月影と『財ノ国』
玉雨王子と紅姫の御寝所へ踏み込んだ月影は窮地に立たされるが、
一人の侍女が持ってきた書状と手形書により、立場は逆転し、ここにいるのは
偽の王子であり、玉蘭という男であることを証明する。ところがその玉蘭は、
『紡ぎ人』候補だったはずの流に命を奪われたのだった…
玉雨王子…いや『玉蘭』。彼が『紡ぎ人』候補であった『流』に殺された夜は『冬の宮』建設以来の騒ぎであった。
「逃げられたぁ馬鹿者!!!!!!」
武官長、衛兵長の、地獄の鬼のほうが、まだやさしいのではと思われるほどの怒号が、空気さえも凍りそうな庭園に響きわたった。
流は赤宮から白宮へ突っ切り、警護の手薄だった白宮の窓を体当たりで割ったかと思うと、庭園に転がり出て、里とは反対の断崖絶壁に向かって走り、崖下に飛び降りたのだった。
これには、衛兵たちも武官たちも口を開けたまま見ているしかなかった。
衛兵長の「お前たちも飛べ!!」のむちゃな怒号に、衛兵たちは、ただ身をすくめ、寒さに震えながらうつむいているしかなかったのである。
武官の一人が追いついてきた月影に「これは、かなり下見をされていたな…」と言った。
話すだけで、空気の冷たさに呼吸が苦しくなる。
『紡ぎ人』には常に衛兵をつけていたが、流が庭園で一人、雪を見ていた日のことを思い出す。
「内部に協力者がいた可能性もある」
別の武官が背後から、もっとも考えたくない可能性を指摘してきた。
「まぁこれ以上の追跡や、流の行動調査はこちらの仕事だ。月影、お前さんには他にも仕事があるだろう」
武官時代に仲の良かった義侠(ぎきょう)という、一歩間違えば山賊にでも間違われそうな強面の大男に言われ、月影は断崖絶壁を見つめながら、これから自分のなすべきことを考えていた。
「義侠、一つ願いがあるのだが…」
酒臭い政務室は、流は取り逃がしたものの、紅姫様がご無事だったことに、政務官同僚たちが月影に惜しみない賛辞をおくっていた。
「いやぁお手柄お手柄。月影。お前はやはり私の見込んだ男だ」
酒の勢いもってあってか、月影を抱きしめた樹桂は泣き出さんばかりだ。
酒臭い、髭の男に抱きつかれて喜ぶ趣味は月影にはなかったので、樹桂の手をゆっくりほどき「紅姫様のご様子を見て参ります…」などと、もっともらしい理由をつけてなんとか政務室を抜け出すと、玉蘭が眠る御寝所へ月影は駆けた。
扉の開いた寝所の中には、数人の衛兵と、なぜか白蓮と金剛も残っていた。
「あぁ良かった。月影様、この亡骸はいかがいたしましょうか?」
「そのことで駆けてきた。亡骸は手形書と合わせて証拠になる。腐らせたくない。あまり気持ちは良くはないだろうが、なるべく薄い布に包み、氷室の奥の方へ入れておいて欲しい。武官長の許可はとってきた」
慌てて準備を整え始めた衛兵とは別に、月影は政務室から持ってきた朱印用の朱液を玉蘭の死体の手に塗ると、紙に手形を両手分取った。
「これで良しと…この中で一番位の高い者」
「はい。第三部隊衛兵頭(えいへいかしら)です」
「すまぬが、これに署名を願う」
第三部隊衛兵頭は、朱でつけられた手形書に名を書き入れた。
するべきことをして、月影が顔を上げると白蓮が手招きをしていた。
「なにか?」
「少し私の部屋にこんかね」
「いや、紅姫様にお会いし、書状を持ってきて侍女のことなどを…」
「紅姫様は桂が寝所へ連れて行った。今日はもう休ませてあげなさい。わしが説明するから」
「…はぁ」
「さぁ来なさい」
白蓮からの言葉は、いつの間にか命令に変わっていた。
白蓮は月影を部屋に入れると、まず、隣室、周囲に白蓮の従者や侍女たちがいないことを確認し、戸を閉めた。
バタンという戸の閉まる音がするかいなか、
「この馬鹿者が!」
白蓮が歩行補助の杖で月影の頭を小突いた。
月影は返す言葉も無く、驚きのあまり阿呆のように口を開けたまま、言葉を失った。
「いい歳をして己の感情のまま突っ走りおって!あのまま日陰が用意した書状がなかったら、どうなっていたか!!」
(日陰?)
