表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

8/さよならフリードリヒ

 目が醒めると日が沈んでいた。

 誰の姿も無い。

 キルシェも、由も、有栖も居なくなっていた。残っているのは由の血の跡だけで、斬られた彼の腕すら無くなっていた。

 寒かった。

 夜がコンクリートを冷やし、風が身体の熱を奪っている。座り込んだまま立ち上がれず、月見はぼうっとしていた。

 突然、スカートのポケットで何かが震える。ケータイが着信していた。月見は鈍々とした動作でケータイを取り出し、電話に出る。

〝月?! やっと繋がった……今何処に居るの? 貴方今日高校サボったでしょ、もう警察に捜索お願いしようかと……ちょっと、聞いてるのっ?〟

 不安そうに、少し怒った声の相手は姉の(ゆき)()だった。

「うん……心配掛けてごめんね、雪姉ちゃん。今から、帰るから」

 月見の余りにも気力の無い声に怒りを削がれたのか〝……ま、いいわ〟と雪見は言う。

〝早く帰ってきなさい。花も心配してるから〟

「うん、判った。……花ちゃんにも、ごめんって言っておいて」

 月見はケータイを切ってポケットに仕舞う。そして、のそりと立ち上がり暫く無言で居たが、乾いた由の血の上に崩れ落ちた。意味も無くその跡を手で擦り、何度も何度も必死に擦る。まるでここで起きた出来事ごと消してしまいたいかの様に。

 気が付くと月見は泣いていた。何故泣いているのか自分でも判らなかった。悔しくて悲しくて虚しくて怒りたくて、それでも何よりただ涙が止まらなかった。

 落ちた涙で乾いた血が水分を取り戻し、月見の手は真っ赤に染まっていく。時折涙を拭うので、乾いていた血が顔にも広がっていった。埃と血で汚れても月見は気にせずに、長い間血の跡を擦り続けた。

 やがて、涙も出なくなり、彼女はふらふらとその場から立ち去った。


「月……どうしたの貴方、その恰好っ?」

 家に帰ると、姉の雪見が心配そうに訊いてきた。

「別に、大丈夫。あたしの血じゃないから、気にしないで」

 月見は笑顔を作ったが、どう見ても元気が無い。どろどろの姿を気にするなという方が無理だ。両親の居ない新鷹家で保護者を務めている長女の雪見からすると、一層である。

「それより、疲れちゃったから寝るね」

「ちょっと、その前にせめてシャワーぐらい浴びなさいよ」

 月見は力無く、判った、と頷くと着替えを出して風呂場に向かう。その様子を、雪見は心配そうに見つめていた。

 月見がすぐにシャワーを済ませて戻ってくると、雪見は自室に行こうとする妹を引き止めて、リビングの椅子に座らせた。何も食べてないでしょ、とクッキーを出して、牛乳をミルクパンで温め始める。

「雪姉ちゃん、あたしお腹空いてな」

「食べろ、つってんのよ」

 睨まれ、一瞬びくりとして月見はクッキーを黙々と食べ始めた。牛乳を温め終えると、雪見はマグカップ二つにホットミルクを移す。そして月見の対面に座った。

「で、何があったの?」

「…………」

 さく、とクッキーを一口齧るだけで、月見は何も答えない。

「この雪見お姉様にも言えない事なのかしら、月。それぐらいは言えんでしょ」

「……あたしだけの問題だから、言えない」

「――はぁっ?」

 雪見は急に身を乗り出すと、月見の頬をぎゅっと抓った。

「高々、十七歳のガキが『あたしだけ』の問題だぁ?」

(いひや)っ、(いひや)いって雪姉ちゃんっ!」

「あのね、わたしは月と花の貴方達二人を養ってる家長様よ? うら若き乙女でありながら、もう父親役と母親役をやってんの。それを人生経験も碌に無い貴方が、自分だけの問題抱えるなんて生言ってんじゃないわよっ?」

 (いひや)(いひや)いっ、と喚く月見を無視して雪見は続ける。

「わたしは貴方の悩みを聞く義務があるし、貴方はわたしを頼っていい権利があんの。それがどんな難題であれ、わたしは貴方が自立出来るまでは、どんな事でも受け容れるわっ!」

