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宮廷物語  作者: 卯月弥生
第二章 紅姫
16/63

日陰~其の壱~

 その日は霧雨のせいで港町の『磯部』(いそべ)は霞に覆われていた。

 『磯部』は白姫の領土であり、この国の北にある『夏の殿』と南にある『冬の殿』の中間地点から北東側に位置していた。

 日陰(ひかげ)は羽織っていた外套(がいとう)の頭巾〔ずきん〕を上げた。

 年の頃は二十と二、三といったあたりであろうか。大きな目と太い眉が特徴的なのだが、どこか捕らえどころの無い印象をあたえた。「知っているような気がするが…人違いかもしれない…」というような感じと言えばいいのか。体つきは、どちらかというと細身で、風が吹くと飛ばされそうだった。

 日陰は久しぶりに『木ノ国』に帰ってきた。

 思い切り空気を吸った。船という閉塞された空間から開放されたこともあるが、それ以上に『木ノ国』の空気が気持ち良かったのだ。

(もう少しで紅姫様にお会いできる…)

 そのことが、どれだけ日陰の気持ちに高揚をもたらしているか。

 ここが白姫の領土だとしても、同じ国に居るだけで、紅姫の空気を感じることができ、日陰は何度も深呼吸を繰り返した。

(すこし気持ちを落ち着けよう…)

 日陰は自分の落ち着きの無さに苦笑いし、まず、何か腹に入れようと、近場の酒場に入ることにした。

 酒場は先ほど港に船が着いたばかりだったので、船で働く者、港で働く者、旅をしてきた者で、まぁまぁの繁盛具合だった。酒場は酒と雨の湿った独特の香りで充満していた。

「酒と干し肉…あと、お勧めの料理を何点か頼む」

 注文を取りにきた亭主にそう告げ、日陰は耳を澄ます。

「…なんでも、黄玉帝は反対した…紅姫が…」

 隣のテーブルでは、地元で仕事をしているのだろうと思われる、比較的こざっぱりとした男二人が話しをしている。だが酒場の喧騒で、声が途切れ途切れに聞こえてくる為、よく話がみえてこない。

 いっそのこと、彼らのテーブルに移ってみようかと思った時、狐顔の給仕の女が酒と肴(さかな)を運んできてくれた。

「なんだか紅姫様の話があちこちから聞こえてくるようだねぇ」

 日陰の問いに給仕の女は、隣のテーブルの男に声をかけてくれた。

「今年の『神渡り』は色々あったのよねぇ」

「おぅ、にーちゃんはどっから来たのかい?」

 人の良さそうな、がっしりした岩のような体の男が聞いてきた。

「もともとは、この国の生まれなんだけど、薬売りを生業(なりわい)にしているんで、最近までは『火ノ国』(かのくに)にいたのさ」

「ほう、それじゃ今年の『秋の神移り』については知らないはずだ。季節ごとに、三神(さんじん)黄玉帝、白姫、紅姫の三人様が別々の道筋を通って、宮換えをするだろ…っと、この国の生まれだったな」

 岩男はがはがはと笑いながら、自分たちの飲んでいた酒を日陰の杯についでくれた。

「今年はなんと!紅姫が田上の地に降り立ったんだよ」

「…降り立った!?」

「そう、田上の地は大騒ぎさ。まぁ上の人間たちは知っていたみたいだから、ちょっとした儀式みたいなことをやったりしたっていう話さ」

 給仕の女がうっとりとした声で、会話に入ってきた。

「そりゃ神々しかったってよ~なんでも薄い絹ごしだったらしいけど、うっすらとお姿も見えたらしいよ!!」

「姿を見せた!!!」

「それどころか、お声も聞かせて下さったらしいよ。それはお美しい鈴のような声音(こわね)だったってさぁ」

「確かに、お前のキンキン声とは違うだろうなぁ」

 がはがはと岩男がまた笑った。もう一人の男もにやにやしていると、狐顔の給仕は二人の男が残していた酒を飲み干した。

「あっこら!」岩男がとがめると、

「もっと飲みたきゃ注文しな」と手をひらひらさせながら、その場をさって行った。

「なぜ紅姫様はそんなことを?!!」

 岩男につかみかからんばかりの勢いの日陰に、二人の男は興が冷めたようだった。

「なんでって…知らねーよ。あの姫さんは変わり者だからね」

「ただなぁ…田上の地の人間は大変さ」

 もう一人の中肉中背の頭に鉢巻をした男が言った。

「おかげでもう田上の地は神様のもので、神社を建てる為に田上の連中は引越しだ」

「まぁ今年の田上の地崩れは大きかったからな、それも考えにあるんだろうが…ちーっと神経質過ぎる気もするな」

「やりすぎだよ。地崩れなんて五十年くらい前に一度おきて、今回だろ?そう何度も起きないよ。今までどおり米だって取れなくなるだろうし。もったいない。食えなくなったらどうすんだよ。俺たちにはまず、今日の米だろ?お偉いさんはその辺のところがわかってない。第一誰が頼んだんだ?俺たちは住みたい所に住む。余計なお世話なんだよ」