しかし白蓮は月影に質問をする間もあたえず、叱咤(しった)を続けた。
「それでも第一政務官か!!」
あまりの白蓮の憤怒に、ただ口をつぐみ、白蓮の顔を見つめることしかできない月影だった。すると、金剛が白蓮に話かけた。
「白蓮様…」
「ん?」
機嫌悪く答える白蓮。
「僭越(せんえつ)ながら、恋する心に年齢は関係ございませんかと…」
控えめながらも金剛は、はっきりと言った。
以外な金剛の発言に、白蓮も少し気を静めたらしく、
「うむぅ…まぁなぁ………そうじゃな金剛の言うことにも一理あるか」
月影はたかが演芸を職にしている白蓮に怒鳴られ、はっきりと下級の者にかばわれた上に、あからさまに『恋』などと言われたことで、恥ずかしさのあまり顔がどんどん赤くなっていくのがわかった。
しかし、それだけのことを仕出かしたのもの確かであり、今はこの屈辱(くつじょく)を受け入れるしかなかった。
金剛は白蓮が落ち着いたのを見計らうと、
「わたくしは戸の外にて人払いをいたします。今の大声で衛兵が来るやもしれませぬので」
「コホン。それもそうじゃな。金剛、番を頼む」
金剛はうなずき部屋の外に出た。
「金剛に諭されるとは、いや、参った。確かに自分の身分も考えずに発した言葉の数々、月影殿、許していただきたい」
「いえ、こちらこそ、白蓮殿の忠告も聞かず無謀な行動をとりました。その為に危うく身内に討たれてしまうところでした…」
「そうじゃな…そなた本当に日陰に感謝するんだぞ。いつものおまえさんなら、日陰と同じ行動をとっていたはずじゃよ」
「…!!」
(…そうかもしれない。簡単にすべてを信じ過ぎたことが、今回の問題を引き起こした。皇が王と認めたから、その王と一緒の者も王子と決めてかかっていた…)
「そうだ白蓮殿、先程も思いましたが、なぜ日陰がこの話に出て来るのでしょうか?紅姫様直属の密偵であること知っていますが」
「…まず日陰が以前『水ノ国』の王宮に忍んだ時に、本物の玉雨王子を見かけことがあったらしい。この紅姫様の婚儀の話が持ち上がった時、すぐに『水ノ国』に忍ばせていた者に、王宮の様子を探らせ、玉雨王子の様子と玉蘭という男の存在をつかみ…もしかすると玉雨王子の側近だったらしいからな、玉蘭には目をつけていたのかもしれぬが。『水ノ国』の一行(いっこう)が出国する前に、偽りの王子として連れていく男が玉蘭であることを知り、そのことの証明になる手形書を手に入れ、早馬を出したらしいが、馬の調子が悪かったらしくてのう、後は彼らのやり方が色々あるらしいのだが、なんとか間に合わせたわけだ」
「なんと…」
月影は、日陰の手を打つ早さに感心するばかりだった。
「この国に到着した、昨日見た玉雨王子の印象がやはりあまりにも以前と違いすぎたことで、確信を持ったらしいが、なにせ証拠が届かぬからな。日陰は、ずいぶん気を揉んだらしい。仕方なく本来は公の場に姿を現すことはめったにないのだが、日向(ひなた)に直接行かせたようだ」
「あの書状を持ってきた侍女のことですね」
「そうだ。日陰の双子の妹である」
「…」
(穴があったら入りたいとはこのことだ…姫の婚儀に気をとられて、これ程の事がおこっていたというのに、何も出来なかったとは)
月影は虚無にとらわれ、できることならこのまま消えてしまいたいとさえ思った。
「話はこれだけではないぞ。もっと大切な話があってここにお前さんを呼んだ」
「?」
「お前さんは、『財ノ国』に帰りたいのか」
「えっ?」
『財ノ国』は月影の生まれ故郷であった。
「月影。『財ノ国』は『罪ノ国』、罪人(つみびと)の国だと知っていたか?」
月影はなんと答えたらいいのかわからず、その場に立ち尽くした。
「どうやら、初めて聞いたようだな」
白蓮は、椅子に腰掛けるように月影にすすめたが、月影は白蓮の言葉を反芻(はんすう)していた。
(罪人の国…?)
