1話 気になる存在
「何見てんだよ」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりは…」
「じゃあ、つべこべ言わずにさっさと行けよ」
「はっ、はい!」
如月吉良に邪険にされ、泣きそうになりながら川崎尚哉はその場から立ち去った。
◇◆◇◆◇
ここは神流高等学校。
男子校である。
学力のレベルは総合すると上の下であるのだが、多くの不良が在籍している。
不良クラスと優等生クラスに別れているが、優等生クラスがそれを押し上げているとはいえ大半を占める不良クラスも頑張っているらしい。
尚哉がその事実を知ったとき『世の中成果主義になってきたし最近の不良はそこそこの頭じゃないとなれないのかな、ははは…』と意味がわからない現実逃避してしまった。
不良が多い高校であることは近所では有名であったようだが、悲しいことに微妙に遠い尚哉の家までは届いていなかったのだ。
不良と無縁の生活をしていた尚哉は免疫がなかった。
友達を作ろうにも周りは不良ばかり。
不良でない人もいることはいたのだが、ほぼ不良のファンだった。
尚哉にとっては不良もそのファンも同じようなものである。
たまたまそのどちらにも当てはまらなかった仁野郁渡がいなければ尚哉の高校生活は寂しいものになっていただろう。
……確かにそう感じていた。
だが、最近何かおかしな感情に突き動かされている。
◇◆◇◆◇
「で、また駄目だったと」
「…まだ何も言ってないのに」
尚哉は冒頭のことを郁渡に泣きつきついでに報告したかったのだが、その前にぴしゃりと言葉で叩かれた。
「聞くけどさ、なんで如月と友達になりたいんだ?」
「僕だってよくわからないけど、どうしても如月君と友達になりたいんだ…」
郁渡は溜め息を吐く。
あやふやな、意味の分からない理由で不良に話しかけていたとは呆れる。
そんなことで一々不良に話しかけていたら尚哉の命はいくつあっても足りないだろう。
しかも何度か話しかけようとしているが全て如月に睨まれ、まともな会話ができずに終わっている。
如月としては鬱陶しいだろう。
こちらとしては助かっているがよくキレないな、と郁渡は常々思う。
「あいつは潰された不良チーム、ソロモンのメンバーだった奴だ。今はどこにも入ってないらしいけどな」
「潰された不良チーム?」
忠告のつもりで言ったのだが、尚哉にはわからなかったらしい。
友達になりたい如月について少しでも知ることができるのが嬉しいのか、目がキラキラ輝いている…ような気がする。
「……噂では二年程前にそのチームの総長と副総長が亡くなって、その数日後にチームは潰されたらしい。ソロモンはこの辺りで一番強いチームだったところだ。だからあいつも強い」
そんな眼差しで見られると答えるしかない。
念のため強いというところは強調しておく。
「強いんだ、凄いな!」
やはり伝わらなかったようだ。
「強いから危ないんだよ」
これはもうストレートで言うしかなかった。
しかし次の言葉で郁渡は少し思い違いをしていたことを知る。
「ううん、如月君は危なくないよ。僕が何度も近寄っても困った顔はするけど怒ってないよ」
「……………」
本鈴が鳴った。
それに気付いた尚哉はまた後でね、と言って慌てて自分の席に戻る。
その後ろ姿を見ながら郁渡は呟く。
「あいつがそれを聞いたら喜ぶかな、悲しむかな?」
今まで本気にしていなかったが、どうやら尚哉は本当に如月と友達になりたいらしい。
それなら二人が友達になるのは如月にとっても良いことかもしれない。
それは尚哉に覚悟があることを前提にしなければならないが。
次からは少し手伝ってやろうかな、と郁渡は密かに思った。
◇◆◇◆◇
放課後、郁渡は尚哉に次に如月のところに行くときはついて行くことを告げた。
すると尚哉は嬉しそうに今から行こうと言い出した。
郁渡の気が変わらないうちについて来てほしいようだ。
実は今まで拒否していたのだ。
だから心配なのだろう。
「早く行かないと如月君が帰っちゃうから僕は走って行くけど、郁渡はついて来てくれるんだからゆっくり来てね。でも必ず来てよ」
