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6/ザラスシュトラの話

「あたしの神を……殺す?」

 鼎の言葉に月見は戸惑いながら応じた。

「そうだよ。高が偽神(にせのかみ)の一柱、折るのは他愛も無い」

 対して鼎は、微笑んでいる。余裕だ――月見はそう感じ、焦る。

 ある意味で、駆け引きをしにここへ来たというのに、ずっと先手を打たれていた。恐らくは、自分の目的すらも把握されている事を考えると、乗せられてしまえば相手の思う壺だろう。

 自分からも何か仕掛けなければならない……。けれど、そんな気は起きなかった。

 ただ、鼎の話を聞きたい。

(あたしの事を識っていて、答えを持ってるのなら……)

 それが出来るだろう相手だからこそ、寧ろ自分から何かをする気はしなかった。

「――偽神って、どういう事ですか。神様は神様だと思うんですけど」

 訊いた。自分から。

 もう駄目だろう。火が点いている。

 ここからは鼎に対する見極めの会話ではなく、自らの好奇心だけで話が進んでいく。当初の狙いなど糞喰らえ。それに神を殺そうとしてここに来たのだから、相手から神を殺してくれるのなら願ったり叶ったりだ。

真神(まことのかみ)を知っている人は少ない」

 鼎が言う。

「例えば。有栖君、君は神と言ったらどんなのを思い付く?」

「え? 俺っすか? えっと……キリストとか」

「じゃあ、由君は?」

「……()()()()、アッラー、〝父〟、ゼウスですかね」

「それじゃ、キルシェさん」

「ワタシは神なんて糞親父知らないわ」

「柘榴君は?」

『ん? あたしに人間の神なんて聞かないでよ』

 全員に聞き終えると、うん、と鼎は満足そうに頷いた。

「解るかな月見君? 今出てきた神は全て偽神だ」

「……宗教に喧嘩を売りたいんですか?」

 違うよ、と鼎は微笑いながら言う。

「要はね、(ゴツド)も、(デイオ)も、(デウス)も、(ヤハウエ)も、(アツラー)も。皆神、同じ神なんだ。それも人格化というプロセスの挿まった、信仰(カルト)であり妄想(カルト)の対象のね」

「人格化?」

 その通り、と鼎は続ける。

「宗教に宛がわれた神は、コミュニティ内で発生する共通の無意識の望みから来る逃避を以って作り上げられた偽神なんだよ。だからこそ神格が都合よく自分達の救世を行い、寄る辺として広がって、その位格を上げて君臨する」

 鼎は超越的絶対者の教えを受けるという、宗教のシステムの根源的矛盾を言っている。何故、本来聖なる禁忌(タブー)として触れざる実体を誰かが突き止め、それに名など与える事が出来るのか。その時点で、凡そ〝神〟とされるものは、開祖(ヒト)よりも下に居る。

 天啓を受けた? 光臨した? 遣わされた? それは全て『始まり』に根差す(あい)()たる疑惑だ。

「そもそも個人に宿っている偽神はバラバラだ。先刻私は訊いたね、神の名を。そうしたら出てきたのは皆違う名だ。怪訝しいだろう? 何で唯一絶対たる神が様々な形態を取るんだい?」

「それは……」

 絶対者が色々な形を取った時点で相対者に堕ちている。束縛される神など神ではない。

(……神が、死んだ)

 そう、名を持つ神は全て遺骸だ。そこから復活も出来ないモノがどうして超越を語れる。だからこその偽神。

(そんなのって、こんな……。じゃあ、あたしはどうすればいいの? あたしの見ていた神って何だったの……?)

 揺れ動く。

 視界が、自分が、世界が。

 信じるべきものが崩されて、己を支えていた一柱が折られて、月見は胸の奥に掻き毟って取り出したいモノを感じる。これでは、こんな殺し方では、意味が無い。解放されないのだから。

(え?)

 ――解放されない?

