
「…もし、流殿、いや流の話が本当なら『雪滑り』は命がけの逃走になるだろ…死んで欲しくないと思ったんだ」
「そうか。なるほど…でも、王子様殺しじゃ、どっちにしても死刑は免れないだろうな…あぁ。どうしようかねぇ。あんな話とても俺たちの胸の中だけに、おさめてなんておけないよ」
浮雲が頭を抱えたまま、さらに小さく屈んだ。
(確かに…二人の胸の中だけにおさめておくには大きい過ぎる話だ………!?)
鉄火の顔色が変わった。
「…なんで気が付かなかったんだろう!!」
と、言うやいなや寝床から飛び出し戸を叩いた。
「どうしんだ?」
「なぜ、あんな話を俺たちに聞かせたのか」
「へっ?」
「俺たちが共犯者だと思われない為に、ええぃ!要は言いつけろということなんですよ」
「???」
浮雲は、まだポカンとしていたが、戸が開き衛兵が入ってきた。
「何事か?」
鉄火が簡単に事情を説明すると、みるみる衛兵の顔色が変わった。
「一緒に武官室へきてもう」
そうして、まるで二人も罪人のごとく引っ立てられたのであった。
武官室では散々、強面(こわおもて)の面々に何度も同じ話を聞かれた後、やっと自分たちの部屋に戻ってこられたのは、夜もかなり更けた頃だった。
浮雲は大きなあくびをし、ぼんやりとした顔で寝床に腰をかけた。
まるで今日一日が夢うつつの中にあったように浮雲は感じていた。
「でも、浮雲さんが気が付くきっかけをつくってくれたお陰で、共犯者でないと、なんとか信じてもらえましたよ…」
二人の話を聞いた武官たちは、急遽、捜索隊を編成し、夜の雪山へと出て行った。
「ん?そうなの?…そうかい」
浮雲は今にも布団に倒れこみそうだった。
「今晩のうちに早急に流殿…流の話を聞かせたことは、大きな意味を持ちます。明日の朝ではこうはあっさり開放されなかったでしょう。確かに俺たちは三人きりでいることも多かったし、なにか知っていると思われても仕方がない状況でしたよ…へたをすれば牢屋で拷問をうけるはめになったかもしれません」
と言っても、完全に疑いが晴れたわけでもないであろうことは予測がつく。しかし、これ以上、疲れきっている浮雲に鉄火は心労をかけたくなかった。
「それは…良かった。しかし、」
「はい?」
「俺はもう眠い。限界だ」
浮雲は人形のように布団に倒れこむと、そのままぐぅぐぅと寝息をたて始めた。
鉄火はそんな浮雲を見たことで、なぜか心がほっと緩み、布団も掛けずに眠ってしまった浮雲に、そっと布団を掛け、自分も寝床に入り行灯の炎を吹き消したのでした。
しかし鉄火は、興奮のせいなのか、疲れ過ぎた為なのか、なかなか寝付かれなかった。
(はたして流は、生き延びたのか、死んだのか…)
鉄火の脳裏には、雪に埋もれ、冷たくなってゆく流の姿が浮んだのであった…
今回も読んでいただきまして、誠にありがとうございます。
世はGWですが、特に予定も無く図書館で本を借りてきました。
次回は5月9日金曜日15時に「疑惑」(仮)を掲載予定です。
月影が!紅姫は!一体なにがおきるのか!
どうかお楽しみにしていただけましたら、嬉しいです。ではまた。




