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1/灼なる灯し

 ――俺は人を殺したんだ。

「見れば、解りますよ」

 彼の言葉に彼女はそう答えた。

 (あら)(たか)(つき)()の前には死体が転がっている。その死体は月見の高校の後輩で、月見は今はもう喋らない彼女と一緒に帰っていた途中だった。

(……結構、いい()だったんだけどな)

 苦痛に(まみ)れた後輩の顔を見ていると、ぼんやりと、そんな曖昧な感慨が湧いてくる。もうこの娘は、あの可愛らしい笑顔を見せる事も無いし、恥ずかしがる時に指の先に髪を巻き付ける癖をする事も無いだろう。当たり前だ。彼女は死んだのだから。目の前に居るのは、自分に懐いていた女の子ではなく、苦しみの様なモノを浮かべる醜悪な肉塊だ。今、目の前に居る男に殺されたばかりだというのに、月見は他に何も感じない。

 しょうがないよ。

 それが一番近い感想だった。この娘は、今ここで死ぬ事になっていたのだろう。だから仕方が無い。

「違う。この娘の事じゃない」

「はぁ」

 我ながら何とも気の抜けた返答をしてしまったと月見は思う。相手は人殺しだというのに、彼女には少しも動揺が無い。

「俺は、以前にも人を殺したんだ。この娘が別に初めてじゃない。大体……五人目くらいだな」

「あぁ、連続殺人犯さんですね」

 しまった。またやってしまった。意味の解らない返答だ。月見は人殺しを前にして、そんな一般的なコミュニケーションの心配をしていた。

 彼女は自称・殺人鬼を一瞥する。

 彼には左腕が無い。右手には、後輩を殺した時に付いた血の跡がある包丁を持っている。まだ新鮮さを保つ血が滴り落ちて、地面に当たる直前に王冠(クラウン)を作った。この場合は何て呼ぶんだろう? 血の王冠(ブラツド・クラウン)? あ、何かちょっとカッコいい。どうでもいい事を考えていると、殺人鬼が会話が続かずに困った様な表情をしている事に月見は気付いた。

「えっと……あたしも殺します?」

 まだ血が滴り落ちる刃の切っ先に目線を落としながら月見は訊く。

 殺人鬼は答えた。

「いや……いや、別にその気は無い。もう今日は満足したし……」

 殺人鬼は器用に包丁を持った片手で頭を掻く。その顔は、年の離れた女子高生を相手に何を話せばいいか判らない、と言った具合だ。

「その、俺が言いたかったのは、俺が真性の人殺しだって事だ」

 はぁ、と今度はもう何も考えずに月見は間の抜けた返事をする。

「言い訳する訳じゃないけど、人に殺しを見られたのは初めてで……こういう時、どうすればいいのか判らないんだ、俺は」

 普通なら目撃者を殺すんじゃないの、と月見は思ったが、その殺される人間が自分なので、面倒を避ける為に黙っていた。自分が殺される訳が無いと思っていても、会話を繋げてしまうのが(だる)いのだ。

「……変な奴だな」

 ぼそりと、殺人鬼が呟いた。思わずそれに月見はむっとする。

「変な奴って何ですか。そっちの方が全然変です。人殺しの癖に」

「あぁ、まぁそうなんだけど。友達が殺されたのに、何にも無いから――変だ」

「…………」

 ――それは。

 それは仕方が無い事なのだ。

 殺されてしまったのは仕様が無い。それが月見の後輩の運命だったのだろうから。だから、殺した張本人は殺したのだし、そこに何を言っても意味が無い。月見は、そう思ってしまうのだ。