 そう。

 一つ、腑に落ちない事がある。

(神様はあたしを決めていた。運命を作ってた。けど、死んでるんなら、そんな事は出来ない筈なのに)

 まだ、作っている。

 自分の行動を自分の意思で決めているという証明が無い。この時点では、まだ月見自身の心の中では、決定者が誰だか解らないのだ。

 己は己なのか、それとも『何か』に内包され続けているのか――殺し切れていない。別の神だ。いや、どころか、ここで否定されたのは偽神だけで、まだ〝神〟は生きている。

 試す様な口調で鼎が言った。

「月見君、君は自分の神の名を言えるかな?」

「…………」

 鼎は微笑っている――あの人はあたしを解っている。だったら、正直に答えればいいのだ。自信を持って、確かな言葉で。

 月見は答えた。

「あたしの神様に名前はありません」

「その通り!!」

 鼎は快哉を叫ぶ様に言う。

「ニーチェが殺し切れなかった神の方を君は見ていた。ツァラトゥストラが語る言葉とは別の物を見ていたんだよ。『神は死んだ』なんて大仰な騙り文句の時代的側面によく騙されなかったね。偽神は死んだけれども、真神には傷一つ付いていないんだから」

「だったら、尚更です。あたしはカナエさんを殺します」

 チリッ、と空気が熱を帯びる。〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟で燃された空気が鼎を威嚇していた。

 月見の雰囲気が変わった事を敏感にキルシェは感じ取り、彼女も殺気立ち始める。場が急激に気色ばみ、由はそうでもなかったが、戦闘能力が皆無に近い有栖と柘榴はそわそわしていた。

「まだ話は終わっていないよ」

 裏腹に、鼎の平坦な声が通った。

「私は君の神を殺すと言った筈だよ。君が見ているのもまた、偽神の亜種に過ぎないんだから」

「カナエ、悪いけど話は終わりにするわよ。今この放火女ははっきりとアンタを殺すと言ったわ。これは明確なオルガノンに対する敵対行為よ」

「話に割り込まないでよ化物(キルシエ)。今はあたしとカナエさんが話してるの。何がオルガノンへの敵対行為なの? 勝手にあたしの事を野放しにしてた癖に、今更騒がないでよ」

 目も合わさずに言う月見に、キルシェは、ギリ、と奥歯を噛んだ。

「こ、の、糞ガキ……。調子に乗ってんじゃないわよ、この世界の事を何も知らないで()ち壊す事しか考えられないのに、自己中心な振る舞いは止しなさい」

「それ、そのまま返す」

「今直ぐ血ィ吸い尽くしてやろうか?!」

「消し炭にするっての、化物」

「仲いいね君達」

 取り敢えず、と(いき)り立って椅子から立ち上がり掛けているキルシェの肩に鼎は手を置いた。

「私も話を続けたいから、落ち着いてもらえるかなキルシェさん。私の能力(こと)は知ってるだろう? ちゃんと考えているから大丈夫」

 キルシェは息巻いたまま何かを言おうとしたが、渋々と座った。そして乱暴な手付きで煙草を取り出し、火を点ける。一吸いして燻らせようとすると、物凄い勢いで煙草は一気にフィルターまで燃え尽きてしまった。

「煙草、臭いから止めて」

 燃えカスを見てぽかんとするキルシェを余所に、月見が見下した様な眼で言いながら、煙草をシガレットケースごと燃やしていた。

「ハッ――はははっ。カナエ、あのガキ殺していいかしら!?」

「落ち着いて。二人ともいい歳なんだから、私にゆっくり話ぐらいさせてほしいね。キルシェさんの煙草ならカートンで買い置きしておいたから、外で吸ってきなよ。月見君もそれならいいだろう?」

 つーん、とした態度で月見は答えなかった。「Damn……Damn……!!」とキルシェは何かを罵りながら、仮装の帽子を床に投げ付け部屋を出て行った。

「あの……出来れば俺もこの空気にガクブル状態なんで解放してもらえると嬉しいなぁ……なんて」

 その後に有栖が恐る恐るといった感じで手を挙げる。

 対して鼎は笑顔だった。

「……その、なんていうか」

 表情が口元しか判らなくても断言出来る笑顔だった。

「いや、その……何でも無いですスンマセン」

 有栖はがっくりと首を落として項垂れた。女装させられているので余計に妙な哀愁が漂う。膝元の柘榴がぽんと手を置いて慰めていた。

(俺、こんなヘタレに殺し合いで負けたのか……)

