5/気狂い共のお茶会
「……ここがそうなんですか?」
そうだよ、と月見に由は短く答えた。
彼女の知らない街の路地裏で、一つだけ浮いて見える洋館。小さくもなければ大きくもない、まるでジオラマに作られた模型の様な館。これがもしも、もっと古臭く黴臭さを漂わせていたなら、間違い無く近隣の住民からは幽霊屋敷とでも呼ばれていただろう。
月見はその洋館の前に立ち、不安にも似た昂揚を覚えた。
(ここに、カナエが居る)
まだ会った事の無いその相手の、記号としての名前だけを彼女は思い、少しだけ震えた。望みに臨むこの場所で、期待が溢れ出しそうで自分でも上手く処理出来ない。
すうっと、一度息を吸い込んだ。
落ち着きを取り戻す為の深呼吸ではなかったが、焦燥の鼓動が上手く崩れ、何処と無く気は静まった。
そして平素の心持で月見は中に入ろうとし、
「じゃ、俺は帰る」
「はぇ?!」
出鼻を挫かれた。
「え、何。ハエ? 蝿がどうした。今の季節に珍しいな」
「ち、違いますよ。何で帰っちゃうんですか己さん、一緒に来てくれるんじゃないんですかッ」
「いや、だって案内するって約束は果たしたし」
「男の人だったら女の子を置いて帰るなんて駄目ですよ! ちゃんと最後まで居て下さいっ」
面倒臭いなぁ、と由は本心を隠しもせずに片腕で頭を掻く。
「そろそろ人殺したくなってきたから、繁華街に行きたいんだけど」
「コンビニ感覚で言わないで下さいよそんな事!」
「コンビニかぁ、確かに適当に見繕うのに丁度いいかもな。うん、俺コンビニ行ってくる」
「あたしと会話する気が無い?!」
それじゃ、と歩き出した由の腕に月見は抱き付いて引き留める。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さいよ。お願いですから一緒に来て下さいよ、ほらほら可愛い女子高生の頼みですよ?」
「ごめん、性欲より殺人欲の方が強いんだ俺」
「明けっ広げ過ぎます!! しかもあたしがただの頭の軽い子みたいじゃないですか!」
うーうー、としがみ付いて腕を放す様子の無い月見に、はあぁ、と嫌そうな顔で由は溜め息を吐く。すると、いいか月見ちゃん、と真剣な声で言った。
「俺は――自由なんだ。だからコンビニに行く」
「カッコ付けて言うなそんな事!」
月見は由の足を蹴る。だが月見の脚力では、彼はびくともしなかった。
「煩いな。大体何で俺が付いて行かなくちゃいけないんだ。別に一人でもいいだろ。理由が無い理由が」
う、と月見は言葉に詰まった。無い訳ではない理由だが、それを素直に言うとなると気後れする。というよりも嫌だった。しかし言わなければ由は頑として行動を共にしてくれそうにない。
(あぁもう、面倒臭いなぁこの人。別に女の子の頼みなんだから聞いてくれたっていいじゃない……)
などと、些か自分勝手な理屈で逡巡してから、月見は観念した。
「……えっと、その。一人だと、キンチョーする」
それを聞いた由は、何処か可哀想なものを見る様な眼をした。
「……意外とヘタレなんだな、月見ちゃん」
その一言で、ぷつん、と大して溜まってもいない筈の月見の堪忍袋の緒が切れた。ただの短気である。
「煩いですよ! えーヘタレです、あたしは一人じゃホラー映画も観れないヘタレです。暗いトコで妹に脅かされて半泣きしちゃう様なヘタレですよ。その腕燃やすぞ!?」
自棄気味な月見の〝全燔の鏖殺〟でゴミ捨て場のゴミ袋が一つ、勢いよく燃えて吹き飛んだ。カラスより質が悪い近所迷惑である。
「逆切れかよ」
全く以って由が正しい。
「逆切れして何か悪いですか、文句ありますか!」
「迷惑だ」
「喧しいですよ!!」
またゴミ袋が一つ吹き飛んだ。不憫である。月見が。
面倒を通り越して鬱陶しくなってきた由は、仕方が無い、と譲歩する事にした。このまま放っておいたら、近隣のゴミ袋は疎か、残った自分の片腕が本当に炭にされるかも知れないという危険を感じてもいたのだが。