 この、ともすれば壊れてでもいる様な女子高生の厭世観に、その沈黙から何も読み取れずに、殺人鬼は困り果てる。手持無沙汰に、包丁の表面を見つめていた。

「もしも」

 ぽつりと、月見は言った。

「もしもあたしが、この状況に何か思うなら――それは、よくて神様がムカつくってだけですよ」

 はぁ、と適当な相槌を打ったのは、今度は殺人鬼の方だった。

「やっぱり変だ」

「……うっさいな人殺し」

「別にそんな事言われても俺は傷付かないけど。()()しな感性だ」

 怪訝しいと言われれば、まぁ怪訝しいんだろうな、と思うしか無いのが頭の痛いところである。

 事実、月見は普通の人間ではないのだから。

 彼女は〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟だった。

 三年前の奇妙な出来事――彼女は世界の枠から外れた人間達の争いに巻き込まれ、自分もまた外れた。

 その事件の時に、自分と敵対した〝吸血姫(ブラツドサツカー)〟と呼ばれていた美しい女の形をした化物は、外れた存在を媒介者(ベクター)と呼んでいた。一度死に、〝文明の安楽椅子(ホモ・サピエンス)〟の世界から消える事で他の世界の可能性(ベクトル)を得た存在と。月見は、そうなってしまったのだ。〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟という名を持つ媒介者(ベクター)に。

 それにより彼女は全てを燃やす事が出来る、己の知覚の裡にあるものを。だから、高が殺人鬼の一人ぐらい怖くない。

「神、か」

「え?」

先刻(さつき)言ったろ、神様がムカつくって。俺は神なんて考えた事も無い。俺は俺として自由に殺すだけだから、そんな奴は知った事じゃない」

「自由、ですか」

 あぁ自由だ――殺人鬼は言う。

「少し前に俺の中身を読み取った人が居て、その人は俺自身が気付いていなかった事を教えてくれた。この世界で俺は、俺以外になれないから己を(よし)とすればいいんだ、ってさ。だから俺は人を殺し続けていい、って気付いたんだ」

「己を由とする……」

「そう、それが俺の名前だから」

 自由であるという事。月見はそれに不快感を覚える。嫉妬の様なものを覚えて、相手の事が少し気になり始めた彼女は訊いた。

「貴方の名前……教えてくれませんか、殺人鬼さん?」

 殺人鬼は不思議そうな顔をして、言った。

「俺は(つちのと)、己(ゆう)だ。なんなら、君の名前も教えてもらっていいか?」

「あたしは、新鷹月見です。……自由だなんて」

 月見は目を伏せ、そこで言葉を切った。その先を口にしてしまったら、負けを認めなくてはならなくなると思ったからだ。

 ――下らない、けれど羨ましい。

 月見は、自由を口にする殺人鬼に対して、そう感じてしまったのだ。

 彼女は『運命』や『神』といったものを極端に嫌う癖に、それをどうにも出来ないと諦めて生きている。

 そもそも、その奇妙な達観を抱く様になったのは、彼女自身の能力が原因だった。『ホロコースト』という言葉。これはユダヤ教の、神への供物を焼いて捧げるという全燔祭(ぜんはんさい)が、その元々の意味だ。それが転じて火災による惨事、虐殺という意味を持っているが、月見は自分の能力は後者のものだと思っている。

 能力の名の意味を自分で調べた時に、月見は特殊な宗教観を持つこの国に生まれて初めて、神という概念に興味を抱いた。

 何か超越的なモノがこの世界を定めているという考え方。それは明らかに自分よりも上に居るもので、全てを決めている。そう、所詮神が創った世界に於いて、自分の事など始まりから終わりまで最初から決まっているのだ。

 この事に気付いた時、月見は全てを無茶苦茶に燃やし尽くしたくなったが、それも神の決めた事かも知れない、と止めた。あとで思ったが、どっちにしろ、自分のその選択が神の仕業なのだとしたら意味が無い。泥沼に嵌った果てに、彼女は諦めた。何をしても抗えないし、決まりきった事しか起こらないのなら、考える事を止めよう。そうして意思を手放した彼女の前には今、自由を満喫している男が居る。