 由は由で、度を過ぎたマイペースで場に馴染んでいる。

「さぁ、話を戻そう」

 鼎は手を組んで月見に向き直った。

「君が私を殺そうとしている理由は、君の偽神に直結しているね」

「そうです。ただ、あたしの神様は偽者じゃありませんよ。名前なんて無いし、救世なんか求めてない。ただそこに在るだけのものです」

「そこまでは正しかったんだよ」

 口惜しそうに鼎は言った。

「けれど、それ以降を間違えた。神の特定までは辿り着いたのに、その後、収斂(しゆうれん)させてしまったんだ。ただ一つのものに」

「それの、何が間違いなんですか? そもそも、神様なんて世界をアレコレするだけじゃないですか、その為だけにしか存在してませんよ」

 少し苛ついた口調で月見は言う。

 それに、いいや、と鼎は首を横に振った。

「真神を知るにはね、そこから更に広げないと見失うんだ。神は特定されたままだと矛盾する。先刻言った様に、偽神は名を与えられると死んでしまう。神を特定した状態で置いておくのも同じ事だ。だから、神は全である事を思い出さなければならない」

 解るかな、と鼎は問う。

 月見は()め付け口を(つぐ)み、応えなかった。

「神は神である必要すら無い。そこに在りながら、世界の何処にも居ないんだ。何故なら、それは個が投影した実体でありながら普遍的なモノだからだよ」

「そんな……そんな馬鹿な話はありません!」

 月見はテーブルを叩いて立ち上がった。

 自分が思ってきていた事と真っ向から反する神の姿を提示され、反発して彼女は感情的になっている。絶対的だと信じてきたものが、余りにもあやふやで曖昧な形に歪められ、到底受け入れる事が出来ない。

 自らの『上』に居る筈の存在が、それぞれによって違う形を持っていながら、その底で繋がっているなどという事を信じられる訳が無い。それでは偽神よりも酷い。まるで浮かび上がっては直ぐに消えていく、不気味な泡(ブギーポツプ)の様に、居るのか居ないのか解らないものになってしまう。

「神様は全てなんですよね? だったらそんな、今そこにしか居ない様な言い方をされるものが神様な訳ありません、じゃないと変です! 過去も未来も現在も神様が決めた事の筈なんだから!!」

 声を荒げる月見に対し、鼎は静かに言った。

「それだよ。それが君の神が偽神たる所以だ。そして同時に、私を殺す理由だね――正確には、『ラプラスの魔物』を殺す、ね」

 唐突に自分の目的の核心を衝かれ、月見は驚いた様に言葉を詰まらせる。

 鼎は続けた。

「有栖君、君は神を信じてるかい?」

「はい? え、お、俺ですか? いやぁ……まぁ、信じてるっちゃ信じてますけど」

「じゃあ、自分のやっている事は神に与えられた試練だとか思った事はあるかな?」

「いや、俺日本人っすよ? そんな面倒臭ぇ事考えて生きてませんよ」

「由君、柘榴君。君達にも同じ事を訊くけど、どうかな?」

「別に、俺は俺にしか従って生きてませんよ」

『あたしは神なんてもの考えた事も無いよ、猫だから』

 うんうん、と鼎は満足そうに頷く。

「月見君、今の話を聞いて君はどう思うかな?」

「馬鹿らしいです。信じる信じないがどうしたっていうんですか、今そんな事は関係無いと思いますけど」

「大問題さ。今そこに『神』は居なかった」

 月見は困った様に眉を顰める。鼎の次の言葉が予測出来ないからだ。

「有栖君、由君、柘榴君は共に生きる上で神を見ていない。怪訝しいね、三人とも月見君の様に神を特定出来ていない筈なのに――けれど神はそこに潜んでいる」

 最早、この場を支配しているのは鼎だった。彼女が次の言葉を発しない限り、全てが進まなくなっている。この場に、鼎の話術に呑み込まれている事を意識出来ている者は誰も居なかった。

「居ない、が、在る。全ての人に思われる神の本質だ。そして神の性質からして、それは主宰たる存在ではなく世界たる存在なんだよ。そして、それだけでは物足りなかった人々によって、都合のいい幻影が創り上げられた」

「……信仰(カルト)

「そう、曲解と婉曲で鍛え上げたのさ、超一流の詭弁に」

 ここまで来れば解るだろう、と鼎は問う様に言う。

「世界は最初から自由だ。神に決定権は無い」

「認めません」

 月見は即答した。

「確かに居るって神様の存在を認めたのに、矛盾します。神様は全てなんですよね? あたしもそう思います。だから、そこに『新鷹月見(あたし)』も含まれてる。それじゃ――誰があたしなんですかッ?! 神様以外考えられません、そんな、あたしを決め付けてる奴、殺さないと気が済まないっ……!!」

