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宮廷物語  作者: 卯月弥生
第二章 紅姫
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紅姫

「香(きょう)の音が止んだな…」

 紅姫は豪奢(ごうしゃ)な長椅子にあずけていた体を起こした。

 白い肌、牡丹の花弁のように赤い唇、長いまつげが黒い瞳を縁取り、絹糸のような黒髪がまるで人形のような姫だった。

「演者に続けるように申してきましょうか?」

 紅姫付き侍女の桂(かつら)が床から腰を上げかけたが、紅姫が制した。

「もうよい。夜も深けた、皆休もう」

 

 満月の青い光が宮廷内に差し込み、まるで深い海の底に宮が沈んだような夜だった。大理石で出来た床を、紅姫一行が歩く音だけが響いている。

 いつもは金銀で飾りたてられた柱や壁も、夜の青に染まりひっそりとしている。

 だから紅姫は満月の夜が好きだった。

 

 寝所に入り夜着(やき)に着替え、桂に髪の毛をすいてもらっていると、桂が惚れ惚れとした感嘆の声を上げた。

「姫様は本当に美しい」

 さらさらと紅姫の黒髪が、薄い光沢のある夜着をすべり落ちる。

「本当に神様が特別に御創りなった、神の血筋にふさわしい姫様でございますなぁ」

 桂は一人話し続けたが、紅姫は桂を傷つけない程度に苦笑いを浮かべ、鼻で笑った。

(神の血筋か…)

「姫様はいつもそう笑われますが、美しさだけではなく、その聡明さにも桂は感嘆しきりでございます。昼のことも耳に入っておりますよ。なんでも月影(げつえい)様を打ち負かしたとか」

「打ち負かした?」紅姫は怪訝に眉をひそめた。

「あぁ…」紅姫はまた苦笑いを浮かべた。

「私の考えを述べただけだ。どちらかが勝った、負けたの問題ではない…」

「そうでございましょうが、この木ノ国(もくのくに)一番の切れ者である月影様と対等に議論なされますとは感服でございます」

 まだ桂は興奮気味だったが、紅姫はもうそれ以上は答えず、深く考え込み、うつむいたきりになったのだった。


「正気の沙汰とは思えません」

 月影はこの国ではあまり見ない、彫の深い端正な顔を歪め、眉を吊り上げながら言葉を続けた。

 定例である、昼の行政報告会でのことだった。

「あなた様は御自分の立場をわかっておりません」

 紅姫は自分の宮の、皇女の座に腰を下ろし、階下に立っている月影を見下ろしていた。月影は紅姫皇女付きの第一政務官であった。月影がまとっている限りなく黒に近い藍色の布地を使った衣装は、政務官たちのみが着用することが出来る物であった。

「私は自分の立場も、行おうとしていることもよくわかっている」

 紅姫の凛とした声が赤皇女宮(あかおうじょきゅう)に流れた。

 赤皇女宮は、名のとおり、宮の中を朱の色で塗り込めていた。正確には赤と朱は別の色味であったが、紅姫の生母違いの姉妹である、皇位継承順位第一位を持っている白姫(しろひめ)の宮、白宮(しろみや)と呼び分けやすいように通称赤宮(あかみや)と呼ばれていたのだった。

 その赤宮の皇女の座に鎮座している紅姫の装束もまた、血のような赤色だった。

「…白蓮ですか?」

「なんと?」

「ふぅ…白蓮殿の進言ですか?」

 大きなため息と共に、月影の口から出た“白蓮”の名に紅姫の顔に険が浮んだ。しかし、すぐに落ち着きを取り戻すと、紅姫はゆっくりと話し始めた。

「月影。まず、言っておこう。そなたこそ自分の分をわきまえよ」

 紅姫の戒めに月影は唇を噛み締め、頭を垂れた。

「秋の神移りの途中、災害のあった地で輿(こし)を止め、私がその地に降り立つことがそんなに問題か?」

「はい、あなた様は神の末裔なのですよ。かの地に神が光臨することと同意義なのです。さすればもうその地に人が住むことはできません」

 紅姫はため息をついたが、今ここで自分が神の末裔であることについての反論議論を展開しては、論点が変わってしまう。そして自分が神の末裔であることに反論がありながら、そのことを利用しようとしているから始末が悪いのだった。紅姫は本当に言いたい言葉を飲み込んだ。

「だからだ」

「は!?」

「私がその地を踏むことで、村人たちはその地に住むことが出来なくなる。調べさせたが『田上』の地は過去に二度も大きな地滑りが起きている。今回も前回と同じような場所での地滑りだ。『田上』は水が豊富な土地だが、水源を有する山裾に近すぎる為と、おそらく地盤そのものも弱いのではないかと山学者から聞いた」

 地滑りの理由はともかく、三度の地滑りが発生し、今回の地滑りでは八十九人の命が犠牲になったことは、紅姫には見過ごすことが出来なかった。

「土地を奪うことになるが、村民たちには移住してもらう。もう災害に巻き込まれないようにな」

 月影の顔に驚きが広がる。赤宮に居合わせた紅姫の政務側近の者たちも目を見張っている。

「私が降り立った地は…神の地になり宮を…神社を建てさせる。さすればもう民が死ぬことはない。仮にまた地滑りが起きた場合は、神が災害を引き受け、人々の代わりになったということにすればよい。だから建てる社殿には我分身、身代わり人形のようなものを祀れば良いのではないかと思っておる。もっとも、いざ祀るとなると、でしゃばりが出てくるかもしれないが…そこを考えるのは後でも良いだろう」

「姫様…そこまでお考えでしたか…」

「月影。そして私は、おまえをさらに怒らせることになる」

「?」

「私は村の長(おさ)に会う」

 絶句する月影。

「姫様、それは…」

「わかっておる。御簾越しでも、離れていてもよい。私の声が届けば」

「農民達は土地にこだわる。先祖代々の土地を愛している。その地を奪うのだ。こちらの覚悟と誠意を見せねば人々は動いてくれぬ」

 赤宮は凍りついたように静まりかえっていた。

「黄玉帝(おうぎょくてい)にはお許しを得たのですか…」

「得ておらん」

「話になりませぬ!!!」

「月影。今、決めずともよい。神移りまでまだ半月あるのだ。よく考えてくれ」

「半月しかございません」

「ふっ。だからいいのではないか。おまえなら、わかるであろう?そなたには半月は十分な時間だ。そして皇帝には足りない。そこでおまえお得意の技で話を通してくれ」

「姫様…」

「今日はもうよいだろう。皆も疲れている。まず私の考えを知って欲しかったのだ。また明日からの議会で話を詰めていこう。今日の報告会は終わりだ」

「…はっ」

月影と疲れきった側近たちは深々と一礼をしたのだった…


 寝具に身を横たえた紅姫は、昼間の月影とのやり取りを思い出し、なかなか寝付けないでいた。

 月影を側近たちの前でやり込めるつもりはなかったのだが、結果、そうなってしまったのだろうか…紅姫にとっては正しい事を、筋を通して行うと宣言しただけのつもりなのだったが…つい月影には、話がわかるはずだという甘えが出てしまう。

 気をつけねば…と紅姫は思った。

 物には言い方も、やり方もある。位が高い人間ほど気をつけねば、ある日牙をむかれてしまう結果になることを、紅姫は過去の宮中から学んでいた。

 明日にでも月影と二人きりで、もう少し話さなければならぬな…

読んでいただきまして、誠にありがとうございます。

新章紅姫編の一話目はいかがでしたでしょうか?

次回は、間をおいてしまい大変申し訳ありませんが、

2月15日土曜日に掲載予定です。


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