大広間にて
秋が深まりつつあった『冬の殿』も、冬の雪につつまれた。
そして今日は…
紅姫はいつの間にか、大きなため息をついた。
ちょうど、かたわらにいた桂も月影も、その理由は聞かずともよくわかっていた。
その日は大広間にて、皇族全員が集まって催される食事会の日であったからだ。
よって政務官である月影、紫雲ともに同席は許されてはいない。
しかし『紡ぎ人』の白蓮は、場がしらけぬ様に同席を許されていた。
そして『楽流』一番の香の弾き手である、桃歌(とうか)という女性も同席…というよりも、その場にしつらえられた演席にて、香を弾き鳴らしていた。
桃歌は目が不自由だという理由で、いつも顔を桃色の薄絹で覆っていた。 が、それは本人の弁で『鉄木戦争』で顔に酷い火傷を負ったと言う話もあった。
よって年齢も、容姿もあまり他者が知るところはなく、その指が奏でる香の音が、素晴らしく美しいということだけは、認知されていたのである。
食事会はいつも通りだった。
白姫の甘えた声と、黄玉帝のその声に答えるやさしい声音。時折、白蓮が二人の邪魔にならない程度に、季節の話題を入れたり、今日の料理についての話をしたりしていた。
「しかし今年は雪が多いですな」
白蓮が言った。
「そうだな、わしも六十四年この『冬の宮』に居を移しているわけだが、記憶にある限りではこんなに雪が降ったのを見たことがない」
確かに雪に覆われない為に、『夏の宮』からこの『冬の宮』に移るのだが、今年に限っては、この宮にも里ほどではなかったが、雪が舞い降り薄っすらと積もっていた。
「お父様、でも私は初めて間近で雪を見ることが出来たわ。とても綺麗よね。宝石みたいにきらきらしていて。冷たくなかったら一年中降っても良いのに」
わはははは、と黄玉帝は愛しそうに白姫の言葉に笑う。
紅姫は会話にくわわることもなく、魚介類の汁物を飲んでいた。
…この頃の紅姫は、この二人のやりとりに特になにも感じていなかった。心を閉じればいいのだということを知っていた。そう、心を二人にむけず、食事を楽しめばいいのだ…と。
そうすれば、話しかけてもらえない自分をみじめに思うこともなく、話しかけることのできない自分の弱さを恥じることもない…
もう少しで、この時間も終わる…
しかし心を閉じていたばかりに、そんな紅姫をいつも気にかけ、見つめている白蓮や、側に控えていた桂にも、紅姫は気が付くことがなかったのである。
そろそろ食事も終わりに差しかかり、皆、食後のお茶を待つばかりになったその時であった。その日はいつもと違ったのである。
大広間の扉を強く叩く音がすると、大扉が開き、黄玉帝の第一政務官、海松(かいしょう)大臣がうやうやしく一礼をし、「報告があります」と言った。
食事会を中断させてまでの報告とは、余程のことが起きたのであろうと皆の間に緊張がはしった。
海松大臣の後ろには、副大臣の蘇芳(そほう)、月影、紫雲も控えていた。
「なにごとか」
「はっ、先程、紅姫様の領地である田上で大雪崩が発生し、田上の地は人が入れぬほどの雪で埋まってしまいました」
「残っていた住人はいたのか?」
中腰になり、黄玉帝より先に口を開いたのは紅姫だった。
「いえ、すでに十日ほど前には全住人の引越しが終了しており、雪崩に巻き込まれた住民はおりません」
椅子に崩れ落ちた紅姫を桂が支えた。
「…では、良かったではないか。わざわざ食事を中断させるほどのことでもなかろうに」
「はっ、一応大事にて報告に参りました。お食事を中断させてしまい申し訳ございませんでした」
黄玉帝にそう言われると、政務官たちは扉を閉め出て行った。
「良かったじゃありませんの、さすが紅姫姉様。雪崩のこともお見通しとは。占い師にでもなればどうかしら」
「そうじゃ…のう」
紅姫には白姫の皮肉交じりの言葉は耳に入っていなかった。
雪崩… 巻き込まれた住人はいない…
紅姫にはっきりと意識が戻ってきたのは、赤宮の皇女座に腰を下ろし、月影に田上での雪崩について、報告を受けている時だった。
「……少しずつ、地滑りを繰り返し、今年の春の大地滑りで地形が大きく変変わり…このようなことになったのではないかというのが、領地管理官の説明でした」
「…そうか…」
「…紅姫様、大丈夫でいらっしゃいますか?顔色がすぐれませんが?」
紅姫は、月影の質問には答えず、うなずいた。
「このたびは死者が出なかったこと、誠に幸いでした。それも紅姫様のご英断の賜物です」
その言葉に、紅姫は顔を歪ませただけで、返事は返さなかった。
「桂、今宵はもう休む」
そして月影には、ともかく今は何も出来ないのだから、春になるまで田上の地には誰も入らないように指示し、月影の労をねぎらう言葉をかけ、寝所へ向かったのであった。
「桂すまぬが…」
「わかっております」
紅姫がすべてを話し終える前に桂は隠し扉を開き、姫の寝所から出て行った。
いつの間にか寝所に入り込んだ黒い影が、次第に人の形になっていく。
「…のう日陰」
「はい」
「私が田上の雪崩の話を聞いた時に、一番初めに思ったことはなんだと思う?」
「……犠牲者が出なくて良かった…ですか」
「日陰、私を軽蔑してくれ、まず思ったのは『私は正しかった』だ」
紅姫はその細く、長い指の手で、自分の顔を覆った。
「…」
「なにが民の為だ、あの時の私は鬼だった。まず喜んでしまったのだ。雪崩が起きたことを。これで私は間違っていなかったことを証明できた!と。私の勝ちだと」
静かな時間が流れた。カタカタと時折、窓を風が揺らした。
「…姫様、犠牲者は出ておりません」
「…そうだな、犠牲者が出なかったのは…本当に良かったな」
やっと紅姫に笑顔が少し浮んだ。
「そうです。もっと単純に喜ぶべきです。でも、わたくしは…」
「なんじゃ?」
少し、はにかんだ日陰は、
「正義に忠実に生きようとし、ご自分の正直なお心に悩む…そんな人間らしい姫様が好きでございますが」
「からかいおって!」
頬を赤くした紅姫が、枕元の座布団の一つを日陰に投げつけた。
「わっ、ひっ姫様」
幼子のようにべーっと舌を出してみせた紅姫は、ただの十と六歳の娘だった。
一方白姫は、座布団に埋もれながら考えていた。
「邪魔だな姉上は」
これでは我慢して黄玉帝の機嫌をとっている自分が滑稽で、哀れすぎる。
(死んでもらっても別に良いのだが、思ったより姉上には人望がある。不審な死因で宮中が荒れ、姉上の死後、使える者も使えなくなるのは手痛い)
カタカタと窓を風が揺らす。
「そうだ…姉上も良い歳だ。嫁にでも出て行けばいいのじゃ」
皆様、お元気いらっしゃいますでしょうか?
今回の掲載なんとかできました。今回は次回の予告ができて嬉しいです。
次回は、4月11日金曜日の15時に掲載予定です。
読んでいただきまして、誠にありがとうござます。
では、また。