 だから月見は、嫉妬していたのだ。

「自由がどうかしたのか」

 殺人鬼がふと訊いてくる。

「いえ……己さんが、どうしてそこまで確信を持てるのかなって」

 他人に言われた程度の事なのに――月見は由に疑問を投げ掛ける。

「あぁ――確かにそうだな」

 変に納得した様に彼は言った。

「あの人……(かなえ)さんは、不思議な人だったからな。まるで全てを()っているみたいな話を俺にしてくれた」

 いや――と由は自分の左腕があった付け根を押さえて、何かを思い出す様に言う。

「今思えば、全部識ってたんだろう、あの人は。そんな能力(ちから)があったとしか、ただのヒトじゃない存在が世界に絡んでたとしか思えないな」

「ヒトじゃない……?」

「あぁ、変な話だろ? 俺は俺の事を全て把握している人に出逢ったし、俺の全てを模倣している奴にも出遭った」

 そのせいで失くしたんだよ――何処か自嘲気味に()()いながら、由は左腕のあった場所を月見に見せた。

 どきり、と。

 その時月見は、殺人鬼を前にして初めて動悸を感じた。それは恐怖ではなく、混乱でもなく――期待だった。

「ちょ、ちょっと待って下さい。その人、己さんが会ったっていう人は、最初から識ってたんですか?」

 月見は自分以外にも媒介者(ベクター)が存在する事は知っている。だから別段、由が語る事に驚きはしない。きっと、由が遭遇したのは、何かしらの能力を持つ人間による出来事だったのだろう。

 だが、問題はそこでは無かった。

 段々と胸の鼓動が早くなるのが感じられる。今までの自分の人生で考えてきた無駄な妄想の実現が、そこにあるかも知れない。月見は腕が震えるの止められず、鞄を落とした。

(もしかして、出来るの……!?)

 身体が宙に浮く様な感覚がする。思わず一歩後ずさっていた。手足が上手く動かせず、無理に動かそうとして振る舞いが大袈裟になる。諦観だけの生き方をしていた月見が、期待に胸が膨らむのを止められないのだ。

「お、教えて下さい己さん! その人、貴方が会った人の事!」

「いや、教えてって言われても……」

「いいんです何でも。その人にあたしは会いたい……!!」

 急に浮き足立った月見に、由は困惑する。殺人を目にしたばかりの少女の奇妙な願いに対し、彼は眉を顰めた。

「まぁ、別にいいけど……。鼎だよ、その人は藤堂(とうどう)鼎。ここから少し離れたとこで、『()(らん)の堂』って何でも屋さんをしてる人だ」

「カナエ……」

 月見は噛み締める様に、決して放さない様に、その名を口にする。

「変な女の子だな、本当に。そんな事を聞いてどうすんだ」

 由のその質問に、彼女は後輩の死体へ目を伏せる。

 すると、ぱち、と何かが弾ける小さな音がした。次第にその音は大きくなり、少女と殺人鬼の間に突然に熱が奔る。

 ぼうっ――と死体が燃え上がっていた。

 月見の〝全燔の鏖殺(ホロコースト)〟で点いた炎に殺人鬼は瞠目する。これは目の前の少女がした事だと直感的に解り、そしてまた、彼女が以前に遇ったヒトではない存在に属すると解ったからだ。

「何だ……お前は」

 超越への畏怖よりも先に、目の前の華奢な少女に由は危険を感じた。雑食性の肉が焼ける異臭が鼻を突く中で、由は右手に持っていた包丁を握り直す。少しでも不審があれば殺せる様に。

「殺人の証拠隠滅です」

「はぁ?」

 予想外の返答に由は馬鹿の様な声を出す。

「己さんには、そのカナエって人のトコまで道案内をしてほしいから、警察に追われたりしたら(めん)()臭いんです」

 自分に真っ直ぐに向き直る月見のその眼を見て、少女が本気で言っている事が判り、由は取り敢えずの警戒を解く。

「……極め付きに変な子だ」

「変な子じゃないです、あたしは新鷹月見です」

 ふぅん、と由は燃え盛る死体を挟んで、妙に意固地な少女を見据える。何処にでも居る様な、どうでもいい事で悩んでいる様なただの女子高生にしか見えなかった。大きな火の()が、一本、立ち上った。

「じゃあ月見ちゃん。訊きたいんだけど、君は何をするつもりなんだ?」

 月見の顔は死者の炎で赤らかに照らされている。その顔を向けて、彼女はとても真面目に、しかしそれ以上に突拍子の無い事を言った。

「神様を殺すんです」

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