「判った。俺も付いていくよ」
「別にいいです、付いてなんか来てくれなくても! って――え? 嘘、ホント? やった、有り難うございます!」
散乱したゴミが勢いよく燃えて、臭いすら出ずに炭になっている中で月見は嬉しそうに礼儀正しく頭を下げる。どうでもいいが、この周囲の惨状を処理するのは誰なのだろうか。突然爆発して燃えるゴミ。白昼のミステリーだ。恐らく、危険物が捨てられていたのではないかと、ちょっとした警察沙汰になるだろう。
殺人鬼の自分から警察を遠ざける為に、とか何とか言っていた様な気がしたが、その場のノリでこんな事を為出かす月見に、由は溜息を吐いた。全く、女子高生は何て理解し難い生き物なんだろう。
今度、この娘の事を殺してみようかな――少しだけ本気で検討した由だった。
「おや、ようこそハートの女王様」
そう言って玄関で月見を迎えたのは、燕尾服を着て兎の耳を付けた鼎だった。相も変わらず目隠しはしているが、それ以外は彼女の恰好は殆ど仮装である。
「ややっ、眠り鼠も一緒だね。これで漸くお茶会の人数が揃ったよ、助かった助かった!」
次に奇妙な呼び名で呼ばれたのは由だった。え、と彼は何かを言い掛けたが、鼎の事を考え、すぐに不承といった顔で首を傾げる。何かをしている事は判るのだが、その内容にはどうせ突飛過ぎて付いていけない。
月見も似た様なものだった。もっと何か違う感じを期待していたのだが、予想外な出迎えに思考が停止してしまっている。先ず、鼎に会う事が何がしかの出来事に発展すると思っていたのに、意味不明な言葉を掛けられた。
「奥で帽子屋とアリスが待っているから、早く中にどうぞ。皆首を長くして待ちくたびれて、身体が蛇になってしまうんじゃないかって冷や冷やしたよ!」
――いや、自分達の来訪を知っていた素振りがある事自体が既に、月見が藤堂鼎という存在に求めているものの一端を証明してはいる。だから、彼女がすべき事は、相手の遣る事為す事に呑まれない様に、けれど決して逆らわない様にする事だ。
月見は由に確認を取る様に振り向くと、彼は肩を竦める様にして見せただけだった。
(取り敢えず、向こうが何を考えてるか知らないと)
虎穴に入らずんば虎子を得ず。そこまで厳めしい状況ではなかったが、気持ちの上では月見はそう感じていた。
そして彼女は奥に進み、お茶会に参加しようとして、
「……久し振りね、ツキミ」
帽子屋の恰好をした吸血姫が居る事に、驚きを隠せなかった。
「――何で、キルシェが居るの。しかもそんな恰好で」
三年前に殺し合い、未だに組織単位で自分を狙っている相手を前にして、月見は一気に敵愾心を露にする。大きなシルクハットを被り、鼎と同じ燕尾服姿で怠そうに椅子に寄り掛かっていたキルシェが言う。
「カナエとワタシは古い知り合いなのよ。それをアンタがローストにしようとしているって物騒な話を聞いたから、ここに居んの。……あ、それとこの帽子屋の恰好は断じてワタシの趣味じゃないから」
平然と敵意を受け流しながらキルシェは答える。暗に宣戦布告をしたも同然なのだが、月見もそれを真には受けずに流した。
その隣で今度は由が見知った顔を見つけ、軽い驚きの声を上げる。
「お前……あの時の」
「うげっ、殺人鬼」
由の視線の先には、眼帯を付けたアリスが居た。
長い黒髪のウィッグを付け、エプロンドレスを着たアリスの恰好をした有栖は、由の事を見て嫌そうに顔を歪める。少し憔悴した顔と、居た堪れなさそうにしているところを見ると、あの服は無理矢理着させられたらしい。それなりに似合っていた。
二人はどちらともなく無言で言葉を探す。彼等の間には特別な何か――初対面で殺し合った事を除けば――がある訳ではないので、面識の上にそれ以上のモノを築けそうになかった。
彼氏彼女がそれぞれの奇妙な知己を相手に黙りこくっていると、ぱん、と鼎が手を叩いた。