「ああ」
そう言って尚哉は先に向かった。
そして校門付近でちょうど帰宅しようとしていた如月を見つける。
「あ、あのおおおおじかっありまっか!?」
「はぁ?大牡鹿なんてあるわけないだろ。お前そんなこと言うためチョロチョロしてたのか?」
郁渡が後から来ることがわかっているからかいつもと違い話かけることはできたのだが、言いたいことはやはり全く通じていない。
ちなみに尚哉は『あの、お時間はありますか?』と聞きたかったらしい。
如月の眉間に皺が寄る。
それを見て尚哉は恐怖で固まる。
そんなことをしている間に郁渡が追いついた。
如月はいつもはいない郁渡を見て少し表情を変えた。
「オ…」
「二年B組、仁野郁渡だ」
「仁野先輩…ですか」
「ああ」
如月は尚哉をちらりと見る。
そして眉間の皺をさらに深く刻んで郁渡を睨み付けた。
「…その人がよく周りにいたのは仁野先輩が俺のところに行くように言ったからですか?」
「違う」
「っ、そんなわけねぇだろ!その人の声…」
「如月、耳を貸せ」
何故か二人で内緒話をしてしまう。
放っておかれている尚哉はまだ固まっているので問題はないようだが。
二言三言話終わると、二人は尚哉を見た。
如月の眉間の皺はいつの間にか消えていた。
「先輩、名前は何ですか?」
「ほら、名前だってさ」
いきなり話しを振られた尚哉はやっと我に返り、顔を真っ赤にして反射的に背筋をびしぃっと伸ばした。
「ひぁっ、ひゃじまして!二年ビィ組のきゃわ崎尚哉と申しましゅっ!!」
駄目だ、怯えと緊張のせいで言っていることが滅茶苦茶変だ。
郁渡は頭が痛くなって額に手を当てた。
「そうか…キャワサキ先輩か」
その聞き返しにコクコクと、首がバネのように頷く尚哉。
どうやらもう精一杯らしい。
だがこれはいけない、と郁渡は慌てる。
実は如月は突然天然ボケを発揮することがあるのだった。
「如月、こいつはキャワサキじゃなくて川崎だ。第一そんな名字の日本人なんていないって。尚哉もちゃんと聞いてから頷けよ」
「道理で漢字が思い浮かばないと思った…」
恥ずかしかったらしく如月は尚哉に背を向け、うつむきながら頭を掻く。
一方尚哉は読解不能なことを言いながらぺこぺこし続けている。
おそらく訂正しなかった事について謝っているのだろう。
視界に入っていないので如月は全くそのことに気付いていないのだが。
端から見れば妙な光景である。
だが急に如月の肩が揺れ、再び尚哉の方を向く。
「危ねぇ!」
その声とほぼ同時に尚哉は誰かに横から押された。
「だから危ないって言っただろ?」
それは郁渡だった。
先程まで尚哉が立っていた位置で誰かの拳を受け止めていた。
「ま、何も悪くない如月を追いかけるコイツらが悪いんだけどなっ!」
そう言うや否や郁渡は男の腕を引っ張り、転がした。
その隙に如月は尚哉の手を取る。
「おい、走るぞ!」
「え、えええええ゛っ?」
何が何だかわからないうちにそのまま引っ張り起こされ、引きずるようにして走らされる尚哉。
郁渡も少し遅れてついてくる。
三人は途中で何度も曲がり角を曲がりながら走った。
「なんとか…撒けたかな…?」
そしてどれくらい走ったのだろうか。
気付けば公園に着いていた。
男が見当たらないため、郁渡が言った通りどうやら逃げ切れたようである。
「尚哉、さっきは突き飛ばしてごめん。怪我してないか?」
「大丈夫。だから謝らないで。むしろ僕がお礼を言わないと。ありがとう」
尚哉は郁渡に無傷をアピールするかのように微笑む。
そしてそれとは対称的に暗い顔をした如月が二人を見た。
「巻き込んで悪かった。たまにああいう奴がいやがるんだ」
前半はすまなさそうに、そして後半は心底嫌そうに言った。
どうやらあの状況は不本意だったようだ。
「知ってるかもしんねぇけど、前に俺はこの辺りで強かったソロモンってチームに入ってた。あいつはそのとき怖がって喧嘩を売ってこなかった他のチームの奴なんだけどソロモンが潰されてから売ってきやがるようになった。散り散りになったソロモンのメンバーでも倒せば自分が有名になるとでも思ってやがるんだろな」