「話さずにすむのならば、黙っていようと思ったが、あそこは代々、罪人の家族、一族が幽閉されている土地なのだ…」
「!!」
「…ということは私も…」
月影は自分の声の震えが抑えられなかった。
「そうだ、お前さんの曾爺(ひいじい)さんの父親にあたる人物が『土ノ国』の、この国で言えば副大臣の位まで上り詰めたらしいのだが、頭の切れる男であったのじゃろうな。自分の娘を利用し、実質的な国の王になろうとしたらしい。娘をまず、王の息子に嫁がせ、それから王と王子を暗殺し、自分の一族から王女になった娘の結婚相手をあてがい、一時期は、ほぼお前さんの一族が『土ノ国』を支配したらしい。当然面白くない者も出てくる。その上のう、当時の王のお后との不義を疑われて…まぁ色々あった結果…」
「死刑になった…と言われておる」
月影の脳裏には、なぜか故郷の山から見える夕日や、田から帰る村人たちの様子が浮んでいた。
「国家侵略の罪も不義の罪も本当に犯したのどうかは、今となっては正直わからん。昔の話であり、口伝で残っていた話だからな。当時の反対勢力の者たちに、はめられた可能性もある。だが、本当に罪を犯した可能性もある。今は可能性の検証しか出来ない。しかし月影。今日のお前を見て思ったぞ。不義はあったのかもしれぬと。曾爺さんの父親と同じ罪を犯してはならんぞ、月影」
崩れるように、椅子に腰をかける月影。
「確かに…あの国の人々はどこか…そう、影があるというか…遠慮して生きているように見えました」
「そうか…」
「しかし、罪人の何代か後の者には恩赦(おんしゃ)があたえられ、『財の国』から出られるのだ。特にお前さんのような優秀な者はな。あの不毛の地に才能を持った者を埋もれたままにしておくのは、もったいないからのう」
「…!紅姫様は、姫様は『財ノ国』が『罪ノ国』だと、私が罪人の末裔であることをご存知なのでしょうか?」
「ご存知じゃ。当たり前であろう。だがお前さんが一番よく知っておるじゃろ?姫様の性格は。そんなことで人間の質を判断されたりしない…」
白蓮が悲し気な笑みを浮かべた。
「頼む。姫様を裏切らないでおくれ。お前さんを頼っておる」
(そなたがおらぬとやはり不安だ)
白い息を吐き出しがら、宮殿の扉前でかけられた、紅姫の言葉を思い出しながら、月影は頭を下げて白蓮の部屋を出たのだった。
扉の外には金剛が律儀に直立不動で立っていた。
「終わりましたか?」
うなずく月影。
金剛に背を向け歩き出した月影に、金剛は跪いて(ひざまずいて)声をかけた。
「紅姫様をどうか、お守り下さい」
月影は天を仰いだ。ちょうど天井絵には美しい天女が光を撒き散らしながら舞っていた。
(あぁここにも、紅姫様を大事に思っている者がおる)
「…金剛、私に本当に姫を守りきれるどうかわからぬ…こたびも密偵の者たちに助けられた。これからはもっと己を鍛えなければならない…」
いつの間にか、月影は金剛に心情を吐露していた。
「殴ったこと悪かった」
そういい残すと、また、足を進めた。
金剛はさらに深く頭を下げた。
しかし、事は思わぬ方向へ進んでいくのであったが、今の宮中は安堵と疲労に包まれていたのであった。
皆様、このたびも読んでいただき、ありがとうございます。
いつも同じ決まり文句なので、たまには違う言葉で感謝を
お伝えたいのですが、なにぶん語彙に乏しくて、お恥ずかしい
かぎりです。
次回は「紡ぎ人候補たちの夜」(仮)5月の2日金曜日、15時に
掲載予定です。
鉄火、浮雲、そして流が、紅姫の婚儀の夜どんな話をしていたのか…
どうぞお楽しみに!ではまた。




