2話 迫り来るモノ
その次の日もいつもと同じように尚哉は怯えながらも如月の下に根気強く通い詰めた。
勿論如月はもう追い返すようなことはしなかった。
そして一週間もしないうち自然と三人は共に過ごすようになった。
それまでは尚哉と郁渡は不良とそのファンを避けていたため二人で過ごしており、如月は周りに怖がられて一人で過ごしていたため問題はなかった。
三人は至って普通の話題で盛り上がった。
尚哉は自分が話すような面白味のない話では如月は楽しめないのではないかと不安であったのだが杞憂に終わってほっとした。
「そう言えばさ。二年に転入生が来るって噂、知ってるか?」
「転入生!?」
「転入生?」
郁渡の言葉に尚哉と如月は仲良く声を揃えて尋ねた。
「いや、尚哉は聞いてるはずなんだけど何でそこで驚くかな…まあ、良いや。こんな変な時期に珍しいよな。なんかさ、凄い奴が転入してくるんだって」
「凄い奴?」
「これは尚哉にとって残念な事かもしれないけど、有名な不良でさ。そいつ…ヘブエル総長だそうだ」
「な…!?」
「ヘブエル?」
「現在この近辺で一番強いチームで…ソロモンを潰したチームだ」
「あ…」
如月が叫んだ意味がわかった。
ソロモンが潰された事自体は嫌な事ではないと言われたが、やはり気になってしまい如月の顔色を伺う。
「…おい、気にするなって言っただろうが」
「ひやあぁっ、ごごごごめんにゃしゃい!!?」
「だから別に良い言ってんだろ!っていうか話すようになる前よりも俺の事、怖がってないか!?」
尚哉が他の不良に対しては以前程怯えなくなったので少しでも慣れたのかと思ったのだが如月には見るからに悪化しているのだ。
如月は口には出さないがやはり顔や話し掛けられた時の慣れない返事で怖がらせているのではないかと少なからず悩んでいた。
「そそそそんにゃつもりは、なななな無いんだきぇど、そそそ見えてたらごめん!」
本人に悪気がないのはわかりきったことであるが、それはそれで傷付く。
結局話が逸れたことで転入生の話はそれっきりになり、他の話題で盛り上がった。
昼休みが終わる間近になって郁渡は尚哉に声をかけた。
「ちょっと野暮用を思い出したから先に戻っててくれないか?」
「えっ、待ってるよ?」
「いや、用事が終わる前に授業が始まってしまうかもしれないから先に教室に帰っててほしい」
「そっか…」
「悪いな」
「ううん、僕こそ。じゃあまたね、郁渡とっ、きき如月くくくんっ!」
最後は叫ぶように言いながら尚哉は校舎に入っていった。
尚哉の姿が完全に見えなくなったところで如月が先に口を開いた。
「仁野先輩、ありがとうございます」
「ん、何が?」
「ソロモンを潰したのはヘブエルだと言われているけど…正確には当時ソロモンの下っ端だった、今のヘブエル総長が単独で潰したって事を川崎先輩に言わなかった事ですよ」
「あれ、そうなのか?俺は噂を伝えただけなんだけど…そんなこと知らなかったよ」
「……仁野先輩がそう仰るなら、そういう事にしておきます」
共犯者のような笑みに郁渡は困ったような顔をした。
そしてばつが悪そうにうつむき、地面を蹴る。
「本当、雰囲気で気付きましたが同一人物とはわかりにくいですよね」
「年上で遊ぶなよ。これだからお前とは顔を合わせないよう極力避けてたのに」
ぶつぶつと郁渡は文句を言うがいつも遊ばれていたのはむしろ如月の方だった。
だが火に油を注ぐだけになりそうだったので如月は曖昧に笑って流した。
郁渡は別段それを気にしたようでもなく顔を上げた。
「さてと、俺の方の用件だけど……奴を尚哉に近付けては駄目だと思う。俺が如月に会ったときのまずさとはまた違う」
「そうですね…って恨み言はなしですよ」
「ちょっと困らせようと思っただけだからそんなに顔をひきつらせるなよ。で、理由は聞かないのか?」
「うっ、恨み言の…?」
「違う、前の方のだ」
「それは愚問ですからね。誰だってあれを見たことがあればそう思います」
「そう…か…」
二人は再び尚哉が去った方を見た。
だが、それでいて…どこか遠い所を見ているようだった。
◇◆◇◆◇
そんな二人の誓いが無となったのは早くも数日後のことであった。
「見て、あそこに人だかりができてる」
尚哉と郁渡は如月を待っている間、校舎の窓から外を眺めながら会話していた。
放課後でもないのに校門の傍に向かって人が集まるという不自然な現象を目の当たりにしたのだ。
さながら甘いものに群がる蟻である。
「ああ、あれはきっと……王様の御成ーりーって感じだな」
「王様?」
「ま、俺たちが気にすべきことじゃないってことだな」
郁渡はそう言って話をそらそうとしたのだが尚哉の興味はそこから消えないらしく、不満げだ。
「噂の転入生だろ」
仕方なく、といった感じで無言の問いに郁渡は答える。
尚哉も転入生がいることを少しも考えなかったわけではない。
校内で一人の不良の周りに群がるのは可愛い子たちかゴツい人たちのどちらかなので両方共いるためそれは違うのではないかと思ったのだ。
「凄い人気…なんだね」
「まあな。でも近付くなよ」
「……うん」
郁渡の言葉に頷くと興味を失ったのか尚哉は窓の外を見るのを止めた。
郁渡はそんな尚哉にほっとした。