 一気に捲し立てると、漸く雪見は手を放し、自分の席に戻った。

「――それでも、言えないっての?」

「……うん」

「そう、なら仕方無いわ。荷物纏めて出て行きなさい」

「えっ」

 冗談よ、半ば呆れ気味に雪見は嘆息した。

「話したいと思ったら話せばいいわ。わたしはいつまでも貴方の信頼出来るお姉様で居てあげるから」

 それじゃわたしは先に寝るわ、と雪見は席を立った。

「雪姉ちゃん」

「ん?」

「……有り難う」

 その言葉に、雪見はつっけんどんに答える。

「まだどう致しませんよ、月。悩みが解決出来たら、そのお礼に応えてあげるわ」


 翌日、月見は高校に行かなかった。

 朝起きて、朝食を食べ、身支度をし、家を出たが、その足がどうしても高校に向かわない。自然と、由と初めて遇った場所に来ていた。

「…………」

 ――どうしてだろう。

 漠然とした疑問だった。何に対してのモノなのかも彼女の内では解っていない。ただどうしてと思うだけで、その先は無かった。

 暫く何も考えず、ぼんやりとそこで立ち尽くす。裡が混沌としているだけで、明確な疑問の形を成さない。

 あたしは負けた。神様を殺された。敗北はそれを意味しているの? 神様は死んだ。本当に? あたしが負けたのは、神様の仕組んだ事じゃないの? だとしたら何処から? 何処まで? 初めから無駄だった。あたしの生きる意味。死んだ意味。自由は何処にあるの? 普通に生きればよかった。気にしなければよかった。諦観(あきらめ)が冴えていた。でも出来ない。無理だよ、そんな事。抑えられない。だから戦ったんだから。でも負けた。負けた。負けた負けた負けた。失って――何を? 何も変わってなくて、完璧に負けた。

 ――どうしてだろう。

 結局元に戻る。答えの無い問いだった。

 頭の中の囁き声が全てを台無しにする。どんなに考えても、最後に出てくるのは声が語る一つの疑問だけなのだから。

「……死んじゃおっかな」

 もう全てが面倒臭い。答えが無い。鼎の言葉と自身の言葉が相反して矛盾しか生み出せない。自分の出した答えと、それに対する反証。根拠が無いと認められなかった。だから敗北の後に混沌しか無い。

 最早、意味があるのだろうか――だから死んでしまおう。

「――死ぬなんて止めてくれよ、俺が殺そうと思ったんだから」

 起伏の無いシニカルな声。

 聞き覚えがある。

 これは。

 あの殺人鬼の――

「つ、己さんっ!?」

「相変わらず変な子だな。先刻からずっと後ろに居たのに、一人でぶつぶつと」

 振り返るとそこに居たのは由だった。見間違えようの無い殺人鬼だった。最初の時と変わらず、何を考えているのか判らない顔で、片腕に血の付いた包丁を持っている。

「生きて……たんですか?」

「生きてるな」

「だって、だって右腕……ゆ、幽霊?」

「足はある」

「そ、それに血もあんなに……!!」

「そんなに俺を殺したいか」

「いえ、そ、そうじゃないですよ!?」

 由は呆れた様に大きく溜め息を吐いた。

「あの後、キルシェさんが怪しい研究所に連れてって、何か新しい腕とやらをくれたんだよ。生体金属がどうだとか、多分超高性能な義手みたいな物なんだろうけど」

 リハビリがてらに一人殺してきたところだ、と由はひらひらと腕を振る。

「因みに、キルシェさんはあの後、生の血を二リットルぐらいがぶ飲みしたら怪我が全部治ったよ。全く、どういう構造なんだ、あの化物」

 由は苦々しい顔で世間話をする様に喋るが、月見は思考の整理が追い付かない。由が生きていた。もう完全に居なくなってしまったと思っていた。それがこうして平然と人殺しに励んでいる。キルシェは血を飲んだら怪我が治った? いや、それはどうでもいい。吸血姫だし。