「まぁまぁ、確かにそうなんだけどな…」

 岩男が鉢巻男に酒をついだが、鉢巻男の口上はとまらない。

「他の、紅姫の領土の者たちも大変さ。いままでだってぎりぎり年貢米を納めていたのに、上乗せされて、自分たちの食う分を減らすしかないだろうよ、まったく」

 その後も鉢巻男は話し続けようとしていたが、岩男にやんわりと制されて、話は最近の海の様子に話が移った。が、日陰の耳にはもう何も入ってこなかった。

 

 酒場を出た日陰は、確かに酒も飲んだし、飯も食べたはずだったが、なんの味も残っていなかったし、腹が満ちた感じもなかった。

(紅姫様は、けっして民の為にならないことはしない…それは、それだけは絶対だ)

 日陰は店に入る時よりも強くなった雨に打たれながら、赤宮を目指して歩を進めたのであった。


 宮廷の庭が見える窓際に立ち、雨に揺れる木々を紅姫は眺めていた。

「姫様、窓際にお立ちになるのは危のうございます」

「…この豪雨では、矢も真っ直ぐには飛ばぬ。大丈夫だ」

 ここ『冬ノ殿』の寝所から見える庭は、紅姫のもっとも気に入っていた庭だった。

 『秋の神移り』輿降りの儀も無事に終わり、紅姫は少し気が抜けた状態だった。

 と、言っても人がいる限り、問題は限りなく起きる。この少しの休息を大切にしようと紅姫は感じていた。

 チリーン…

 その時、不思議な鈴の音が聞こえてきた…が、侍女の桂は、紅姫の側に控えているにもかかわらず気が付いた様子がない。

「その音は日陰か?」

「はい」

 桂が驚いて顔を上げた。

「日陰がきている、入れてくれ」

 桂に庭園に面にしている小さな隠し戸を開かせると、桂には部屋から出て行くように指示をした。部屋には本当に、紅姫と日陰の二人きりであった。

「元気にしていたか?」

 紅姫は、今まで誰にも見せたことのないような笑顔を日陰に向けた。

「はい」

 日陰もまた、その笑顔を全身で受け止めたのであった。


 『火ノ国』で見聞してきた事柄について、ざっと報告したところ、紅姫から日陰に『火ノ国』の事ではなく、今年の『神移り』について民はどんな反応を見せているかを問いかけてきた。

(余程、姫様も気にしておいでなのだ)

 酒場で一件を、日陰は、包み隠すことなく紅姫に報告した。

「私は…私は、間違っていたのだろうか?」

 紅姫は、窓辺に立ち尽くしていた。日陰にはなんと答えたらいいのかわからなかったが、紅姫の頬を涙がつたったのを見て、日陰は何か言わねばと、振り絞るように声を出した。

「ひ、姫様。今は、今はわかってもらえなくても、必ず姫様のお気持ちはわかってもらえる日がきます」

 我ながらなんと、不器用な、お慰めしか出来ないのか…と日陰は唇を噛んだ。

「そう…で…あろうか…私はしなくてもよいことをしたのではないだろうか?」

 紅姫は声を張り上げるでもなく、ただ、ただ、涙を頬につたわせていた。

「日陰…わ…私は…恐い。本当は…恐くて、恐くて仕方ないのだ」

「姫様…」

 紅姫はうつむいたまま、ぽたぽたと床に涙を落とした。

 日陰もまた、泣いていた。

 紅姫と同じように。声を上げずに、涙をこぼす紅姫から目をそらすことなく。

 自分の力のなさを切なく思いながら。 


 その様子を月影は、紅姫すら知らぬ覗き窓から見ていた。

(紅姫様がお泣きになるとは…)

 紅姫は月影の前で涙を見せたことはなかった。

 自分は紅姫様にとってどんなに近くても配下にある人間。たやすく涙を見せることなど出来ない事は承知していたが…

 もし、姫様が涙を見せるとしたら、それは自分の前で、だと月影は思っていた。

 日陰は泣いている姫の肩を抱くこともなく、あくまでも影の部下のまま、しかし、心は誰よりも姫に寄り添い一緒に泣いているの。

 月影は覗き窓を閉めた。

 この不愉快な想いはなんだろう…

 たかが、密偵の一人に対して…


 ひとしきり泣いた紅姫はやっと顔を上げた。

「恥ずかしいところを見せたな…」

 紅姫は、照れた笑顔を浮かべた。

「いえ、どんなことでも俺は引き受けます。紅姫様のためならば」

「大袈裟じゃなぁ」

 紅姫は笑った。

「でも、やはり思うのじゃ。どんなに甘いと言われても、食料の為に人がいるのではない、人の為に食料が必要なのだと」


読んで下さってありがとうございます。

面白く読んでいただけたら、とても嬉しいです。

次回は3月11日火曜日15時の掲載を予定しております。

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