肯定の返事をしたということは尚哉自身も近付く理由がないのだろう。
元々不良恐怖症なのだからそれが当たり前なのだが、如月のこともあったので少々不安だったのだ。
話がちょうど途切れたその時、如月のクラスも授業が終わって昼休みに入ったらしい。
ざわざわと教室から人が出てきた。
「すみません、遅くなりました」
如月が謝る。
その言葉にすぐさま尚哉は首を横に振った。
「しっししし仕方ないよっ、じゅっ授業だったんだだだっだから」
「そうだよ。それにたまに俺たちだって待ってもらってるし」
如月はそうか、と呟き何かを誤魔化すように頭を掻いた。
実はこのような学校での会話というものが慣れておらず、一つ一つのことが照れくさいのだ。
三人揃ったので食堂に向かうため郁渡と如月は歩き出した。
だが尚哉だけは去り際にもう一度窓の外を見た。
本当に僅かに残っていた好奇心でそうしたのであった。
どの人がそうなのか先程は気付かなかったのだが、人だかりが校舎に近付いてきているせいか中心にいる人物がやっとわかった。
視界に入れた途端、尚哉は目を見開いた。
怖い。
わけのわからない恐怖感が尚哉の全身を支配する。
「尚哉、早く来ないと時間がなくなるぞ」
先に進んでいた郁渡が窓から離れていない尚哉に気付き、そう声をかけたのだが尚哉の耳には入っていなかった。
後退りすらできず脚がガクガク震える。
転入生が校舎を見上げたところを目にしたのを最後に尚哉の意識は朦朧とし、遂には倒れてしまう。
「尚哉!?」
「川崎先輩っ!?」
転入生が視界から消えたことでやっと心配そうな二人の声が届いたが、尚哉には返事を返す気力もなかった。
◇◆◇◆◇
藤谷秀彰は何の感慨もなく堂々と校門をくぐった。
久し振りの登校だった。
一年の停学処分を終えるまで来なかったのだ、当たり前だ。
その上、処分を受ける前の半年程も学校に来ていなかったので実質は一年半振りだ。
ちなみに停学処分を受けたのは前の学校でのことだ。
荒れる藤谷を見かねた知人に誘われてここ、神流高等学校に転入してきたのだ。
ただ感慨がないのはそれだけが理由ではなかった。
例え登校するのが前の学校であったとしても同じような想いしか抱かなかっただろう。
ある少年がいなくなってから色のない日が続いているのだから。
「格好良い…あのお方がルシフェル様?」
呼ばれた時間に来たのだが、間が悪いことに昼休みだったらしい。
人がどんどん周りに集まってくる。
物珍しさに来た者もいたが頬を染める者が殆どだ。
藤谷は内心、面倒なことになったとイライラした。
こういう者たちは鬱陶しくてしょうがない。
現に行く手を遮る者も少なくはなく、なかなか前に進めない。
邪魔だと周りを蹴散らそうとしたその時だった。
二階の窓から外を眺める人がいることに気付いた。
そしてその人と目が合った…ような気がした。
「どぉしたのですかぁ、ルシフェル様ぁ」
舌っ足らずな声でへばり付いてくる者達を容赦なく振り落としながらあることが気になってその人がいる所に向かう。
しかしそんな藤谷の様子にも臆さずにべたべた触ってくる者もおり、その妨害のせいでその場に着いたのは目的の人物が去った後だった。
いや、相手が離れた場所にいたのだから仮に妨害がなくても辿り着く前にはいなくなっていただろう。
藤谷はそれを理解していながら、誰かのせいにせずにはいられなかったのだ。
先程の人物を気にしながらも仕方なく次に藤谷が向かっていたのは当初の目的である校長室だった。
ちなみに中にいるのは校長ではなく校長代理だ。
藤谷はドアの前に立つと三回ノックした。
「どうぞ」
「失礼します」
礼儀正しく入室する。
校長代理はにこやかにそんな藤谷を迎えた。
「失礼だが、想像していたよりも礼儀正しいね」
停学処分を受けていたのだ、そう言われても無理はない。
「本当に私が編入して大丈夫なのでしょうか?」
停学処分を受けた者を受け入れるなど学校としては具合が悪いだろう。
しかし藤谷自身は別段学校のことなど気にしているつもりではなかった。
そのため何故こんなことを気にしているのだろうと思いながらも藤谷は尋ねた。
「どうやら生徒に君は歓迎されているようだし問題はない。ええと…確かアロル、と言えば君にはわかるんだったかな」
「リーダー…?ここに編入することを私に勧めた方のことですよね」
「通じているなら合っているようだね。彼は八年程前からこの学校で不良の受け入れを積極的に行っているんだよ。今ではそのことは有名だし今更文句を言う保護者もいまい」
リーダーはこの高校に深く関わりがある人、という情報を得たことに藤谷は思わず笑みを浮かべた。
リーダーは数少ない少年に通じる人物なのだ、どんな情報でも欲しい。
何らかの形で少年へと結びつけることができるかもしれないからだ。
「ところで、アロルが話したと言っていたが例の件を少しは考えてくれたかね?」
そんな面倒なことを先程まで受ける気はさらさらなかった。
だが何かと便利な特典があるようだ。
リーダーが学校の関係者ならそれを利用しない手だてはない。
「件のお話なら受けさせていただきます」
藤谷はまるで最初から受け入れるつもりであったかのように力強く返事した。