 激して月見は髪を振り乱していた。殆ど突発的な怒りだろう。だが、それ程に壊さないと我慢出来ない(しがらみ)が、彼女に纏わり付いていた。

 燃え掛けている。徒でさえ感情の堰が脆いのに加えて、殺意ある相手との会話。月見はぎりぎりで抑えていたが、テーブルは燻り掛けていた。

「簡単だよ」

 鼎は塞いだ両眼で月見を真っ直ぐに見つめる。

「神が君を保有しているんじゃない、君が神を保有しているんだ」

「――――」

「超越は上位に居る事を示さない。根源であり全てであるだけだ。だからこそ、神は絶対者である事も相俟って、何よりも高いと錯覚されるんだよ」

 そも、月見の目的は。

 自由を創造する事だった。

 世界が幾重に可能性を秘めようとも、全てに神は在る。分岐させる選択者は自分ではなく神。その気まぐれでいとも容易く決定される運命に対し、月見は反目していた。

 しかも。

 納得出来ないだろう。考えてみれば、全てである存在は決定された世界のどれだろうと観測出来る。世界線という境界など無いに等しい。勝手に決められた方向へ誘導される事に耐えられない。

 藤堂鼎が諦観からの脱却の契機だったというのに、しかし彼女は月見に否定を突き付けてくる。

「確かに私は〝天啓の万象(グノーシス)〟で『ラプラスの魔物』を受胎している」

 もしもこの世界に全てを知覚し、それを解析出来る知性が存在するとしたら、その眼には全てが見えているであろう――それが、数学者ピエール=シモン・ラプラスが提唱した〝魔〟であり、鼎の能力に付随している存在。

 もしも鼎がその能力によって全てを識った時、そこには彼女のヒトとしての知性を超えた何かが生まれるかも知れない。それが受胎であり、(あらわ)れたそれは確実に超越だろう。

「だから……だから、あたしは生まれてきた神様に等しいそいつを焼き殺す! 解ってるなら何で訊くんです?! カナエさんの〝魔〟が神様を語ってる! あたしの中なんかじゃない、そこに居るんです!!」

 月見の目的は〝魔〟により世界戦を統一して鼎に神を降ろし、それを殺す事。世界の決定者たる観測者になっている鼎を殺す事は世界の神を殺す事であり、その後の世界に自由を与える事を意味するからだ。

 だが鼎はそんな事をしなくても、元々世界は自由だと言う。

「〝魔〟を降ろす事は、不規則に要素が並んでいるこの世界を、理路整然と決められた通りに配置して無機質なものにする――即ち世界を殺す事しか意味しないよ。その後、観測者である私を殺せば確かにその先の世界は未知数になるけど、逆に配列が変わらずに世界は生まれ変われないかも知れない」

 だから私は伽藍の堂から外に出ないんだ――鼎は月見に問う。

「それでも私を殺すかい?」

 俯いて、月見は膝の上で手を握り締めた。

「結局……話は無意味でしたね。何も証明出来ない事ばかりです――だから殺します」

 仕方が無いね、と鼎は解っていた様な口調で苦笑した。

「えぇ、その通りよカナエ。仕方が無いわ!」

 いつの間にか戻ってきていたキルシェが、部屋に入るなり言う。

「そこの糞ガキが意思を曲げないなら、どっちにしろ手段は一つしか無いのよ。って言うか、判り切ってた事なんだから、ウダウダどーでもいい事を話さなくても、これが一番手っ取り早かったのよ」

「性急だねキルシェさん。まぁ、けれども確かにそうなんだけどね。ただ、月見君に話しておきたかったから、悪いけど時間を掛けさせてもらったよ」

「相変わらず面倒な事すんのね」

「道楽だよ」

 理解出来ないと言う風にキルシェは顔を顰め、鼎は微笑った。

 さて、と鼎は月見に対して口調を三月兎に戻して恭しく言う。

「女王様。これ以上はゲームで白黒を付けましょう」

 虚を衝く提案に、月見は困惑を見せる。

「ゲー……ム? 何するんですか? あたし頭使う奴は苦手なんで、公平に出来る奴がいいんですけど……」

 ふん、とキルシェが下らなそうに言う。

「早い話、カナエが欲しいならワタシを倒しなさいって事よ、放火女(ツキミ)

 あぁ――なんだ、と月見は堂に来てから初めて笑った。

「そんな事でいいなら燃やしてあげる、吸血姫(キルシエ)

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