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インターアーバンガーディアン

作者: 時太郎

夕闇迫る泥亀新田、烏が二羽、三羽。

東急車両の終業を知らせるサイレンと、夕方の出庫ラッシュを神業で捌く第一踏切の警手の笛が夕焼け空に鳴り響いた。

京浜急行の金沢検車区のすぐ脇にある居酒屋『肴や』の奥座敷にはこの時間、いつも決まってちょっと困ったお客がやって来る。

「カズオちゃ~ん!来たよ~!」

仕込みの途中で開けっ放しの裏口から、慣れた様子で座敷の奥の指定席へと座る綺麗なおねえさん。名前は湘子(しょうこ)さんだ。

僕が高校から帰ってきて店を手伝いはじめるのを神業的に見計らう。

「いらっしゃい。何にする?」

「んとねー。きょうはねー。カズオちゃんの膝枕~!」

「ちょっ!僕これから仕込みとか」

湘子さんは待ちきれない様子で僕の手を引き、隣に座らせると正座した僕の膝にコテンと頭を乗せてきた。しかもこちら向きで。

「ちょ!しょ、湘子さ」

「んーいーにおい~。今日は体育のある日だもんね~。はあはあ」

「うう゛~。恥ずかしいよー」

こんな調子で店が混み始めるまで僕の体臭や肌触りを堪能して帰っていく変態さんなのだ。

僕が店を手伝い始めた頃からずっと続いているこの『儀式』。

実は三浦半島の大静脈、京浜急行の安全運行と深い関わりがあったのだ。

ある大雨の晩のこと。いつも明るい湘子さんが、真剣な形相で飛び込んできた。

「どうしたの、湘子さん。」

「…カズオちゃん。私に勇気を頂戴!」どうしたの、と言おうとした僕の唇は湘子さんの滑らかな唇で塞がれていた。

女の人のいい匂いですっかりできあがってしまった僕を湘子さんは震える睫の大きなひとみでみつめながらこう言った。

「この大雨で大きな事故が起こるの。それで私の妹と大切なお客様が危ないの。私、助けに行かなくちゃ…。」

「え?湘子さん何を」

「…本当は私を運転したことのある人がいいんだけど、貴方しか私に触れないの!お願い!」

「へ?」

一瞬の静寂。気がつくと僕はどこかレトロな感じのする電車の運転席にいた。混乱する僕の頭の中で湘子さんの声が響く。

『いい、カズオちゃん。いま私たちは文庫と八景の間の下り副本線にいるわ。直ぐに本線を特急が抜いて行くから、ノッチを入れて!』

言われるままにエアーを抜き、ワイパーの効かない程の豪雨の中を進行する。

間もなく特急が抜いて行き、八景2番線を通過する。

僕の運転する電車は閉塞が有り得ない早さで開通すると同時に一番線から合流していった。

『そう、その調子。上手よー、カズオちゃん。』

艶めかしい声に僕はドキリとした。

『いい?追浜を通過したらいつもは制限解除で力行だけどきょうはこの雨で惰行するから私の脚でも追いつける。つぎの制限でブレーキでは間に合わずに崖崩れに突っ込むわ。その前に後ろから近づいて連結。そしてフルブレーキよ。』

言われるまま続行運転。ゆったりと1500形のテールランプが近づく。

そして軽い衝撃音。『今!』

声と同時にノッチオフ、フルブレーキ。1500形18メートル8連の慣性がデ1形の華奢な台枠にのし掛かる。

『うあああああっ!』

湘子さんの悲鳴。ブレーキシューの悲鳴とレジン臭。

数秒が何時間にも感じられる。

1701の運転士が気付いて非常制動をかけたものの、先頭車は崩れた擁壁に突っ込んでしまった。


「ぐすっ。わ…私っ…間に合わなかっ…」

早じまいした店の座敷で、湘子さんは僕に抱き付いて子供みたいに泣いている。

「うう゛~…お役御免になってから、いっぱい頑張ってっ…やっと守護神になれたのにっ…」

悪天候でブロックノイズ混じりのテレビがニュースをやっている。

「大切なお客様にっ…ひっく…たくさんお怪我をっ…」

湘子さんは、開通当時の主力『湘南デ1形』の九十九神だったのだ。

「湘子さん。」

僕は泣きじゃくる湘子さんの形のよい顎にそっと手をかけ、キスをした。目を大きく見開いて驚く湘子さん。

「落ちついた?ね、テレビ見て。」

びっくりして両手のひらを唇に当てたままの湘子さんはテレビを向く。

『…当該列車の運転士によりますと、「雨で視界が悪く、速度を落とし気味にしていたが間に合わなかった。直前で何かに引っ張られた感覚があったが、それがなければもっとひどい衝突をしていたかもしれない」と話しており、それを含めて原因を調査…』

「ねっ。湘子さんは十分大事故を防いだんだよ。これからも頑張って京浜急行の安全を守ってね」

「…カズオちゃん…っ!」

再び抱き付いて来る湘子さん。

僕はそんな湘子さんをずっと撫で続けた。

そして翌日。

「…カズオちゃん…」

「いらっしゃい、湘子さん…?どうしたの?元気なさそうだけど」

いつもと様子の違う湘子さんの後ろから、僕と同じ位の年の可愛い女の子が出てきてぺこりと頭をさげた。

「湘子お姉ちゃんの妹で千子(ちこ)って言います!」ポカンとする僕に湘子さんがちょっと拗ねたように言った。

「日本の鉄道の神様のトレビシック三世様が、『これから設備が旧くなるし、気象も荒れることがおおくて大変になるからって、妹の旧1000形もサポートに付ける、っておっしゃって」

「宜しくお願いしますっ!カズオお兄ちゃん!」そう言って僕に抱きついてくる千子ちゃん。

「うう゛~。私なんて2X年かかったのにいっ。たった3年かそこらで撫でてもらえるなんてっ」

こうして京浜急行の安全は今日もまもられるのでした。


おしまい

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