 それより何か、何か言わないといけない気が――

「ば、馬鹿ァッ!!」

「何でそこで切れるんだ」

 尤もだ。よりによって何故口を衝いて出た言葉がこれなのか。

「知りませんよ、バーカ!! あたしに会いに来るよりも先に人殺してたってどういう事ですか?!」

 月見は力任せに鞄を投げ付けた。ばす、と由は平然と受け止める。

「……会いに来てほしかったのか」

「え? えっと。そ、れ、は…………し、知りませんよ?!」

「何なんだお前」

 俺としては正直に答えてほしいな……、と由は小さくぼやいた。

「そ、それより何しに来たんですか、どうしてここに来たんですかっ?」

「鼎さんから伝言だ」

 びくっ、と月見は身構えた。

「自由の証を立てる、とか言ってたな……まぁ、伝えるのは一言だけど。『死ぬ瞬間に視たモノが、神の正体だよ』だとさ。よく意味が解らないけど、確かに伝えたぞ」

 あの時、視えたもの――自分。

 確かに、月見はキルシェに殺される直前、はっきりと『決定者』の姿を視た気がした。だが、それは死に直面する事であらゆるものが殺ぎ落とされ、自分の行動の奥――エルゴ、アートマ、自分自身の自己などと呼ばれるモノ――が浮き上がってきただけに過ぎない。謂わば人格的な走馬灯だろう。

 どれだけ祈ろうとも、誓いを立てようとも、死に際にすら神は応えてくれない。最後に居るのは自分だけなのだ。そうして見つめ直す事で漸く解るものは、楽天的なペシミストである『彼』のさもしい笑顔しかない。

 月見は何だか急に可笑しくなって、思わず声を上げながら笑ってしまった。由は意味が解らず、不思議そうに片目を細める。

「何だ、どうした急に」

 いえ、すいません、と月見は笑い涙を拭きながら、それでも可笑しくて笑いながら答えた。

「己さん、あたしの神様、殺されちゃいました」

 偽神。偽者だと? その通りだ。

 運命を決めている存在は居る。しかしそれは神ではなく、かと言って自分でもない。月見はそれを上手く言葉で言い表せなかった。けれども、何と無くは解っている。『自分の中心』……? もしくは滑稽な言葉だけれども『魂』とでも呼べばいいのだろうか。

 一の中に潜む全。

(それが神様で、新鷹月見(あたし)

 何も難しい事は無かった。答えは単純――変えられない自分が大嫌いだった、それだけだ。だから月見は間違っていたとは言え、切っ掛けを見つけたら必死に抗った。

 月見は大きく息を吸って伸びをする。

「あー!! すこーしだけ、今までよりはマシに生きられそうな気がしますよっ!」

「そいつはよかった。俺は月見ちゃんを殺したいと思ってるけどな」

「そう言えば……己さんは、これからどうするつもりなんですか?」

「無視か」

「はい。無視です。で、どうするつもりなんですか?」

「…………」

 由は包丁を持っている手を握り直したが、流石に大人気無いと思い(とど)まった。常識的な殺人鬼である。

「俺は、別に特には変わらないな。キルシェさんにオルガノンに入社しないかって誘われたけど、基本的には多分ぶらり途中下車の殺人だ」

「……そんな血腥い番組じゃないですよ」

「まぁ、人を殺す機会をくれるなら、オルガノンとやらに入ってもいいとは思ってるな。自由にやらせてもらう、って条件は付けるけど」

 それで、と由は月見に言う。

「こんな事を訊いてどうするんだ?」

「あたしも付いて行きます」

 由の思考が停止した。

 しかし由の表情はちっとも変わっていないので、月見をじっと見つめている様に見える。「そ、そんなに見ないで下さいよっ」と月見は何を勘違いしたのか恥ずかしそうに顔を背けた。

「…………は?」

 やっと真っ白になっていた由の脳味噌がまともに働き始める。

(俺、確かこの子に殺したいって伝えたよな、今先刻。無視されたけど。それを差し引いても、自分から俺に付いて来る理由は何だ。人殺しに興味があるのか……? いや、だったら自分で焼き殺せばいいだけだな。何で俺に付いて来る…………まぁ、いいか)

 由は考えるのをやめた。面倒臭くなっただけである。

「別に――俺は構わない」

「本当ですかっ?」

「あぁ。まぁ、ただ何で付いてくるんだ?」

 由の問いに、月見は少し、はにかみながら笑って答えた。

「あたしも、自由に生きてみたくなったからですよっ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