「さぁさ、揃いも揃った気狂いの面々。いつまでも黙っていたらお茶が冷めるよ、時間が臍を曲げる前に早くお茶会を終わらそうじゃないか!」
あぁっ、と気が付いた様に、鼎は大仰に頭を押さえてキルシェに言う。
「そう言えば帽子屋は大分前に時間と喧嘩別れしてたね。失敬失敬」
「キャラ違うわよアンタ」
「今は三月じゃないよ、三月兎も性格は違うに決まっているさ!」
大分場の空気が壊れている気がする中で、あのー、と有栖がそろりと手を挙げた。
「そもそもこの集まりの意味が判んねぇんですけど俺。何でこんな情け無い恰好しなくちゃならないんすか」
「有栖だからだよ」
鼎はしれっと答えた。
「……理不尽過ぎます」
へこたれそうになっている有栖の後ろから、ひょいと黒い影が飛び出しテーブルの上に乗る。その影が彼に向かって言った。
『アリス。カナエのやっている事には、狙いはあっても意味が無い事が多いよ。考えるだけ無駄だ』
無愛想な声で言ったのは柘榴だった。彼女だけは特に何も仮装はしていないが、それはこのお茶会で宛がわれる役目が無かったのではなく、
「チェシャ猫、何でにやにや笑いが無いんだい? そうでなければ今の君はただの猫なのかい!?」
素で与えられた役があっただけである。
『…………』
無用なハイテンションの鼎に、柘榴は困った様に喉を鳴らすだけだった。「あたしはブリティッシュ・ボンベイ種だ」と言う訂正の呟きが虚しい。
その一方では、媒介者達の世界に片足しか突っ込んでいない由が現実に追い付けていなかった。
「……怪訝しいな、猫が喋ってる様に見えるんだけど」
「喋ってますよ? 可愛いなぁ、猫。家でも飼いたいんですけど、お姉ちゃんが許してくれないんですよね」
異能に耐性のある月見はさらっと柘榴の〝言語活動〟を受け入れるが、超常現象程度しか知らない由は猫が喋る事をどうしても直視出来ない。現実味の差だろう。
「やばいな……情緒不安定になりそうだ。ちょっと人殺してきてもいいかな?」
「あ、はい。どう――じゃなくて今度は一服感覚ですか!? 駄目に決まってるじゃないですか!!」
ふぅ、と由は嘆息する。
「全く、最近は殺人者も肩身が狭くなったな」
「何ですか、その世知辛そうな顔。余裕で犯罪行為なのに、何で世間が悪い様な顔してるんですか」
「思想の自由だ」
「人権って知ってます?」
「人間が人間として生まれながらに持っている権利だろ? 人間が人間として人を殺すのは当然だ」
「もう病院行って下さいよ……」
「病人を殺してもなぁ」
「あ、はい。もういいです。あたしが悪かったです」
発想の展開と転換が病気のレベル。そんな諦めから思わず月見は半ば退き気味に冷淡な調子で答えていた。
お茶会の様相を呈していた堂は、今や各々の自分勝手な雑談場になっている。誰彼無しな会話が飛び交う様は、まともに話も出来ない気狂い共のお茶会になっていた。
兎に角ッ――纏まりの無さを見兼ねた柘榴がテーブルを叩く。猫の手では、たしっという気の抜けた音しか鳴らないのだが。
しかしそれが逆に、柘榴に注目を集めた。それは丁度、冗談が滑った人に掛ける言葉を探す様な、何とも居た堪れない視線に近い。
『……えー』
自分でも遣らかしたと判っている分、辛い柘榴だった。
『と、だ。このお茶会の意味をあたしは知らないから主催者が纏めなよ』
「あ、逃げた」
煩いっ、と柘榴は有栖に不機嫌に答えると、彼の膝の上に移動し丸くなった。
ふぅむ、と芝居掛かった口調で鼎は言う。
「女王様。取り敢えず席に着かれてはどうですか? 眠り鼠も適当な場所に座るといい」
促され、月見と由は少し迷いながらも椅子に座った。
用意された三つ脚の円卓の席には、鼎の両脇に有栖とキルシェが着いている。卓の余った場所は、互いの知った顔が対面に来る様に、由と月見が囲んだ。
鼎は紅茶を全員に回し、行き渡った事を確認すると、言った。
「さて、女王様――貴方の神を殺しましょう」