「ごごごごめんっ」
何故か逆に尚哉が顔を真っ青にして謝る。
「何でキャワサキ先輩が謝るんだよ?」
「いいいいや…そそそその……ああっ、い、嫌なことをお、思い出ひゃせちゃたかな、と思てっ」
「…すまん、何の事を言ってんのかわからねぇ」
「ソロモンが潰れたときを思い出させるような事を言わせて悪いって言ってるんだよ」
尚哉は必死にそれにコクコクと頷いた。
「ソロモンが潰された事自体は…色々あって別に嫌な事じゃなかったから気にするな。潰されたときには俺はもう抜けてたし。それよりも、もう俺に近付くな」
最後のその鋭い言葉に尚哉は体を硬直させた。
それに気付いたのか如月の顔が一瞬悲しそうに歪んだ気がした。
「な、なな何で…?」
それは言ったことを指しているのか、あるいは一瞬見せた表情のことを指しているのか。
尚哉自身もどちらかわからなかったが如月は何も答えなかった。
「尚哉、俺は如月に近寄るなと言ったけど如月が別に危ないんじゃない。わかってると思うけど如月を一方的に攻撃してこようとする奴らが危ないんだ。如月の関係者だと思われれば今回は無事だったけど次は殴られるかもしれない。だから、だ」
代わりに郁渡が答えた。
それを聞いた尚哉は即座に反応した。
「そんなの理由にならないよ。だって…それじゃあ如月くんが独りぼっちになるよ。如月くんは良い人なのにそんなのおかしい!僕はそんなの嫌だ!!」
興奮しているせいか、それとも郁渡に向かって言っているせいか尚哉はスラスラと言った。
そんな尚哉に如月は目を見開いた。
「おい」
その声で如月本人が横にいることを思い出した尚哉は血の気が引いた。
「かっ、かかか勝手に、えっええ偉そうな事い言って、ごごごめんなさいぃっ!」
「いや、ありがとう」
如月はソロモンを抜けてから……総長が消えてから初めて心に穏やかな風が吹き込んだような気がした。
一方で尚更尚哉に構うわけにはいかない、という気持ちも強くなる。
だがそれは尚哉のためなのか、それとも……自分のためなのか如月にもわからなかった。
「如月、一度は認めたんだしここまで言ってくれてるんだから構わないだろ?俺はちゃんと覚悟があるなら良いと思ってるよ。それとも…お前が覚悟できてないのか?」
そんな如月の迷いを読み取ったのか郁渡は問いかけた。
だが如月は答えない。
否、答えられなかった。
自分の気持ちがわからないのだから何と答えるべきかもわからなかったのだ。
「今まで近寄るだけで尚哉を遠ざけようとしたのも今回み…」
「なっ!わ、わかった。もうさっきみたいな事は言わないし、むしろ…!!」
何を思ったのか郁渡が如月の以前の行動―――尚哉が近付いてきてもすぐに追い払おうとしていたことの真相を何の前振りもなく語ろうとした。
如月は表情を変え、慌ててそれを止めようと声を上げた。
如月は自分が発した言葉に呆然とする。
とっさに言ったそれが如月の本心だったのだ。
「で、結局キャワサキ先輩は俺に何の用があったんだ?」
それがわかり気恥ずかしくなった如月は言葉の続きを促される前に話題を変えようと必死でそれを振ったのだが、尚哉はそう言われて肝心な事をまだ伝えていない事に気付いた。
手に持っていた鞄もどさりと落としてしまう。
「あっあああああのぉ…そそそその……おおおおおお友達にな、なってくらしゃひ!いっ!?」
力みすぎたのか最後に舌を噛んでしまった。
その勢いに呆気に取られた如月だったが何とか意味を理解した瞬間、頬が緩んだ。
「俺で良ければ」
「ほほほほ本当に!?や、やややった!!」
噛んだ痛さで涙目になっていたが、途端に大喜びした尚哉に如月は目を細めた。
こうしてやっと友情を結ぶに至った二人。
だが
「あああああの、その、ささささっきはあっありが、とっ」
「あ゛、蟻が何だと?」
「ごごごごめんなひゃい!」
…二人が意思疎通をできるようになるのはまだ少し時間がかかりそうである。
そして郁渡は思った。
「キャワサキじゃなくて川崎だって言ってるのに…如月、やっぱり間違えて覚えたな」